黄葉
もしかして 萩?
草冠に秋の 萩の 萩の黄葉
内堀の向こうは 本丸 桜の木
こちら側 内堀東側 二の丸 梅の新芽
上側の 横長の石の積み方からして
抜けたのではなく
あきらかに 排水口ですね
水位の痕からして かなり低い位置にありますね
なんで 水面ギリギリ 水没する位置 なんでしょうね
着見矢倉
月見櫓
どっちなのか 古図からも 読み取れない
山口移鎮
文久三年 七月二十日 (1863年9月4日)
毛利輝元入城から259年
第2次長州征討出兵命令
慶応元年 十一月七日 (1865年12月24日)
第二次長州征討開戦
慶応二年六月七日 (1866年7月18日)
六月 七日 周防大島
幕府軍艦の砲撃 松山藩の狼藉
この遺恨で後に松山城引き渡しとなる
十三日 芸州口・小瀬川口
長州藩、岩国藩 vs 幕府歩兵隊、紀州藩兵・彦根藩、高田藩
十六日 石州口
大村益次郎が浜田城陥落させる
藩兵が火を放ち殆ど焼失
十七日 小倉口
高杉、山県有朋 vs 小笠原の小倉戦争
小倉藩は小倉城に火を放って退却
九月二日 停戦合意
慶喜の意を受けた勝海舟と
長州の広沢真臣・井上馨
宮島で会談した
ここには 石段があったのだろうか
山口移鎮
しなかったら
萩城は 残っていたかもしれない
しなかったら
萩城は 残っていたかもしれない
もしくは
艦砲射撃を受けていた
艦砲射撃を受けていた
なんて ことはないのだろうか?
なんだろ? 排水溝にしちゃ 雑?
でも なにか… なんでしょうけどね
これは
古図 にもない 石垣スリット
案内板は キャンプ場閉鎖の旨…
こりゃ~ 近年の 仕業のようです
すぐ脇の 石段は 400年
華矢倉 というのも 珍しい
大河 「花燃ゆ」
関係あるのでしょうか
観てなかったのでわかりませんが…
そんなに高い石垣ではない
海側は 林になっている
この辺 粗いね
そんまんまになってる とも言える
落ちたの 最近ですね
合坂
半壊
事故の危険性が少なそうなら
手を加えない ってことだろうか
本丸 天守閣周辺以外は こういう感じだった
崩れていると 内部の状態が 見れる
なかなか直すのも大変です。
黄色の萩も郷愁を誘う……いや別に萩が故郷ではありませんが。
何か雰囲気がありますねえ。
手を加えるのも手続きとか、許可とか要るんでしょうかね~?
崩れてるも気にはならないというか、かえって年月感じます。