作家、ジャーナリストの外岡秀俊(そとおか・ひでとし)が2021年12月23日に亡くなっていた。68歳。12月の訃報を書いた後で公表された。心不全というが、今の時代としては「若すぎる」と思う年齢である。前に外岡氏の大震災に関する新書本について書いたことがある。読み返すと今も新鮮なので、10年前(2012年10月23日)の記事を書き直しながら、追悼としたいと思う。今回いろいろな人が書いていたが、「外岡秀俊」は何を書くだろうかとずっと注目して人がかなりいた。僕もその一人だが、その意味は後述するように二つの意味がある。
(外岡秀俊)
外岡秀俊という人は、2011年3月末まで朝日新聞の記者だった。1953年生まれで、2011年3月に早期退職した。外岡秀俊は朝日に入ってどういう記事を書くのだろうと僕はずっと注目してきた。この人の名前はまず新人作家として認識した。東大卒業間際の1976年に、河出書房の新人賞「文藝賞」を「北帰行」(ほっきこう)で獲得して、華々しく作家デビューしたのである。この年は「群像」新人賞を受けた村上龍「限りなく透明に近いブルー」が芥川賞を獲得し大ベストセラーになっていた。ところが外岡は受賞時点ですでに朝日入社が決まっていた。朝日を蹴って作家専門でやっていくか注目されたが、本人は新聞記者の道を選んだ。それで僕は朝日の署名記事に「外岡秀俊」の名があると注目してきたのである。
(「北帰行」)
朝日新聞で、外岡氏は学芸部、社会部、ニューヨーク特派員、ロンドン特派員、論説委員、ヨーロッパ総局長、東京本社編集局長などを歴任した。アメリカで書いた記事などは僕もよく読んだ記憶がある。学芸記者、社会部記者を経て、欧米の特派員が長かった。日本を外から眺めながらも、日本社会への関心は失わなかった。阪神淡路大震災を長く取材して「地震と社会」(上下、みすず書房、1997)をまとめたのである。(2冊にわたる大冊なので僕は読んでない。)そして退職直前に、東日本大震災が起こった。
大震災から1年後に、外岡秀俊は二つの新書を刊行した。まず、3.6刊の岩波新書「3・11 複合被災」。「これほどの無明を見たことはなかった-地震、大津波、そして原発事故 現地を歩き、全体像を描く」と帯にある。「たとえば震災から十年後の2021年に中学・高校生になるあなたが、『さて、3・11とは何だったのか』と振り返り、事実を調べようとするときに、まず手にとっていただく本の一つとすること。それが目標です。」とある。震災から一年という節目で、1年間の総まとめとして書かれた本。そして確かに、この本は一冊手元に置いておくべきだと僕は思う。特に原発事故に関しては諸「事故調」の報告が出て、情報が古くなった部分もあると思う。それにしても、10年後の中高生がコロナ禍のただ中にあるなどと誰も予想できなかった。
(「3・11 複合被災」)
著者の見方は、この震災は「類例のない複合被災」であるという言葉につきる。災害が起こり大きな被害が出るが、だんだん「復興」が進んで行くという、今までのタイプの大災害と今回は異なっている。あまりにも広い範囲の大津波、もともと過疎が進み、行政機能が行き届かなかった地域では、なかなか「復旧」も「復興」もできない。そもそも「復旧」できるかどうかも難しい。そういう「取り返しのつかなさ」が一番大きく現れているのが、原発事故。事故の日から何年立てば、元の町に戻れるのか。もう戻れないのか。そういうことも判らない。いくつもの町がそのまま、「消失」してしまった。この本には一年目の出来事しか書かれていない。「2011年」という特別な年の思いが本の中に閉じ込められている。
2.29刊の朝日新書「震災と原発 国家の過ち」は、他の「3・11本」と全く違っている。副題が「文学で読み解く『3・11』」である。「この不条理は すべて文学に 描かれていた!」と帯に書かれている。震災直後に被災地を取材し、「アエラ」に原稿を書いたのが最後のルポだったという。新聞社を離れてフリーになって、何ができるか。「そのときに考えたのが、文学作品を再読しながら、被災地で考えを深めてみよう、ということだった。」
(「震災と原発 国家の過ち」)
そこで取り上げられた本は以下の通り。
①カミュ『ペスト』 復興には、ほど遠い
②カフカ『城』 「放射能に、色がついていたらなあ」
③島尾敏雄『出発は遂に訪れず』 「帝国」はいま
④ハーバート・ノーマン『忘れられた思想家ー安藤昌益のこと』 東北とは何か
⑤エドガール・モラン『オルレアンのうわさ』 原発という無意識
⑥井伏鱒二『黒い雨』 ヒロシマからの問い
⑦ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』 故郷喪失から、生活再建へ
⑧宮沢賢治『雨ニモマケズ』 「救済」を待つのではなく
コロナ禍で世界的に読まれた「ペスト」がまず挙げられていたことに驚いた。ということは④の東北論などはともかく、現在のコロナ問題を考える時のきっかけにもなる読書リストなんじゃないか。この本は小さな本だけど、文学はこういう風に読めるのかと改めて教えてもらった気がした。正確に言えば、ノーマンとモランは、「狭義の文学作品」ではない。ハーバート・ノーマンは、日本で生まれたカナダ人で、日本史を研究した。カナダ外務省に入り、占領中はカナダからGHQに派遣され、日本の民主化に参加した。その当時の研究が「忘れられた思想家」で、安藤昌益再評価のきっかけとなった。アメリカの「赤狩り」時代に「スパイ」と疑惑をもたれ、1957年にカイロで自殺したという伝説的な日本史研究者である。
