尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「小さな政府」の帰結-PCR検査問題

2020年05月18日 22時47分01秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 新型コロナウイルスの問題に関して、まだ書いてないことがたくさんある。そもそも今はまだ「渦中」であって、ウイルスに関しても、感染対策の評価に関しても、全体的な評価は難しいと考えている。当初は中国でも武漢のみで「封じ込め可能」な感じを持っていた。その後、世界に広がってゆくが、中では台湾韓国ドイツニュージーランドなどは比較的に「うまくコントロールされている」と評価されている。だからドイツや韓国を見習えという議論も多いけれど、両国とも経済活動を少し再開させたところで集団発生が起こった。他国に学ぶのは大事だが、まだ完全に「成功」という評価はどこにもできない。

 日本は感染者が発生したのは早かったが、その後の感染者数や死者数は他国に比べて少ない。いや、それはPCR検査が少なすぎて感染の全体像が判らないだけだとも言われる。専門家会議の尾身氏もそれは認めていて、国会で「10倍か、20倍か、30倍か」などと発言している。まったく無責任極まる発言だ。大体どう考えても、常識的な水準として、10倍以上ということはないだろう。死者数も「隠れコロナ死者」がいるという批判もあるが、それを考えてもやはり少ないのは間違いない。なんで日本の感染者、死者が他国に比べると低水準なのか。今のところ、完全に納得できる説明はないと思う。
(PCR検査の様子)
 それにしても「PCR検査」はどうして増えていかなかったのだろうか。当初は確かに「クラスター対策」に集中的に人材を投入したということがあるだろう。主に中国人観光客から発生したと思われる感染者増が2月末に見られた。その時は「濃厚接触者」を優先することに意味はあったかと思う。だが3月中旬から、感染経路不明の患者が増えてくる。そして多くの病院や福祉施設で「院内感染」が発生した。その時に、病院や保健所がパンク寸前になって、もう対応が不可能になっていった。

 単に新型コロナウイルス対応が無理になってきたということではない。もともと保健所を減らし、病院を減らし、医者の数も減らしてきたから、限界が早く来る。そして一番の問題は、「公務員削減」と「バッシング」を続けてきた結果、現場に柔軟な対応力がなくなってしまった。それは医療系ばかりでなく、虐待事件が起こったときの「児童相談所」、いじめ事件が起きた時の「学校」なんかも同様だ。もう事件対応に手一杯で、今後の展望もなければ、こうすれば良かったというアイディアも生まれない。そしていつも「上」は現場に責任転嫁してくる。今回も同じような構図が見て取れる。

 驚くべきことに、東京都で保健所から都への報告がファックスだったという。そして報告漏れや二重カウントがあった。再調査して感染者数が100名以上増えたという出来事がちょっと前にあった。日本のあちこちに残る「紙とハンコ文化」の悪弊である。昔からのやり方が続いていて、変えることが出来ない。忙しくて変えるヒマもない。そんなことが日本のあっちこっちで起こっているんだろう。保健所がいかに減らされていったか、前に「今こそ「生存権」を確認し、「防衛」の意味を考える」(2020.4.13)の下の方に載せておいた。全くビックリしたんだけど、1992年度には852か所の保健所があった。2019年度には472か所に激減しているのである。これは「小さな政府」の帰結だろう。
(「保健所の現状」4.25共同通信記事)
 それにしてもPCR検査は、安倍首相が記者会見で何回も増やすと述べているのに、なかなか増えなかった。一番重要なときに、検査を受けられない人がいた。病院に入れない人がいた。落ち着いた段階で、国会で調査委員会を作ってウイルス対策全般を検証しないといけない。臨床検査技師も不足しているということだから、PCR検査を増やしたくてもどうしようもなかったのかもしれない。それにしても、緊急事態なんだから、閉鎖されている医学系、理系の研究室や大学院生を利用するなど、いくらでもやれたはず。韓国も検査キットなどの「援助」の意思を示していたが、安倍政権の対韓政策が影響しているのか無視されてしまった。その経緯もしっかりと検証しないといけない。

 日本は少子高齢化が進み、莫大な財政赤字がある。それに対して自民党内閣が取ってきたのは、「小さな政府」ということだった。安倍政権だけの問題ではない。むしろ小泉政権の責任の方が大きい。そういう政府が「起こるか起こらないかも判らないパンデミック」に予算を投じるわけがない。ある程度はそれも仕方ないと思う。パンデミックと違って、「いつかは判らないけれど、いつかは必ず起こる大地震」の方が優先だと自分も考えたのではないか。

 そして多くの大地震が起こり、市役所に大被害が起きたこともあるけれど、中国の四川大地震のように学校が倒壊するようなことはなかった。「学校の耐震化」には予算を投じてきた。地震、水害対策道路・橋・ダムなどのメンテナンスと合わせて、今後は再び起こるか判らないけれども、起こると仮定して「第二波」「第三波」のパンデミックに備えた対策を怠らないようにしなければいけない。「国のあり方」を一から作り直さない限り、持つはずがない。「やらなくてもいいこと」(それが何かは国民皆が参加して決めないといけない)は止めましょう。
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