エンデが最後に話したこと
「ものがたりの余白」
ミヒャエル・エンデ
田村都志夫(聞き手・編訳)
岩波現代文庫
2009年11月13日 第1刷発行
仕事の帰りに、上記一冊を購入した。
まだ、拾い読み段階であるが、次の一文が目に刺さったので、早速【落穂拾い】。
言うまでもないことだが、エンデは『モモ』『はてしない物語』の著者。ドイツの児童文学作家である。
★船が難破すれば、人はともかく悲惨な状態ですが、どこからさらに力が出てくるのでしょうか?
エンデ:「遊び」です。「遊戯」がわたしにとって、いかに大切かを、いつも強調してきましたし、これからも飽くことなく強調するつもりです。なぜなら、挫(クジ)けることなくしっかりとしているのは遊戯だけだからです。
(ナチスの)強制収容所においてさえ、そうでした。・・・(以下略)
★くりかえしになるかもしれませんが、でも、ここで、たとえば、恋人を失った若者がいるとしたら、そのような若者が、どこに遊びを見つけるのでしょうか?どうでしょう?
エンデ:(略)そして、わたしは、遊びやユーモアは、そんなに自分のことをおおげさにとらなくてもいいように、自分の船が難破した後、そんなに思い詰めなくてもいいようにしてくれると思うんです。つまり、いや、そうじゃないんだよ。起きたことは、実は人間の運命そのものなんだって、だからそんなにひどく嘆くことではないってね。
さて、少々手前味噌です恐縮ですが、カウンセリング研究会【くりのみ】のキャッチコピーを、“ならい処”“あそび処”“やすみ処”とした心と、エンデさんの心と重なっているかな?と思いながら、本書を読み進めているところです。