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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

中国では記者の免許更新試験

2014年08月23日 23時20分26秒 |  〃 (教員免許更新制)
 新聞報道によると、中国では今年1~2月にかけ、全国の新聞、テレビ、通信社などの記者25万人に統一の免許更新試験を初めて実施したという。報道に対する様々な規制が強まる中でのこの政策、当局がいかに理由をつけようが「記者の資質向上」が目的ではないのは明らかだろう。「免許更新」という発想そのものが、「いうことを聞かないと職を失うぞ」という強迫的要素を持っているのである。さすがに日本のマスコミも、いいかげん「免許更新」という発想に潜むものに気づいて欲しい。

 久しぶりに教員免許更新制について書いておきたい。しかし、何か新しい動きがあったとか、新しく考えを深めたということでもない。今までに書いた記事(特に2011年に書いたもの)と同じようなものなんだけど、やはり時々書いておかないと、意識が薄れてくるのではないかと思うからである。現実的には第2次安倍内閣の発足により、教員免許更新制の改廃は当面の政策課題ではなくなってしまったというのが実情だろう。民主党政権下の数少ない「功績」である「高校教育無償化」も訳の分からない面倒な制度に変えられてしまった。その後、教育委員会制度の法改正、教科書検定基準の改定、道徳の教科化等々、ありえないような「安倍教育改悪」が進行しつつある。それらの問題が続々と起こり、対応するヒマもない状態。来年の中学教科書の採択年に、どのような状況になるか。(恐らく下村博文氏が文科相を退任して党に戻り、全国にはっぱを掛けるのではないか。)

 文科省にサイトにある「事後評価」結果を見ても、毎年大体同じである。「よい」と「だいたいよい」を合わせて9割以上。それでも必修領域と選択領域では、必修(最新の教育事情)の方が10%以上低い。この読み方は前に書いた「更新講習は好評なのか」を読んでくれれば、まあそれにつきている。「だいたいよい」は「受けなくても良かった」だと思うし、選択領域はともかく、必修領域は「仕方ないから受けた」ということだろう。この制度は実施時に制度設計で議論があり、結局講習を大学等で受けることになった。大学教授が担当するのだから、中には教育政策を批判したり、じっくりと分析したりする「講習」もあるらしい。だから、中国の記者の免許更新ほど露骨な「締め付け」政策にはなっていない。各都道府県教委にしても、今まで採用以来育ててきた教員が突然失職されても損失なので、地方によっては教育委員会と教員組合と地元教育系大学が協力して「失職しないシステム」を作っているところもあるらしい。それを「一定の評価」ととらえて、運悪く当たった年回りの教員も「何となくガマンするしかない」という状況にあるのではないか。

 しかし、医師免許にしろ、弁護士などの法曹資格にしろ、不祥事を起こして有罪が確定した結果「資格を喪失」することはあるけれども、いったん取得した国家資格が不祥事を起こしたわけでもないのに突然失効するという教員免許更新の仕組みはどう考えてもおかしい。これでは「公務員」である意味がない。授業や部活動やクラス担任で頑張っていても、何の意味もない。なんかすごい表彰でも受けた場合は特例があるけど、普通の教員には縁がない。唯一、主幹教諭や管理職(校長、教頭、副校長)になった場合だけ、免除という「特権」がある。

 しかし、主幹教諭というのは、本来更新講習を免除すべきものなのだろうか。東京都では7月に13件の処分が発令され発表されている。その中で7月18日に発表された4件の事例を見ると、4人全員が主幹教諭である。(中学2人、高校2人)主幹なんだから、皆学年主任とか生活指導主任かなんかをしているはずである。(ちなみに14件の職階別内訳を見ると、校長=1、主幹教諭=5、主任教諭=3、教員=3、寄宿舎指導員=1。処分内容は、体罰=9、わいせつ=3、情報=1。)こういう実態を見れば、むしろ校内で主任に任命される主幹教諭こそ、免許更新講習がいるのではないか。管理職は教員管理が仕事だからともかく、主幹教諭は授業も部活顧問も受け持つんだから、免許更新制度を免除する必要はないはずである。

 このような実態を見れば判るように、教員免許更新制度は「生涯一教員」という生き方を否定し、教師も普通の公務員(あるいは会社員)のように、「上を見て出世を目指す行き方をしなくてはならない」という刷り込みがこの免許更新制度の本質と言うべきだろう。こんな制度があって、教員はやる気が出るのだろうか。というと、実際に「教員の大量退職」が起こっているようである。そのことを次回に書きたい。つまり、「教員免許更新制度は所期の目的を達成しつつある」と言っていいのではないかと思う。

 ところで別件だけど、都教委の処分発表を見ていて、非常に不思議なことがある。「職名」が発表されるが、校長、主幹教諭、主任教諭などであるが、それらになっていない場合は「教員」とあるのである。僕はまず教師は「教諭」に発令されるものだと認識しているのだが、東京都では「教諭」という職はなくなってしまったのだろうか。主幹や主任になる以前は「教員」と呼ばれることになったのだろうか。「職名」に「教員」とある以上、そう解釈せざるを得ないのだが。
コメント
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