今日はどうしてもネタが思いつかなかったので、困ったときの昔話で、1997年国立競技場でのW杯最終予選、日本対韓国の思い出です。当時、私は代表の4試合セット券を、徹夜で行列して手に入れ、この試合はスタンドに座っていました。通路まで人があふれ、トイレにすら行けない、そんな日本サッカー史上最も熱く燃えた試合だったと感じます。
そんな試合は、韓国のがちがちのマンツーマンが印象的でした。日本の2トップ、カズに崔英一が、呂比須に李敏成が付き、攻撃的MFの中田英寿と名波にもマンツーマンで付く、それまで精神力や根性を前面に出すことの多かった、これが韓国スタイルと言えるサッカーでした。
3-5-2の韓国は、崔龍洙と高正云の2トップでした。ターゲットマンの崔龍洙とアタッカータイプの高正云だったような記憶です。もう20年も前のことなので、試合展開などは忘れましたが、韓国が日本のいいところを消しに行くというスタイルで来たのは、サッカーを見始めてわずか4年だった私の脳裏に残っています。
先制点は日本に入りました。マークされていない、ボランチの山口素弘の攻撃参加からでした。ペナルティーエリアぎりぎりくらいから放ったループシュートが、韓国GK金の頭上を抜いてゴールになりました。今でも、このループシュートは軌道を思い出せるほどです。
当時、日本サッカーは韓国サッカーに勝てないという時代でした。韓国でサッカーが人気がある理由が、日本に勝てるスポーツだからという理由も聞いたことがあります。スタンドの私も「この1点を守れば勝てる」気持ちでした。しかし、それがベンチの加茂監督も同じだったようなのはいただけません。
加茂監督の采配ミスは、FWの呂比須に代えて、DFの秋田を入れた交代でした。高正云をマークしろという指示だったようですが、直前にその高正云が交代していたという、不可解なミスでした。残りはまだ17分もありました。まだ、守りの交代を打つには早すぎる、そんな不安が出てきました。
その通り、徐正源が同点ゴールを決めると、呂比須が交代してマークする相手がいなくなった李敏成が、豪快にミドルシュートを突き刺して逆転され、日本はホーム戦を1-2で落とす苦しい展開になりました。W杯に出ることは、これほどまでに苦しいものなのか、そんな思いで揺れていたことを思い出します。
そんな試合は、韓国のがちがちのマンツーマンが印象的でした。日本の2トップ、カズに崔英一が、呂比須に李敏成が付き、攻撃的MFの中田英寿と名波にもマンツーマンで付く、それまで精神力や根性を前面に出すことの多かった、これが韓国スタイルと言えるサッカーでした。
3-5-2の韓国は、崔龍洙と高正云の2トップでした。ターゲットマンの崔龍洙とアタッカータイプの高正云だったような記憶です。もう20年も前のことなので、試合展開などは忘れましたが、韓国が日本のいいところを消しに行くというスタイルで来たのは、サッカーを見始めてわずか4年だった私の脳裏に残っています。
先制点は日本に入りました。マークされていない、ボランチの山口素弘の攻撃参加からでした。ペナルティーエリアぎりぎりくらいから放ったループシュートが、韓国GK金の頭上を抜いてゴールになりました。今でも、このループシュートは軌道を思い出せるほどです。
当時、日本サッカーは韓国サッカーに勝てないという時代でした。韓国でサッカーが人気がある理由が、日本に勝てるスポーツだからという理由も聞いたことがあります。スタンドの私も「この1点を守れば勝てる」気持ちでした。しかし、それがベンチの加茂監督も同じだったようなのはいただけません。
加茂監督の采配ミスは、FWの呂比須に代えて、DFの秋田を入れた交代でした。高正云をマークしろという指示だったようですが、直前にその高正云が交代していたという、不可解なミスでした。残りはまだ17分もありました。まだ、守りの交代を打つには早すぎる、そんな不安が出てきました。
その通り、徐正源が同点ゴールを決めると、呂比須が交代してマークする相手がいなくなった李敏成が、豪快にミドルシュートを突き刺して逆転され、日本はホーム戦を1-2で落とす苦しい展開になりました。W杯に出ることは、これほどまでに苦しいものなのか、そんな思いで揺れていたことを思い出します。