映画「マイ・バック・ページ」。山下敦弘監督。妻夫木聡、松山ケンイチ主演。
公開から時間がたって、もうあまりやってないけどやっと見た。映画としてというより、モデルになった人物や事件への興味関心。この映画は「僕の前の世代の失敗についての物語」である。
監督の山下敦弘は1976年生まれで、71年の事件当時は知らない世代である。この監督は「天然コケッコー」「リンダリンダリンダ」などを作った人で、特に後者は地方の高校文化祭のたるいムードがよく出てて大好きである。正直言って筋を知ってる本作より、今までの作品の方がずっと好きだが、若い世代が見るとどうなんだろう?
この作品の原作は川本三郎さん。森まゆみさんと同じくらいよく読んでる。映画は名前を変えてフィクション化してるけど、僕は基本的な人物は実名で書きたい。川本さんは朝日ジャーナル記者だったけど、過激派の自衛隊襲撃(自衛官殺害)事件の犯人と接触し証拠品の腕章を預かり焼却した。そのことが「証拠隠滅」として逮捕起訴され、朝日は解雇された。川本という人はどうなるんだろうと僕はすごく気になったが、当時の週刊誌に「前から他の雑誌に映画の話なんか書いてたから、映画評論で生きてくんじゃないか」と書いてあった。そのうち本当に映画や文学の評論で有名になった。時代劇や西部劇、都市論、荷風や林芙美子など様々な本があるが、「大正幻影」や町歩きの本が好き。
モデルになった事件は、川本三郎を評論家にし、滝田修(竹本信弘京大助手)を「逃亡者」にしたという副産物がなければ忘れられてる。僕も本当は忘れたい。革命(または犯罪)の歴史に残るような事件ではなかった。それは主犯が「偽物」だったからである。革命家としてではなくて、人間として。その偽物性を松山ケンイチがとてもうまく演じていて、こういう人はいるなあと思った。会社にも学校にも。ずいぶんあったですよ。弁舌さわやかで自己正当化しかしない。そこそこ魅力があって、事務もできるから平時にはだませるが、肝心の時に裏切る。そういうことを思うと、初めから「ダメなヤツ」「単なるいい人」を通せる人の方がずっとましなのである。
人間をある程度見て来て、僕はこの映画の松山ケンイチの偽物性の演出、演技を素晴らしいと思った。しかし、僕も若い時なら見抜けたか。自信はない。思うと恥ずかしいような過去は誰にでもあるだろう。でもあの時代には実際に傷つけあうことまで進んでしまった。(いや、もう少しするとマジメで有能な青年たちが教祖のために毒ガスをつくる時代が来てしまったが。)
妻夫木(役名沢田=川本)のギターを松山が見つけ、前は音楽をやってたと言う。好きな音楽はと聞かれて「沢田」が「CCRってわかる?」と言うと、「雨を見たかいの雨って、ナパーム弾のことなんですよね」と言って松山は「Have you ever seen the rain?」と弾き語りする。CCRは、「クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル」というグループで、僕はこの曲が大好きだった。心に残る名シーンだが、こうして心優しい青年は騙されてしまう。いや、そういう話だけで済む時代なら、問題はないのかもしれない。
沢田はデートで「ファイブ・イージー・ピーセス」を見に行き、女の子が「ジャック・ニコルソンが最後に泣く場面が良かった」と言う。それに対し、沢田は「男が泣くなんて」と批判する。ボブ・ラファエルソン監督、1971年日本公開のこの映画は僕も大好きで、アメリカン・ニューシネマで一番好きだが、その「泣く場面」には深く心動かされた。この映画に印象的に使われてるカントリーの名曲「スタンド・バイ・ユア・マン」を歌うタミー・ウィネットのLPを買ってしまったくらいである。まあ、アメリカの保守派のど演歌だけど。
僕にとって、男が泣くのは当たり前で、それはアメリカン・ニューシネマと呼ばれた当時のアメリカ映画で学んだ。政治で傷つき、傷つけあうのを見て、人間は右翼・左翼で判断できるものではない。どこにでも信頼できる人はいるし、どこにでも足をすくう人もいると学んだ。前の世代はいつまでうっとうしいと思う時もあるけど、前の世代の失敗に学ぶことで少しスタート地点を先にできたのかもしれない。
松山ケンイチのモデルの人物の名前もよく覚えてるけど書きたくない。あまたの冤罪事件でわかるように警察の取り調べで完全黙秘を貫くのは難しい。革命家を気取るんだから本来は完黙すべきだが、それはまあいいが、自分のために人を売りまくった。「平気でうそをつく人々」の一人だったのである。自分の赤衛軍事件だけじゃなく冤罪ピース缶事件の裁判でも警察側で偽証してる。(偽証は後に賠償請求が認められてる。)そういう人が松山ケンイチではもったいない。映画の話ではないことばかり書いたが、妻夫木、松山の初共演作品として、一見の価値はあるだろう。当時の雰囲気はかなり出てると思う。当時はみんなよく喫煙していた。そういう時代だった。
公開から時間がたって、もうあまりやってないけどやっと見た。映画としてというより、モデルになった人物や事件への興味関心。この映画は「僕の前の世代の失敗についての物語」である。
監督の山下敦弘は1976年生まれで、71年の事件当時は知らない世代である。この監督は「天然コケッコー」「リンダリンダリンダ」などを作った人で、特に後者は地方の高校文化祭のたるいムードがよく出てて大好きである。正直言って筋を知ってる本作より、今までの作品の方がずっと好きだが、若い世代が見るとどうなんだろう?
