フィルムセンターでは大ホールで加藤泰の生誕百年特集上映を行っている。一方、小ホールでは女性ドキュメンタリー監督の羽田澄子(はねだ・すみこ、1926~)の特集上映が始まった。
女性の映画監督は今はかなり増えてきた。日本でも世界でも。最近では、2012年の「かぞくのくに」(ヤン・ヨンヒ)、2014年の「そこにみにて光り輝く」(呉美保)など劇映画のベストワンになった人もいる。また河瀬直美のようにカンヌ映画祭でグランプリを取った人もいる。だけど、女性のドキュメンタリー監督というと、かのドイツのレニ・リーフェンシュタールを除けば、後は6歳年下の藤原智子ぐらいしか思い浮かばない。でも世界にはきっと僕の知らない女性ドキュメンタリストもいるに違いない。抑圧状況を世界に知らせるには、映像が一番武器になるから。
岩波映画出身の羽田澄子は、単なる「文化映画」に留まらない、個人的な関心の強い「作家の映画」を作って来た。岩波ホールで一般公開して、特に「老人福祉問題」を世に訴えてきた功績は非常に大きい。文化史的、社会史的に貴重でその功績は非常に大きい。内容的には、「普通の映画ファン」向けというより、社会問題に関心の深い人向けかもしれない。だけど、こういう映画も大事だと思う。
岩波映画製作所は、岩波書店とは直接の資本関係はないが、岩波写真文庫の写真や多くの文化映画を製作した。ここ出身の映画人は多く、劇映画に進んだ人では羽仁進、黒木和男、東陽一ら、記録映画では土本典昭、大津幸四郎らがいる。羽田澄子は自由学園卒業後に、羽仁説子の紹介で1950年に入社した。1957年に監督に昇進、「村の婦人学級」を作った。この作品はこの前見たけど、滋賀県の農村にじっくり腰を据えて、村の母親の悩みを描いていく。長く付き合って信頼関係を築き、一種の再現ドラマを演出している。
「文化映画」という言い方は、今はキネマ旬報の「文化映画ベストテン」ぐらいしか使われない。でも図書館や公民館などでは、今も多くの社会啓発映画が上映されている。学校でも教育映画というジャンルがある。昔は行政や企業などが依頼してPR映画がたくさん作られた。「村の婦人学級」はなんと文部省企画である。「村で女性の悩みを語り合う場を作る」というのは行政の要請でもあった。場所はお寺で、今見ると全体的に古い。村には「男尊女卑」の風潮が強い。「戦後教育」では男女平等を教え、男も家庭科を勉強する。男の子が自分でボタンを付け始めると、義母は「今時の女は楽でいい」と嫌味を言い、夫も「男のすることじゃない」と言う。そういう中で、「憲法」や「学校」が希望だったことが判る。
その後、「風俗画 近世初期」(1987)、「モンシロチョウ」(1968)、「狂言」(1969)などの、まさに「文化映画」と言えるような映画をたくさん作った。そして1977年になって、自分の作りたい映画ということで、個人で「薄墨の桜」を撮った。岐阜の根尾谷にある、有名な桜である。これが評判を呼んで岩波ホールで公開された。その時に他の映画も一緒に公開されたが、「モンシロチョウ」はその一本。とても面白い映画だ。こうして羽田澄子は自分が作りたい映画を撮る映画作家になっていった。
自分で撮った本格的な作品は、まず「早池峰の賦」(1982)。岩手の早池峰山麓に伝わる早池峰神楽をじっくりと描いた3時間の映画。見る方も疲れるけど、岩波ホールでヒットした。そして、ダンサーのアキコ・カンダを追う「AKIKO-あるダンサーの肖像ー」(1985)。これは見たけど、近年になって作った続編「そしてAKIKOは」(2012)は見逃した。2011年に亡くなったアキコ・カンダの晩年を追った映画。
次が「痴呆性老人の世界」(1988)で、これは当時見て大いに勉強になった。その後、ヨーロッパにまで取材した「安心して老いるために」(1990)を作る。さらに「住民が選択した町の福祉」(1997)、「続 住民が選択した町の福祉 問題は これから です」(1999)、「あの鷹巣町のその後 前後篇」(2005)、「あの鷹巣朝のその後-続編」(2009)、「終わりよければすべてよし」(2006)とずっと続く、大シリーズとなった。小川紳助の三里塚、土本典昭の水俣に並ぶ大記録映画シリーズだ。全部見るのは大変で、僕も最後の方は見てない。日本のある地域を見つめた記録でもあると思う。
その他に女性史や近代史に関わる映画がある。「元始、女性は太陽だった 平塚らいてうの世界」(2001)や「嗚呼 満蒙開拓団」(2008)、「遥かなる ふるさと-旅順・大連ー」(2011)など。知らない人はぜひ見てお勉強してねという感じだけど、正直言うと僕は知ってることばかりが続いて苦痛だった。まあ、平塚雷鳥の映画は女性には見ておいてほしいけど…。それより労働運動家の証言を記録した「女たちの証言」(1996)は見てない人が多いのではないか。丹野セツ、山内みななど、今は名前も多くは知らないだろう女性の労働運動家、左翼活動家の証言を記録した歴史的な映画である。これにはビックリ、いやあ正直こんな映像が残っていたとはと思う映画だった。多くの人に見ておいてほしい映画。
あまりに長すぎて公開時に見なかった「歌舞伎役者 片岡仁左衛門」のシリーズが、今回は上映されない。残念だな。フィルムセンターの今年の予定が発表されたときに、いよいよ見られるかと期待したのだが。劇映画じゃないけど、知的な好奇心、日本や世界、特に「老い」に関する深い関心を引き出されてくる映画群である。こういう映画作家が現代日本にいるのである。
