里村専精先生の「浄土真宗にようこそ」No43をお届けします。
「二」という数字の続きです。
曇鸞大師には、「往還二回向」という大切な言葉が残されています。
世親菩薩の「入出二門」の回向を承けて、曇鸞大師の浄土論註に述べられたものは他力回向でした。
その回向に往相と還相の二つがあるというのが、その大切な仏道体験でした。
仏道は釈尊を始めとして、他力が本義だったものですから、それは出世間道だと示されていました。
我々凡夫が、ブッダ如来の根源的救済の事業に預かるのを、往相回向と示されています。
他力ということは、我々の本源を仏道そのものが促してくれているということなのです。
そこに如来あるいは、仏道全体の行があるのです。
我々の往相と還相を催す大行を、曇鸞大師は如来の二回向なのだと示されました。
無量寿経あるいは浄土論に触れるまでの曇鸞大師に、決して問題にならなかった言葉が「二」です。
この場合、曇鸞大師にとって大切な善き人菩提流支があり、世親の願生偈がありました。
もっとも、龍樹菩薩の十住毘婆沙論も忘れることはできません。
そういう歴史を貫く事業は、そのままに如来あるいは仏道そのものの大行なのです。
そのような行に促されて、曇鸞大師に仏道の感動が訪れました。
遥かに歴史を縫って、無量寿経の仏道が出現し・世親菩薩の相応行がありました。
それらが曇鸞大師を包んで、遥かに全宇宙まで見渡されるサンガ世界が開けてきます。
如来本願の行が荘厳する世界には、三世十方のブッダたちも包まれています。
「四海のうちみな兄弟だ」と、そのサンガ世界を曇鸞大師は見つめています。
「眷属は無量である」とも、その言葉は続いています。
阿彌陀仏の浄土とは、あらゆる衆生世間を課題にしたものなのではないでしょうか。
曇鸞大師にとって、その救済とは総ての衆生とともに救われるという大きなものでした。
この救済をもたらすものが、「往還の二回向」という如来の行だったのでした。
9月26日(土)の親鸞とカウンセリングコースは、
『教行信証』教巻のご自釈の箇所を音読します。
「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。
一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について、真実の教行信証あり」
皆さんで、学んでいきたいと思います。
ぜひ、お出かけください。