今の番付こそ平幕下位ですが、元大関の実績を誇る琴奨菊の記憶です。琴奨菊は福岡県柳川市の出身で、高校は明徳義塾に越境入学しています。先日引退した高校時代からのライバル豊ノ島と、国体の高知県選抜で団体戦を組んだこともある浅からぬ縁です。琴奨菊は平幕時代はブログ力士としても知られ、ファンからの質問に答えたりもしていました。
豊ノ島もライバルですが、大相撲の世界でのライバルは稀勢の里だったことでしょう。ちょうど同じ時期に大関に昇進し、日本出身力士で10年間途絶えていた優勝を争うライバルでした。琴奨菊対稀勢の里は対戦回数の多さで歴代最多という記録が残っており、同じような位置で毎場所対戦があったからこその記録です。
その、日本出身力士10年ぶりの優勝は、琴奨菊が先に達成することになります。稀勢の里が何度も惜しい位置まで行きますが、勝負弱さで何度も逃していました。その隙に初優勝を果たしたのが琴奨菊で、当時は左四つ速攻という明確な型がありました。白鵬、日馬富士、鶴竜の壁を自力で突破した、掛け値なしの快挙でした。
当時、初優勝と自身の結婚が重なったので、「日本一幸せな人」と当時ちょっとした話題になりました。気配りの人という一面もあり、関取残留が危なかった雅山に手紙を書いて激励したことや、巡業でお客さんの入りが悪かったゾーンで自らサイン会を開いてお客さんを呼んだというエピソードも紹介されていました。
もっとも、この優勝は31歳のときで、この強さは長続きしませんでした。負傷続きで膝のテーピングが取れることはなく、初優勝から1年後には大関陥落という苦い結果に終わります。翌場所で10勝すれば復帰でしたが、なんとあと1勝足りない9勝に終わり、その後は平幕で長く相撲を取ることになります。師匠の佐渡ヶ嶽親方は引退はさせないと明言しており、平幕でも取ることは了解の上でした。
今は、6場所連続負け越し中と、幕内維持が危ない状況にあります。それでも、よく36歳まで相撲を取っており、年寄株「秀ノ山」も持っており指導者になることはできます。左を差せば今でも速攻を見せられますが、最近は土俵に落ちることも多くなってきました。長く頑張って欲しいですが、目標は勝ち越しということになるでしょう。
豊ノ島もライバルですが、大相撲の世界でのライバルは稀勢の里だったことでしょう。ちょうど同じ時期に大関に昇進し、日本出身力士で10年間途絶えていた優勝を争うライバルでした。琴奨菊対稀勢の里は対戦回数の多さで歴代最多という記録が残っており、同じような位置で毎場所対戦があったからこその記録です。
その、日本出身力士10年ぶりの優勝は、琴奨菊が先に達成することになります。稀勢の里が何度も惜しい位置まで行きますが、勝負弱さで何度も逃していました。その隙に初優勝を果たしたのが琴奨菊で、当時は左四つ速攻という明確な型がありました。白鵬、日馬富士、鶴竜の壁を自力で突破した、掛け値なしの快挙でした。
当時、初優勝と自身の結婚が重なったので、「日本一幸せな人」と当時ちょっとした話題になりました。気配りの人という一面もあり、関取残留が危なかった雅山に手紙を書いて激励したことや、巡業でお客さんの入りが悪かったゾーンで自らサイン会を開いてお客さんを呼んだというエピソードも紹介されていました。
もっとも、この優勝は31歳のときで、この強さは長続きしませんでした。負傷続きで膝のテーピングが取れることはなく、初優勝から1年後には大関陥落という苦い結果に終わります。翌場所で10勝すれば復帰でしたが、なんとあと1勝足りない9勝に終わり、その後は平幕で長く相撲を取ることになります。師匠の佐渡ヶ嶽親方は引退はさせないと明言しており、平幕でも取ることは了解の上でした。
今は、6場所連続負け越し中と、幕内維持が危ない状況にあります。それでも、よく36歳まで相撲を取っており、年寄株「秀ノ山」も持っており指導者になることはできます。左を差せば今でも速攻を見せられますが、最近は土俵に落ちることも多くなってきました。長く頑張って欲しいですが、目標は勝ち越しということになるでしょう。