女性の映画監督は今はかなり増えてきた。日本でも世界でも。最近では、2012年の「かぞくのくに」(ヤン・ヨンヒ)、2014年の「そこにみにて光り輝く」(呉美保)など劇映画のベストワンになった人もいる。また河瀬直美のようにカンヌ映画祭でグランプリを取った人もいる。だけど、女性のドキュメンタリー監督というと、かのドイツのレニ・リーフェンシュタールを除けば、後は6歳年下の藤原智子ぐらいしか思い浮かばない。でも世界にはきっと僕の知らない女性ドキュメンタリストもいるに違いない。抑圧状況を世界に知らせるには、映像が一番武器になるから。
岩波映画出身の羽田澄子は、単なる「文化映画」に留まらない、個人的な関心の強い「作家の映画」を作って来た。岩波ホールで一般公開して、特に「老人福祉問題」を世に訴えてきた功績は非常に大きい。文化史的、社会史的に貴重でその功績は非常に大きい。内容的には、「普通の映画ファン」向けというより、社会問題に関心の深い人向けかもしれない。だけど、こういう映画も大事だと思う。
岩波映画製作所は、岩波書店とは直接の資本関係はないが、岩波写真文庫の写真や多くの文化映画を製作した。ここ出身の映画人は多く、劇映画に進んだ人では羽仁進、黒木和男、東陽一ら、記録映画では土本典昭、大津幸四郎らがいる。羽田澄子は自由学園卒業後に、羽仁説子の紹介で1950年に入社した。1957年に監督に昇進、「村の婦人学級」を作った。この作品はこの前見たけど、滋賀県の農村にじっくり腰を据えて、村の母親の悩みを描いていく。長く付き合って信頼関係を築き、一種の再現ドラマを演出している。
「文化映画」という言い方は、今はキネマ旬報の「文化映画ベストテン」ぐらいしか使われない。でも図書館や公民館などでは、今も多くの社会啓発映画が上映されている。学校でも教育映画というジャンルがある。昔は行政や企業などが依頼してPR映画がたくさん作られた。「村の婦人学級」はなんと文部省企画である。「村で女性の悩みを語り合う場を作る」というのは行政の要請でもあった。場所はお寺で、今見ると全体的に古い。村には「男尊女卑」の風潮が強い。「戦後教育」では男女平等を教え、男も家庭科を勉強する。男の子が自分でボタンを付け始めると、義母は「今時の女は楽でいい」と嫌味を言い、夫も「男のすることじゃない」と言う。そういう中で、「憲法」や「学校」が希望だったことが判る。
その後、「風俗画 近世初期」(1987)、「モンシロチョウ」(1968)、「狂言」(1969)などの、まさに「文化映画」と言えるような映画をたくさん作った。そして1977年になって、自分の作りたい映画ということで、個人で「薄墨の桜」を撮った。岐阜の根尾谷にある、有名な桜である。これが評判を呼んで岩波ホールで公開された。その時に他の映画も一緒に公開されたが、「モンシロチョウ」はその一本。とても面白い映画だ。こうして羽田澄子は自分が作りたい映画を撮る映画作家になっていった。
自分で撮った本格的な作品は、まず「早池峰の賦」(1982)。岩手の早池峰山麓に伝わる早池峰神楽をじっくりと描いた3時間の映画。見る方も疲れるけど、岩波ホールでヒットした。そして、ダンサーのアキコ・カンダを追う「AKIKO-あるダンサーの肖像ー」(1985)。これは見たけど、近年になって作った続編「そしてAKIKOは」(2012)は見逃した。2011年に亡くなったアキコ・カンダの晩年を追った映画。
次が「痴呆性老人の世界」(1988)で、これは当時見て大いに勉強になった。その後、ヨーロッパにまで取材した「安心して老いるために」(1990)を作る。さらに「住民が選択した町の福祉」(1997)、「続 住民が選択した町の福祉 問題は これから です」(1999)、「あの鷹巣町のその後 前後篇」(2005)、「あの鷹巣朝のその後-続編」(2009)、「終わりよければすべてよし」(2006)とずっと続く、大シリーズとなった。小川紳助の三里塚、土本典昭の水俣に並ぶ大記録映画シリーズだ。全部見るのは大変で、僕も最後の方は見てない。日本のある地域を見つめた記録でもあると思う。
その他に女性史や近代史に関わる映画がある。「元始、女性は太陽だった 平塚らいてうの世界」(2001)や「嗚呼 満蒙開拓団」(2008)、「遥かなる ふるさと-旅順・大連ー」(2011)など。知らない人はぜひ見てお勉強してねという感じだけど、正直言うと僕は知ってることばかりが続いて苦痛だった。まあ、平塚雷鳥の映画は女性には見ておいてほしいけど…。それより労働運動家の証言を記録した「女たちの証言」(1996)は見てない人が多いのではないか。丹野セツ、山内みななど、今は名前も多くは知らないだろう女性の労働運動家、左翼活動家の証言を記録した歴史的な映画である。これにはビックリ、いやあ正直こんな映像が残っていたとはと思う映画だった。多くの人に見ておいてほしい映画。
あまりに長すぎて公開時に見なかった「歌舞伎役者 片岡仁左衛門」のシリーズが、今回は上映されない。残念だな。フィルムセンターの今年の予定が発表されたときに、いよいよ見られるかと期待したのだが。劇映画じゃないけど、知的な好奇心、日本や世界、特に「老い」に関する深い関心を引き出されてくる映画群である。こういう映画作家が現代日本にいるのである。