お見事。
クルム伊達選手が、第83回全日本選手権の女子シングルスで、16年ぶり3回目の優勝を果たしたそうだ。
さすがー 伊達選手。
一方、日本の若手が少々だらしないですね。奮起を期待したいものです。
来年の全豪の活躍が本当に楽しみです。
お見事。
クルム伊達選手が、第83回全日本選手権の女子シングルスで、16年ぶり3回目の優勝を果たしたそうだ。
さすがー 伊達選手。
一方、日本の若手が少々だらしないですね。奮起を期待したいものです。
来年の全豪の活躍が本当に楽しみです。
知り合いが勤務する小学校の展覧会を参観させてもらいました。
久しぶりの小学生の展覧会です。
子どもの作品は、いつ見ても良いですね。
どんな芸術家も、子どもの作品には負けるでしょう。
写真は、体育館の床に表現した作品です。
床に額縁を作り、その中に、おはじき、小石、割り箸、爪楊枝、ゼムクリップetcを並べていました。
まさに、現代アートです。
展覧会参加の後、近くのレストランに昔の仲間が集い、美味しいワインをいただきました。
テニスの全日本選手権の女子シングルス準決勝で、今春現役復帰したクルム伊達公子(エステティックTBC)が昨年優勝の第1シード、中村藍子(ニッケ)を6-3、6-3のストレートで破って15日の決勝に進んだそうだ。
お見事である。
ぜひ、優勝してもらいたいものだ。
前期高齢者のテニス好きの私であるが、若者よりもサーブが速いのが自慢。
伊達さん、若い者をいじめ(意地をみる)ましょう!
この頃、気になっているのは、LDとかアスペルガー症候群とかの診断名が一人歩きしているように思う。
先日のケースもそうである。
我が子の様子を知り合いの臨床心理士に話したところ、「LDかもしれない」と言われたそうだ。
詳細は省略するが、臨床心理士だとかカウンセラーが多くなり、行政主導の特別支援教育が進められている中で、診断名が横行しているように思うのだが・・・私の取り越し苦労なのだろうか!
診断名をいくらつけても何の役に立たないように思う。
診断名をつけるのが好きな専門家?が増える現実に本当に危惧したい毎日である。
診断名をつけても、何の役に立たない。
九州から先輩が上京した。
先輩とは、江東区のE小学校で机を並べていた。
先輩は図工専科。私は高学年の担任をしていた。
お互いに若かったのと、職場に若い男性が多かったので、旅行に行ったり、飲んだり、軟式野球・卓球をしたり、麻雀をしたり…とよく遊んだことを思い出す。
は、先輩の影響もあり、この頃図工専科に変わることを考え始めたものだ。
先輩は、現代美術に取り組まれ、毎年、銀座の画廊で個展をした。
搬入の時などは借り出されブロックなどを運んだ。
退職されると九州に転居され、年に数度上京。一つは病院に通うこと、一つは画廊巡りが目的だそうだ。
時間があるときは一緒に一杯やるのを楽しみにしている。
今日、午後、先輩と銀座で待ち合わせ、現代美術を展示している画廊巡りをした。
このところ、画廊巡りをさぼっていたので、内心痛棒をいただいたものだ。
画廊巡りの後、住吉に移動して、先輩の行きつけの酒場で一杯やって先程帰宅した。
今回の上京で、川村美術館で開催されている《モーリス・ルイス》展が大変良かったと繰り返して話をされていた。
まだ出かけていない。
11月30日(日)が最終日だそうだ。近々出かけようと思う。
川村美術館 《モーリス・ルイス》展
http://kawamura-museum.dic.co.jp/exhibition/index.html
〈くりのみ会〉に参加して下さっている智太郎さんから、ブログへコメントをいただきました。
《智太郎さんのコメント》
読書するには、その読み方が三通りあると聞く。 一つは、ただストーリーだけを追って読む。 二つには、時代的背景、社会情勢を考えながら読む。 三には、作者の思想、意図など、作者自身の人間を、洞察して読む。なかでも、とくに大事なのは三番目で、そうでないと、作品を十分に理解することはできない。 すべての著作は、これを読む人との対話であり、著者と読者との共同作品でもあると、自分は思う。
《私からのレスポンス》
智太郎さんこんばんは。
お久しぶりです。
読書には、読み方が三通りあるんですね。
了解です。
私の師匠も、三通りの読書法を提示していました。
参考までに…
①発散の読書
②教養の読書
③薫染の読書
中でも、薫染の読書を勧めれれていました。
三にちなんでの発展。
『臨床瑣談』の中にも、読書がらみではありませんが三がありました。
引用させていただきます。
診断とはレッテル貼りだという。ありうる誤解のために一言しておこう。T・S・エリオットは猫についての戯詩(邦訳、北村太郎『ふしぎ猫マキャヴィティ』)で、猫には三つの名があるという。世間通用の名、その猫の名、そして猫世界の名である。診断にも、それに似た三種がある。(少し省略しながら続けます)
①世間通用の猫の名
②その猫独自の名
③猫世界の名
患者のアイデンティティ(自己規定)が「何々病」「何々症」という精神科の病名や症状名になるのは悲劇的である。患者自身の自己評価に加わることが悲劇的なのである。「私は何々症です」には「きみは何々症そのものかね」「はぁ」「何々症が服を着てあるいているのかね」と応対したい。精神科医は、症状を無視するのではないが、面接の焦点は人柄に置きつづける努力が重要だろう。
智太郎さんのコメントに触発されて、「臨書瑣談」に引き戻されて、中井氏との対話を楽しんでいます。
本日午後、教育相談研修会の講師を依頼されて出かけた。
教育現場は、団塊の先生方の退職で、随分若返ってきたように思う。
40名ほどの先生方も、お若い方が多かった。
恩師・五十嵐正美先生は、「教育相談(カウンセリング)の学びは、日々の教育実践の裏打ち」と教えてくださった。
私も、五十嵐先生の教えを下敷きにして、先生方の学級経営・教科指導・生活指導の基盤に教育相談(カウンセリング)の学びを置くことの大切さを話させてもらった。
若い先生方が、教育相談(カウンセリング)の学びを通して、「自己をならう」ことの大切さに気づいてもらいたいと思ったものだ。