法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

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里村専精師 「浄土真宗にようこそ」No44

2015年09月26日 23時47分44秒 | 里村専精師の言葉

里村専精先生の「浄土真宗にようこそ」No44をお届けします。 

「二」という数字を、しばらく追っかけてみます。
道綽(562-645)禅師がおっしゃった大切な言葉が、「聖浄二門判」です。
聖道門と浄土門の二つが、際立って明確に違った仏道を意味しているというのです。
禅師と呼ばれた道綽が、長年求めた仏道の結論に出あったのは、玄中寺においてでした。
禅師は、何歳で玄中寺を訪れたのでしょうか。
中国の仏教を学んで、かなりの歳月を費やされたはずです。
そして玄中寺で見たもの。それは感動的で、禅師の生き方を一変させるものでした。
仏道は聖道なのですが、はたして中国の仏教が聖道か…、大きな疑念が沸きました。
自力の聖道ということは、実は成り立たないのです。
ブッダが歩き、サンガがともにしたがった大道が聖道です。
釈尊は、サンガとともにその聖道を「中道」とも表現されています。
苦楽の二辺を離れたが故に、その仏道は中道だというのです。
苦行(苦しい生活方法)によったものでもなく、楽行によったものでもないのです。
仏道は、世間の法を超えて、真実の智慧で開かれているからです。
そのことはインドでは自明のことでした。が、中国では、智慧・神通という言葉が邪魔します。
仏道は、智慧で開かれ神通で展開されるものなのです。
それが分からないと、仏教は遥かに遠い哲学になってしまいます。
道綽禅師も、そのような遥かな哲学を学んでいたのではないでしょうか。
が、一転して、玄中寺のサンガを見つめました。
そこには曇鸞大師が生きられた仏道が、リアルに知られるものがあったのです。
「浄土門」と禅師は呼びましたが、大きな阿弥陀仏の本願のサンガ世界を見つめるものでした。
「連続無窮」の智慧と神通の展開が、そこにはありました。
神通は、智慧の深みを言います。元の言葉はアビンニャで、智慧のンニャを超えたものです。
禅師は、中国の大地に展開する本願の業績を、感嘆して見つめられたのです。
如来本願の仏道を、改めて浄土門と名づけられて、中国流の聖道門と区別されました。
聖道・浄土の二門の判定は、一人の中国人の智慧と神通の展開が語ったものなのです。

十月の「くりのみ会」親鸞とカウンセリング・楽談会は、
10月31日(土)に開催します。

 

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