ノーベル賞授賞者の発表が一段落した。(経済学賞はまだだが、スウェーデン中央銀行によって賞金が出されている経済学賞は性格が少し違う。)この機会に少し考えていたことをまとめて書きたいと思う。なお、「日本人の受賞を期待する」という観点からは、「今年は少し残念だった」と思っている。今年は「複数の賞の受賞」がありうるのではないかと思っていたのである。次回以降に、化学賞や医学・生理学賞の受賞も期待したいところである。(それだけの研究成果はいっぱいあるようなので。)
まず、最新の平和賞から。周知のように、パキスタン出身のマララ・ユスフザイさん(17)が最年少で受賞した。同時にインドの人権運動家カイラシュ・サトヤルティさん(60)が同時受賞。この共同授賞はなかなかよく考えられている感じがして、とても良かったんじゃないかと思う。マララさんは昨年も有力候補と言われたが、「最年少」が重荷になるのではないか、かえってパキスタン国内で反発を買うのではないか、再度の襲撃を呼ぶのではないか…といった懸念材料があると思われた。今回は、インドの児童労働反対運動と共同の受賞なので、「子どもの人権」「インド・パキスタンの平和」「宗教を超える」という面が強く出ている。だから「イスラーム過激派」だけを批判するということではなく、全世界で「教育を受けられない子供たち」への励ましとして、ノーベル平和賞が贈られたと誰でも判る。
ノーベル平和賞は、スウェーデンではなくノルウェイのノーベル賞委員会により決定される。その性格から「政治的な授賞」があることは避けられない。2010年の中国の劉暁波は授賞式に出られなかった。1991年に受賞したアウンサン・スーチーが実際に賞を受けたのは、2012年のことだった。ノーベル平和賞受賞者が集まって行う会議があるが、今年は昨年亡くなったネルソン・マンデラを追悼して南アフリカで開催する予定になっていた。しかし、南アフリカ政府がダライ・ラマのビザを発給せず、今年の会議は開催を取りやめたというニュースが最近あった。このように、当該政府から認められない受賞者が時にいるわけだが、それは「平和賞の名誉」でこそあれ、「平和賞が偏った選考をしている」ということではないだろう。昨年が化学兵器禁止機関(OPCW)、一昨年がEU(ヨーロッパ連合)という決定も、シリアの化学兵器問題や欧州経済危機などに反応した決定だと思われる。
日本では事前に「憲法9条」が有力候補などというニュースが流れ、案外と思う人まで喜んでいたりしたけど、僕は「悪い冗談」としか思っていなかった。「憲法9条を保持している日本国民」などという決定にならなくて良かったと思うのだが、その問題は数回後に書きたい。とりあえず、ここ数年の授賞決定を見れば、「世界で今一番平和と人権の危機を呼んでいる(とされている)問題は何か」が授賞の鍵になっている。そう考えてくれば、それは「イスラム国」や「ポコ・ハラム」だろうとすぐ判る。安倍首相が「日中関係は百年前の英独関係に似ている」かのような不用意な発言をして世界に衝撃を与えたが、それでも「日中の軍事衝突」とか「日本の軍事国家化」が世界の最大の焦点になっているわけではないとノルウェイのノーベル賞関係者は判断している。喜ぶべきことではないか。
ということで、宗教的な過激派(あるいは過激なナショナリストも同様だけど)が伸長していることに対して「寛容の精神」を呼びかける意味がこの決定にはあると思う。だけど、それだけでは「政治的な決定」とだけパキスタン国内やイスラム諸国で受け取られる危険性が高い。われわれも、そういう文脈でよりも、日本でも大きな問題となっている「子どもの人権」という問題意識で受け取るべきだと思う。その方が生産的だろうし、日本の子どもが考えていくきっかけにもなるだろう。でも、その「解決」ははるか遠くにあり、というかむしろ悪化する可能性の方が強い。「喜びつつも、道遠し」という思いしかない。まあ、どんな問題でもそうなんだろうけど。それは本人も判っている。「これは始まり」だと。
ところでマララさんの国連での演説は多くのニュースで取り上げていた。最後の部分。
One child, one teacher, one pen and one book can change the world.
