尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

森まゆみさんの本②

2011年06月20日 22時21分04秒 | 〃 (さまざまな本)
 森まゆみさんという人は、ウィキペディアから引用すると「日本のノンフィクション作家、エッセイスト、編集者、市民運動家」ということになる。
 この人は「谷根千」を出したことで有名になったわけだが、調べてみると1984年のことである。「谷根千」とは、東京都文京区、台東区にかけての「谷中、根津、千駄木」のことである。東京東部の古い下町的な地域で、その地域に住む人々の聞き書きなどを載せて、面白い地域雑誌として有名になった

 2009年に終刊になった「谷根千」を僕は読んだことがない。その地域に行ったことはあるが、わざわざ寄り道して常連になることはなく、僕のような東京東部に住んでる者にとっても、まあ一種の観光スポットなのである。
 東京は西へ西へと発展していて、都庁が有楽町から新宿へ移ったことがその象徴である。(しかし、有楽町の東京国際フォーラムが昔都庁だったことも知らない人が多くなった。)新宿、渋谷から、さらに吉祥寺、下北沢、代官山、成城などが有名になって、おしゃれなブティックやイタリアンの店なんかがあるらしい。東京の西の方に生まれた人は、生い立ちを語るだけで売り物になる。そこに東部の人間からすると、羨望というか嫉妬があるのである。一方、東部でも浅草、深川などと違い、「谷根千」は厳密に言えば下町ではない。江戸までさかのぼれば郊外で、「根岸の里のわび住い」である。しかし、東京は震災、戦災で壊滅し郊外に広がったため、谷根千も古い情緒を残す地域として再発見された。そこが足立区あたりからすると、ちょっと悔しい。東京も広くていろいろ複雑なのである。
 
 で、僕は「谷根千」は地方によくあるタウン誌のようなものだと思っていて、森さんのことも長いこと「主婦の余技」みたいな感じで地域活動をする人だと読みもしないで思い込んでいた。

 森さんがだんだん谷根千の体験を本にし始め、90年代後半には「谷中スケッチブック」「不思議の町根津」などがちくま文庫に入った。何を最初に読んだのか忘れたが、いずれにしてもなんかのついでに買ったのである。つまり、まあもう一冊買っちゃうか、みたいな時ってあるでしょう。で、読んだらこれが面白い。つい他の本も買ってみる。みな面白い。そのうち、文春文庫で出た「明治快女伝」を読んでわかった。これは別名義で若い時に出てた本だが、森さんは一貫してフェミニズム女性史家であり、社会運動家であり、しかし何よりも人間という興味深い生きものに関心を持ち続ける人だったのだ。

 だから、谷根千を出しながら森さんは芸大の奏楽堂保存運動など、文化財の保護運動を始めていった。また、新内語りの岡本文弥、「森のひと」四手井綱英などのような素晴らしい老人の聞き書きをまとめている。それが過去に目を向けると、地元を生かして一葉、鴎外の本が多いが、同時に近代女性史への関心も高い。ということで、90年代後半に僕は森まゆみという作家を発見したわけである。

 そして、この人はただ者ではない、と確信した文章を読んだ。河出の文藝別冊「追悼特集 須賀敦子」(1998年)に寄せた追悼評伝「心に伽藍を建てる人」である。僕は須賀敦子さんが人生の晩年になって語り始めたイタリア体験の物語が大好きで、とても好きだからブログに書きたくないくらい。(人に言いたくない。)ずっと読んでた須賀さんが1998年に逝去してショックだったが、この評伝には心打たれた。このように心のこもった、誠実で暖かく、しかも鋭い追悼の評伝を他に読んだことがあったろうか。

 というわけで、文庫主体だが森さんの本はたくさん読んでいて、東京グルメ案内みたいな、昔からの店を紹介した本も重宝しているが、一番心に残っているのが「大正美人伝 林きむ子の生涯」である。これは出てすぐ買った。林きむ子と言っても普通誰も知らないだろうが、僕は名前は知っていた。「大正三美人」とも言う。他は九条武子、柳原白蓮だから、近代史家なら誰でも知ってる名前だが、この人だけ知らない。しかし、大正の新聞、雑誌を昔いろいろ調べたことがあるのだが、「日向男爵未亡人きむ子女史の再婚問題を識者に問う」みたいな特集記事がいっぱいあるのである。誰、この人?そもそも「きむ子」という名前が脱臭剤みたいで何だという感じだが、これは昔の書き方で本名は「きん」である。男爵夫人だった社交界の花形美人が、政治家だった夫が疑獄事件に巻き込まれ死去したあと、6人の子があったが、9歳年下の男性と再婚した。今でもけっこうワイドショーで騒がれそうだ。新夫は後に「うみ」や「おうま」を作る作詞家。きむ子も舞踊で知られ、二人の間には子どもも二人生まれるが、戦後は夫は離れていき…、となかなか波乱万丈の人生だが、単なる美人ではなく頑張って大正、昭和を生きぬいた素晴らしい人生である。そういう人の本格評伝。長年の疑問が完全解決した、僕にとって忘れられない本である。(森さんの話はもう一回。)
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