この作品の原作は川本三郎さん。森まゆみさんと同じくらいよく読んでる。映画は名前を変えてフィクション化してるけど、僕は基本的な人物は実名で書きたい。川本さんは朝日ジャーナル記者だったけど、過激派の自衛隊襲撃(自衛官殺害)事件の犯人と接触し証拠品の腕章を預かり焼却した。そのことが「証拠隠滅」として逮捕起訴され、朝日は解雇された。川本という人はどうなるんだろうと僕はすごく気になったが、当時の週刊誌に「前から他の雑誌に映画の話なんか書いてたから、映画評論で生きてくんじゃないか」と書いてあった。そのうち本当に映画や文学の評論で有名になった。時代劇や西部劇、都市論、荷風や林芙美子など様々な本があるが、「大正幻影」や町歩きの本が好き。
モデルになった事件は、川本三郎を評論家にし、滝田修(竹本信弘京大助手)を「逃亡者」にしたという副産物がなければ忘れられてる。僕も本当は忘れたい。革命(または犯罪)の歴史に残るような事件ではなかった。それは主犯が「偽物」だったからである。革命家としてではなくて、人間として。その偽物性を松山ケンイチがとてもうまく演じていて、こういう人はいるなあと思った。会社にも学校にも。ずいぶんあったですよ。弁舌さわやかで自己正当化しかしない。そこそこ魅力があって、事務もできるから平時にはだませるが、肝心の時に裏切る。そういうことを思うと、初めから「ダメなヤツ」「単なるいい人」を通せる人の方がずっとましなのである。
人間をある程度見て来て、僕はこの映画の松山ケンイチの偽物性の演出、演技を素晴らしいと思った。しかし、僕も若い時なら見抜けたか。自信はない。思うと恥ずかしいような過去は誰にでもあるだろう。でもあの時代には実際に傷つけあうことまで進んでしまった。(いや、もう少しするとマジメで有能な青年たちが教祖のために毒ガスをつくる時代が来てしまったが。)
妻夫木(役名沢田=川本)のギターを松山が見つけ、前は音楽をやってたと言う。好きな音楽はと聞かれて「沢田」が「CCRってわかる?」と言うと、「雨を見たかいの雨って、ナパーム弾のことなんですよね」と言って松山は「Have you ever seen the rain?」と弾き語りする。CCRは、「クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル」というグループで、僕はこの曲が大好きだった。心に残る名シーンだが、こうして心優しい青年は騙されてしまう。いや、そういう話だけで済む時代なら、問題はないのかもしれない。
沢田はデートで「ファイブ・イージー・ピーセス」を見に行き、女の子が「ジャック・ニコルソンが最後に泣く場面が良かった」と言う。それに対し、沢田は「男が泣くなんて」と批判する。ボブ・ラファエルソン監督、1971年日本公開のこの映画は僕も大好きで、アメリカン・ニューシネマで一番好きだが、その「泣く場面」には深く心動かされた。この映画に印象的に使われてるカントリーの名曲「スタンド・バイ・ユア・マン」を歌うタミー・ウィネットのLPを買ってしまったくらいである。まあ、アメリカの保守派のど演歌だけど。
僕にとって、男が泣くのは当たり前で、それはアメリカン・ニューシネマと呼ばれた当時のアメリカ映画で学んだ。政治で傷つき、傷つけあうのを見て、人間は右翼・左翼で判断できるものではない。どこにでも信頼できる人はいるし、どこにでも足をすくう人もいると学んだ。前の世代はいつまでうっとうしいと思う時もあるけど、前の世代の失敗に学ぶことで少しスタート地点を先にできたのかもしれない。
松山ケンイチのモデルの人物の名前もよく覚えてるけど書きたくない。あまたの冤罪事件でわかるように警察の取り調べで完全黙秘を貫くのは難しい。革命家を気取るんだから本来は完黙すべきだが、それはまあいいが、自分のために人を売りまくった。「平気でうそをつく人々」の一人だったのである。自分の赤衛軍事件だけじゃなく冤罪ピース缶事件の裁判でも警察側で偽証してる。(偽証は後に賠償請求が認められてる。)そういう人が松山ケンイチではもったいない。映画の話ではないことばかり書いたが、妻夫木、松山の初共演作品として、一見の価値はあるだろう。当時の雰囲気はかなり出てると思う。当時はみんなよく喫煙していた。そういう時代だった。