古いネタですが、EUROのフランス対オランダ戦をやっと見ました。この試合はフランスが大敗し、同世代のヒーローと崇め奉っていたチュラムの動きが良くなかったことも知っていましたが、ファンである以上チュラムの最後の姿を見届けるのも義務と思ってあえて見ました。
チュラムは、142試合の代表歴がありながら、代表でのゴールはわずか2点しかありません。なぜなら、セットプレーで上がらないからですが、その2点はこれ以上はないほど、重要な場面で生まれました。それは、フランスが地元優勝を果たした、1998年のW杯準決勝のクロアチア戦でした。
当時のフランス代表には、デサイー、ブランと強力なCBがいて、本来はCBのチュラムは右SBで出ていました。ただ、あまりチュラムの攻撃参加のイメージはなかったのですが、このクロアチア戦だけ思い出したように上がって、強烈なミドルシュートをたたき込んでいます。
当時在籍していたパルマのチームメイトだったクロアチア代表のスタニッチは、攻撃力はほとんどないという情報をチームに与えていましたから、まさに意表を突くゴールでした。ただ、チュラムの本当の価値はそれではありません。全盛期は、ヘディングでも無敵、ドリブルでも抜けないというパーフェクトなCBでした。
その活躍は、パルマという小さなチームではとどまらず、イタリアNo.1の名門のユベントスに引き抜かれています。ユベントスが不正事件でセリエBに降格したので、バルセロナに移籍しましたが、ユベントスでも鉄壁の守備を誇っていました。
ただ、オランダ戦でのチュラムは、かつてのストッパータイプのイメージからは様変わりしていました。スピードが落ちていて、どうしても前からSBがチェックしてくれないと、得意のカバーリングができないリベロタイプになっていました。そんなチュラムを、オランダは徹底的に狙ってきました。
オランダの2点目の場面、右SBのサニョルが上がっていたタイミングで、俊足のロッベンを走らせると、チュラムのスピードでは対応ができませんでした。ロッベンの個人技にやられた3点目は、もう見ていられませんでした。人はいつか衰える、その現実を知らされました。
しかし、チュラムもクラブチームでは現役を続けるでしょうし、同世代がいなくなった後もEUROもW杯も続きます。我々ファンは、また新しくなった代表チームを見続けるでしょう。ちょっとショックでしたが、すぐに切り替えて、また明日からサッカーを見ることでしょう。
チュラムは、142試合の代表歴がありながら、代表でのゴールはわずか2点しかありません。なぜなら、セットプレーで上がらないからですが、その2点はこれ以上はないほど、重要な場面で生まれました。それは、フランスが地元優勝を果たした、1998年のW杯準決勝のクロアチア戦でした。
当時のフランス代表には、デサイー、ブランと強力なCBがいて、本来はCBのチュラムは右SBで出ていました。ただ、あまりチュラムの攻撃参加のイメージはなかったのですが、このクロアチア戦だけ思い出したように上がって、強烈なミドルシュートをたたき込んでいます。
当時在籍していたパルマのチームメイトだったクロアチア代表のスタニッチは、攻撃力はほとんどないという情報をチームに与えていましたから、まさに意表を突くゴールでした。ただ、チュラムの本当の価値はそれではありません。全盛期は、ヘディングでも無敵、ドリブルでも抜けないというパーフェクトなCBでした。
その活躍は、パルマという小さなチームではとどまらず、イタリアNo.1の名門のユベントスに引き抜かれています。ユベントスが不正事件でセリエBに降格したので、バルセロナに移籍しましたが、ユベントスでも鉄壁の守備を誇っていました。
ただ、オランダ戦でのチュラムは、かつてのストッパータイプのイメージからは様変わりしていました。スピードが落ちていて、どうしても前からSBがチェックしてくれないと、得意のカバーリングができないリベロタイプになっていました。そんなチュラムを、オランダは徹底的に狙ってきました。
オランダの2点目の場面、右SBのサニョルが上がっていたタイミングで、俊足のロッベンを走らせると、チュラムのスピードでは対応ができませんでした。ロッベンの個人技にやられた3点目は、もう見ていられませんでした。人はいつか衰える、その現実を知らされました。
しかし、チュラムもクラブチームでは現役を続けるでしょうし、同世代がいなくなった後もEUROもW杯も続きます。我々ファンは、また新しくなった代表チームを見続けるでしょう。ちょっとショックでしたが、すぐに切り替えて、また明日からサッカーを見ることでしょう。