今晩の夜学は、道綽禅師について教えていただきました。
道綽禅師64歳のときのこと、
道選の、「我が命まさに尽きんとす。これから何処に生まれるか?」の質問に、
道綽禅師は、「西方に浄土あり。その国を安養と名付ける。それに生ぜんことを願うべし」と答えられたそうだ。
知識の伝達なら、このことを教えてくれるだけで良い。
ただ、現代に生きる我々には、「西方の浄土」と言ってもストンと落ちないのではないだろうか?
現代の我々も、「命尽きて、何処に生まれるか?」は大テーマであるだろう。
しかし、知識の伝達はあちらこちらでみられるが、その答えを「我がこととして語ってくれる人」は、希である。
仏道に限らず、知識や概念を語る人は大勢いるが、そのことを我がこととして生の言葉で語る人は希である。
教育ののこと、カウンセリングのことを語るとき、「我がこととして語る」ことを忘れないよう自省したいものである。