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Kobby loves 埼玉&レッズ

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八角理事長の現役時代

2020-06-03 22:03:23 | 他スポーツ
相撲の記憶ネタは、元横綱北勝海(ほくとうみ)の八角理事長の現役時代の記憶です。北勝海は本名を保志信芳といい、関脇に上がるまで本名の保志を四股名にしていました。若手だった時代の保志の相撲は荒々しさを持っており、当時の横綱隆の里に何発も張り手を見舞うなど上位キラーで名を馳せました。九重部屋の先輩、千代の富士との稽古は激しく、当時師匠として見守った北の富士さんは「あの稽古ができる現役力士はいないな」とコメントするほどです。

保志は大関に昇進することになって、四股名を付けることになりました。当時の案に地元の北海道十勝地方から「十勝海」がありましたが、大関が十勝しかできなくては困るという理由で「北勝海」を採用しました。当時、姓名判断で「短命で横綱になれない」と言われたと聞きますが、そんなジンクスは自分で振り払うと意欲十分でした。

北勝海と聞いて思い出すのは、無口でインタビューを苦手にしていたことです。もっとも、引退後に解説者としてNHKのテレビに登場するとしっかりと解説できており、当時のことを聞かれると「あれは即答しなければならないから」と本当に話すのが苦手ではなかったようです。北勝海は千代の富士休場の場所に強く、九重部屋で一年間6場所すべて優勝した年もありました。

相撲ぶりは突き押しですが、時に組むこともあります。気負いすぎて立ち合いではたかれるような黒星もありましたが、まずは突き押しで先手を取り、流れで組むこともありました。同じ十勝地方出身の大乃国とはライバル関係で、何度か優勝争いを演じています。北勝海は優勝8回と、横綱としては十分合格点の成績も残しています。

もっとも、北勝海は28歳と早すぎる引退になってしまいました。その理由は、あまりにも多すぎた稽古量故に痛めてしまった腰でした。様々な治療法を試し、中には腰を冷やして腹筋背筋を繰り返す逆療法の「冷凍療法」にも挑んだこともありました。そのため、晩年は休場が多く、若貴兄弟や曙などの若手の台頭の前に土俵を去ることになりました。

親方としては北勝力、隠岐の海を関脇まで育てています。努力で横綱の地位を築いただけに、人望も厚かったようで、理事長として角界を代表する立場に立っています。強さよりは真面目さが光った、千代の富士時代の一人の脇役だった印象です。

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