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稀勢の里の記憶

2020-06-05 22:46:34 | 他スポーツ
記憶ネタは、元横綱稀勢の里の記憶です。稀勢の里は十両まで本名の萩原で取っていました。出世は早く、17歳で幕下上位、18歳で幕内とかつての貴乃花を思わせるスピード出世でした。当時、同じように若くして上位に上がってきた元大関琴欧洲と二人で「曙貴時代」の再現を期待する声もありました。結果的にそこまでは行きませんでしたが、横綱と大関に上がったことである程度期待に応えたかに思えます。

もっとも、稀勢の里は前頭上位で長く足止めを食らうことになります。その理由として、大きかったのは稀勢の里が闘争本能で相撲を取るタイプだったことです。そのため、取組終了後に自分の相撲を覚えていないことが多く、白鵬の63連勝を止めるなど上位に勝つことはあっても、下位相手に安定して勝利を挙げられなかったことが、出世の遅れにつながりました。

それでも、大関には上がることができましたが、今度は大関で長く足止めを食らいます。負け越してカド番になることは1度だけと、大関として安定した成績は残していましたが、横綱に上がるためには優勝が必要で、その「優勝」をなかなかつかむことができませんでした。特に2011年夏場所は、勝てば平幕相手の決定戦と圧倒的に優位な条件だった千秋楽で、把瑠都に敗れ決定戦を逃す勝負弱さも見せた大関でした。

もっとも、以前は何が何でも連続優勝しなければ横綱に上げないとかたくなだった相撲協会が、鶴竜あたりから昇進の基準が下がり、2場所優勝に「準じる成績」でも横綱に推挙するようになってきました。その準じる成績を、2017年初場所でようやくクリアし、遅まきながら横綱に昇進します。ライバル琴欧洲の引退後です。

横綱としての稀勢の里は、新横綱の場所で大胸筋を断裂しながら出場し優勝した無理がたたって、出場しても早い時期に負けが込んで休場する悪い流れを断ち切れませんでした。横綱としてはワースト記録である8連敗、横綱勝率5割など、横綱として十分な成績を収めることはできませんでした。それでも、大横綱白鵬の時代で、その壁に向かっていった彼の相撲を応援したファンはたくさんいました。

今は荒磯親方として後進の指導に当たっています。今でも回しを締めて、高安や琴奨菊らと稽古しているとも聞きます。解説をさせてもうまく、「ちゃんこ番をさせる時間があったらその時間で稽古させる」と相撲界の慣習にも挑戦しようとしています。こういうタイプから相撲界が変わってくるかもしれないと期待させる「ニューリーダー」です。
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