尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

東電の個人株主として

2011年06月23日 22時55分17秒 |  〃 (原発)
 21世紀に入ってから、幸か不幸かいろいろな問題に良く当たる。都教委の「高校改革」で、当時勤務していた夜間定時制は閉課程、母校の白鴎高校は中高一貫校。その白鴎高校附属中で都教委が「つくる会」教科書(扶桑社)を採択。仕方ないので同窓生による反対運動を始めて7年目。(先週「会報8号」を発行した。)安倍内閣では誰も本当にやるとは思っていなかった教員免許更新制度が成立、自分が第1回目の該当者となる。まさかそのまま実施されるわけはないと思って講習を受けずにいて退職に追い込まれる。

 さて、その時大いにあてにしていた財産がある。東京電力株である。
 父親の遺産でもらった東電株2000株。昨年9月に増資が発表されて急激に値を下げた。相続当時2400円で、今までは大体の時期でその金額を少し上回っていたのだが、1900円程度に値を下げた。具体的に見てみると、2010.9.6に2494円。それが11.4に1884円。2011.3.11には少し回復していて2121円だった。その後ストップ安で値を下げ続け、6.23現在293円。気になる人は自分で計算してみてください。(売ってないので机上の損失だけど。)

 僕が書きたいのは、二つ。東電株主の責任東電の責任問題(これは明日以後)である。
 僕は父親の遺産で初めて株主というものになった。他に数社の株もあった。不動産、現金、債券を遺族で相続するときに、たまたま東電株が僕に振り当てられた。自分で希望したわけではない。その後、他社株を売り払い、株主優待で映画を見られる会社に買い替えたりした。しかし、東電は持っていた。理由が特にあるわけではないのだが、ネット株じゃないから仕事があると証券会社に連絡しにくい。(3月の暴落時は仕事が多忙すぎて売ろうという気も起こらなかった。)配当が安定しているということもあったけど、なんとなく遺産記念で持っていたというのが正直なところだ。(実は野村證券株もあったけど、証券不祥事が起こったころ、車を買い替える資金のために東電か野村かどっちか売ろうと思い、野村株を売ったのである。)
 ある政治家が値上がり目当てで持ってる株主の責任を追及せよなどと言ってたが、とんでもないことだと思う。もちろんそういう株主もいるだろうが、東電などは安定した財産として長期保有していた人がほとんどだと思う。長期保有する個人株主を育てなくて日本の経済成長はあるのか。

 株主になると株主総会の案内が来るが、初めのうちはせっせと反原発株主提案に賛成票を投じていた。当日参加できない株主のために書面投票のハガキが来るのである。(今はネット投票も可能な会社が多い。)チェルノブイリ原発事故の後は集会やデモも行ったので、91年に相続した時も気持ちは脱原発である。ところが、ここは自分でも反省するところではあるが、ここ数年はハガキでもネットでも投票していなかった。東電だけでなく、どの社にもそうである。自分のような極小株主がどうしようが大勢には何の関係もないからである
 そうはいってもアムネスティのハガキを世界各地の独裁政権には送っていた。そういうことは効果が少なくともやる気になるのだが、正直都教委とか東電なんかのほうが何も言う気がしないのである。反省と言うのは、自分が株主提案に賛成投票し続けなかったことにではなく、なんか何を言っても仕方ないような相手にはもう面倒くさいなという気分が自分の中にあったということに対してである。(「都教委シンドローム」と名付けることにした。)

 僕の株はどの程度の割合かということを調べてみる。昨年10月に2億株以上増資され、現在16億701万7531株が発行済株式総数。計算すると、0.00012%になる。正直言って0.01%くらいかと思ってたけど、二けたも違う。(マイクロパーセントという呼称単位を作りたい。)日本の全有権者が約1億人であるから、選挙を通して僕が日本政治に負ってる責任と権利の方が、東電株主としての責任と権利より8倍も大きい。(小選挙区を考えると、選挙権はもっと大きい。)個人株主などという存在も悲しいくらいに小さなものである。
 しかも選挙というものは原理上1票差で決まることもありうるし、比例代表の場合は自分の入れた票がそのまま割合に反映する。一方、1株1票の株主総会では自分の投票行動がどうであろうが、まあ普通は会社提案が(銀行や保険会社、機関株主などが会社に賛成するので)勝利することが決まっている。(株主提案可決には3分の2を要する。)

 というようなことを思うと、株主運動という行動で日本の大会社を変えるという発想には、正直無力感を感じてしまっていたのである。

 そういう問題を別にして、原発事故に関して株主として倫理的責任はあるかというと、それはないと考えている。もともと株式会社というのは、株を所有する投資家が金銭以外の責任を負わないという「カンパニー・リミテッド」である。様々な会社が不祥事を起こしているが、株主には法的、倫理的責任はないという責任限定をすることで、投資家を集めるというのが資本主義体制下の株式会社である。株主の責任というのは、株が値下がりするか、さらに倒産して無価値になるかもしれないというリスクを負うということにつきる。経営者には経営責任があるが、株主には経営のミスそのものの責任はないわけである。

 それにしても、なんでこのような時期(退職しようという時期)にこんなことが起こったのか。この事故に関してはいろいろと考えることが多いけど、津波被害を受けた上避難生活を強いられている人がいることに比べれば、自分で買ったわけでもない株が下がるくらいで音を上げたりはしない。けど、ずっと持ってても配当が復活する日が来るのだろうかとか、国策の間違いなんだから何とかしてくれと思わないでもない。ホリエモンが有罪確定で収監されたけど、原発は安全だと言った学者や今まで推進してきた政治家は、はるかに大きな被害を株主や株式市場に与えたことをよくよく痛感して欲しい。
コメント
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