Education is the only solution. Education First
これぐらいなら聞いてても判るよね。というか、英語を使うと言っても、伝えるべき中身さえあれば、このように簡単な単語で伝えられるのだということがよく判る。でもこれはキング牧師のあの演説に並ぶ、歴史的な演説になっていくのではないだろうか。多くの中高の教科書(英語、社会など)に取り入れられていくんでしょう。英語の原文は検索すればすぐ見つかる。翻訳されたものは、11日付の東京新聞に載っていたので初めて読んだ。「ペンと本こそ最強の武器 マララさん国連演説全文」でネット上に公開されているので、是非一読を。(国連広報センターのホームページから引用と書いてある。)なお、三つの見出しを書いておくと、「すべてのテロリストの子どもに教育を」「女性が自ら立ち上がり闘うことが大事」「全世界の無償の義務教育与えて」である。
この演説には多くの人名が出てくる。パン・ギムン事務総長とか、ムハンマドなどを除き、個々に出てくる近現代の人名を紹介してみる。マーチン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、ムハンマド・アリ・ジンナー、ガンジー、バシャ・カーン、マザー・テレサである。前者の3人は「変革の伝統」、後者の3人は「非暴力の伝統」とされている。バシャ・カーンだけ知らなかったので、今調べてみたが、ガンジーの「塩の行進」をペシャワールで行ったガンジーの弟子のイスラム教徒だという。ペシャワール空港はバシャ・カーン空港と名付けられているそうである。
まず、最新の平和賞から。周知のように、パキスタン出身のマララ・ユスフザイさん(17)が最年少で受賞した。同時にインドの人権運動家カイラシュ・サトヤルティさん(60)が同時受賞。この共同授賞はなかなかよく考えられている感じがして、とても良かったんじゃないかと思う。マララさんは昨年も有力候補と言われたが、「最年少」が重荷になるのではないか、かえってパキスタン国内で反発を買うのではないか、再度の襲撃を呼ぶのではないか…といった懸念材料があると思われた。今回は、インドの児童労働反対運動と共同の受賞なので、「子どもの人権」「インド・パキスタンの平和」「宗教を超える」という面が強く出ている。だから「イスラーム過激派」だけを批判するということではなく、全世界で「教育を受けられない子供たち」への励ましとして、ノーベル平和賞が贈られたと誰でも判る。
ノーベル平和賞は、スウェーデンではなくノルウェイのノーベル賞委員会により決定される。その性格から「政治的な授賞」があることは避けられない。2010年の中国の劉暁波は授賞式に出られなかった。1991年に受賞したアウンサン・スーチーが実際に賞を受けたのは、2012年のことだった。ノーベル平和賞受賞者が集まって行う会議があるが、今年は昨年亡くなったネルソン・マンデラを追悼して南アフリカで開催する予定になっていた。しかし、南アフリカ政府がダライ・ラマのビザを発給せず、今年の会議は開催を取りやめたというニュースが最近あった。このように、当該政府から認められない受賞者が時にいるわけだが、それは「平和賞の名誉」でこそあれ、「平和賞が偏った選考をしている」ということではないだろう。昨年が化学兵器禁止機関(OPCW)、一昨年がEU(ヨーロッパ連合)という決定も、シリアの化学兵器問題や欧州経済危機などに反応した決定だと思われる。
日本では事前に「憲法9条」が有力候補などというニュースが流れ、案外と思う人まで喜んでいたりしたけど、僕は「悪い冗談」としか思っていなかった。「憲法9条を保持している日本国民」などという決定にならなくて良かったと思うのだが、その問題は数回後に書きたい。とりあえず、ここ数年の授賞決定を見れば、「世界で今一番平和と人権の危機を呼んでいる(とされている)問題は何か」が授賞の鍵になっている。そう考えてくれば、それは「イスラム国」や「ポコ・ハラム」だろうとすぐ判る。安倍首相が「日中関係は百年前の英独関係に似ている」かのような不用意な発言をして世界に衝撃を与えたが、それでも「日中の軍事衝突」とか「日本の軍事国家化」が世界の最大の焦点になっているわけではないとノルウェイのノーベル賞関係者は判断している。喜ぶべきことではないか。
ということで、宗教的な過激派(あるいは過激なナショナリストも同様だけど)が伸長していることに対して「寛容の精神」を呼びかける意味がこの決定にはあると思う。だけど、それだけでは「政治的な決定」とだけパキスタン国内やイスラム諸国で受け取られる危険性が高い。われわれも、そういう文脈でよりも、日本でも大きな問題となっている「子どもの人権」という問題意識で受け取るべきだと思う。その方が生産的だろうし、日本の子どもが考えていくきっかけにもなるだろう。でも、その「解決」ははるか遠くにあり、というかむしろ悪化する可能性の方が強い。「喜びつつも、道遠し」という思いしかない。まあ、どんな問題でもそうなんだろうけど。それは本人も判っている。「これは始まり」だと。
ところでマララさんの国連での演説は多くのニュースで取り上げていた。最後の部分。
One child, one teacher, one pen and one book can change the world.
Education is the only solution. Education First
これぐらいなら聞いてても判るよね。というか、英語を使うと言っても、伝えるべき中身さえあれば、このように簡単な単語で伝えられるのだということがよく判る。でもこれはキング牧師のあの演説に並ぶ、歴史的な演説になっていくのではないだろうか。多くの中高の教科書(英語、社会など)に取り入れられていくんでしょう。英語の原文は検索すればすぐ見つかる。翻訳されたものは、11日付の東京新聞に載っていたので初めて読んだ。「ペンと本こそ最強の武器 マララさん国連演説全文」でネット上に公開されているので、是非一読を。(国連広報センターのホームページから引用と書いてある。)なお、三つの見出しを書いておくと、「すべてのテロリストの子どもに教育を」「女性が自ら立ち上がり闘うことが大事」「全世界の無償の義務教育与えて」である。
この演説には多くの人名が出てくる。パン・ギムン事務総長とか、ムハンマドなどを除き、個々に出てくる近現代の人名を紹介してみる。マーチン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、ムハンマド・アリ・ジンナー、ガンジー、バシャ・カーン、マザー・テレサである。前者の3人は「変革の伝統」、後者の3人は「非暴力の伝統」とされている。バシャ・カーンだけ知らなかったので、今調べてみたが、ガンジーの「塩の行進」をペシャワールで行ったガンジーの弟子のイスラム教徒だという。ペシャワール空港はバシャ・カーン空港と名付けられているそうである。