里村専精師の「浄土真宗にようこそ」(No027)をお届けします。
浄土真宗にようこそ(027)
無量寿経に、翻訳者の意図を感じる部分が多数あります。
その一つなのですが、無量寿仏という名前があります。
何かが変なのですが、あまり注意されてはいません。
無量寿仏と書かれている部分の梵本では、実は無量光になっているのです。
つまり翻訳者は、おそらく意図的に無量寿仏という名前を選んでいるのです。
無量光仏はアミターバーですが、無量寿仏はアミターユスです。
翻訳者が、絶対に間違えるはずはないのです。
もっとも現在見られる梵本が新しく、12世紀前後のものしかないのですし…。
3世紀の翻訳では、ちょっと原本が予測できないのですが…。
けれどもやはり…、何かそこに意図を感じます。
一体、無量寿仏とはどういう意味を持つブッダ・如来なのでしょうか。
一般には無量寿ですから、永遠の生命を持つ「ほとけ」という意味なのでしょう。
それも大切な意味なのですが、無量寿とはもう一つの意味をもっています。
そのことを翻訳者は言いたかったのではないでしょうか。
その意味とは、無量のと言うか無数の生命という意味です。
ありとあらゆる生命と対応している「ほとけ」、それが無量寿仏なのです。
無上殊勝の願を建立されたとありますが、無上であり殊勝であるとは…、
その本願が、あらゆる生命と呼応しているからなのです。
一つの例外もなく、すべての生命と呼応して、巨大なサンガを目指した本願。
それを「無上殊勝の願」と呼び「希有の大弘誓」と無量寿経は讚えているのです。
無量寿仏は、「無上殊勝の願」に報いて現に大いなる説法を続けておられる…。
そのような意図を、翻訳者は無量光というよりは無量寿仏と翻訳している…。
実際に念仏する人には、遥かに誰とも呼応される無量寿仏。
そういう本願の主体が、かつても在り今も在りそして未来にも呼応されています。
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