エドガール・モランはフランスの社会学者で、様々な著作があるがほとんど翻訳されている。「オルレアンのうわさ」は、フランスの町で反ユダヤ主義のうわさが広まる過程を分析した有名な著作。この本を「神話の形成」をめぐるものとして、原発論議の中で読み解くというのは、ちょっとビックリ。卓見である。この本は、文学という視点から震災に迫った稀有の本だと思う。こういう視角で、震災を論じるというのは大事なことだと思う。
ところで外岡秀俊は朝日入社後も小説を書いていたことが今では判っている。1986年に福武書店から中原清一郎名義で出た「未だ王化に染はず」という長い小説が外岡氏の著作なのである。中原名義ではその後に「カノン」(2014、河出書房新社)、「ドラゴン・オプション」(2015、小学館)、「人の昏れ方」(2017、河出書房新社)という本が出ている。あまり注目されたという記憶が無いが、こうしてみると退職後はジャーナリスト以上に小説家として活動していたと言える。僕は最初の「未だ王化に染はず」は刊行当時に読んでいる。天皇制国家に同化されず、未だ狩猟民で生きる「未開の民」の生き残りが北海道の大地に生き残っていたという大胆な設定の本である。稀に見る「反天皇制」の書として忘れてはいけない本だと思う。
(「未だ王化に染はず」)
(外岡秀俊)
外岡秀俊という人は、2011年3月末まで朝日新聞の記者だった。1953年生まれで、2011年3月に早期退職した。外岡秀俊は朝日に入ってどういう記事を書くのだろうと僕はずっと注目してきた。この人の名前はまず新人作家として認識した。東大卒業間際の1976年に、河出書房の新人賞「文藝賞」を「北帰行」(ほっきこう)で獲得して、華々しく作家デビューしたのである。この年は「群像」新人賞を受けた村上龍「限りなく透明に近いブルー」が芥川賞を獲得し大ベストセラーになっていた。ところが外岡は受賞時点ですでに朝日入社が決まっていた。朝日を蹴って作家専門でやっていくか注目されたが、本人は新聞記者の道を選んだ。それで僕は朝日の署名記事に「外岡秀俊」の名があると注目してきたのである。
(「北帰行」)
朝日新聞で、外岡氏は学芸部、社会部、ニューヨーク特派員、ロンドン特派員、論説委員、ヨーロッパ総局長、東京本社編集局長などを歴任した。アメリカで書いた記事などは僕もよく読んだ記憶がある。学芸記者、社会部記者を経て、欧米の特派員が長かった。日本を外から眺めながらも、日本社会への関心は失わなかった。阪神淡路大震災を長く取材して「地震と社会」(上下、みすず書房、1997)をまとめたのである。(2冊にわたる大冊なので僕は読んでない。)そして退職直前に、東日本大震災が起こった。
大震災から1年後に、外岡秀俊は二つの新書を刊行した。まず、3.6刊の岩波新書「3・11 複合被災」。「これほどの無明を見たことはなかった-地震、大津波、そして原発事故 現地を歩き、全体像を描く」と帯にある。「たとえば震災から十年後の2021年に中学・高校生になるあなたが、『さて、3・11とは何だったのか』と振り返り、事実を調べようとするときに、まず手にとっていただく本の一つとすること。それが目標です。」とある。震災から一年という節目で、1年間の総まとめとして書かれた本。そして確かに、この本は一冊手元に置いておくべきだと僕は思う。特に原発事故に関しては諸「事故調」の報告が出て、情報が古くなった部分もあると思う。それにしても、10年後の中高生がコロナ禍のただ中にあるなどと誰も予想できなかった。
(「3・11 複合被災」)
著者の見方は、この震災は「類例のない複合被災」であるという言葉につきる。災害が起こり大きな被害が出るが、だんだん「復興」が進んで行くという、今までのタイプの大災害と今回は異なっている。あまりにも広い範囲の大津波、もともと過疎が進み、行政機能が行き届かなかった地域では、なかなか「復旧」も「復興」もできない。そもそも「復旧」できるかどうかも難しい。そういう「取り返しのつかなさ」が一番大きく現れているのが、原発事故。事故の日から何年立てば、元の町に戻れるのか。もう戻れないのか。そういうことも判らない。いくつもの町がそのまま、「消失」してしまった。この本には一年目の出来事しか書かれていない。「2011年」という特別な年の思いが本の中に閉じ込められている。
2.29刊の朝日新書「震災と原発 国家の過ち」は、他の「3・11本」と全く違っている。副題が「文学で読み解く『3・11』」である。「この不条理は すべて文学に 描かれていた!」と帯に書かれている。震災直後に被災地を取材し、「アエラ」に原稿を書いたのが最後のルポだったという。新聞社を離れてフリーになって、何ができるか。「そのときに考えたのが、文学作品を再読しながら、被災地で考えを深めてみよう、ということだった。」
(「震災と原発 国家の過ち」)
そこで取り上げられた本は以下の通り。
①カミュ『ペスト』 復興には、ほど遠い
②カフカ『城』 「放射能に、色がついていたらなあ」
③島尾敏雄『出発は遂に訪れず』 「帝国」はいま
④ハーバート・ノーマン『忘れられた思想家ー安藤昌益のこと』 東北とは何か
⑤エドガール・モラン『オルレアンのうわさ』 原発という無意識
⑥井伏鱒二『黒い雨』 ヒロシマからの問い
⑦ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』 故郷喪失から、生活再建へ
⑧宮沢賢治『雨ニモマケズ』 「救済」を待つのではなく
コロナ禍で世界的に読まれた「ペスト」がまず挙げられていたことに驚いた。ということは④の東北論などはともかく、現在のコロナ問題を考える時のきっかけにもなる読書リストなんじゃないか。この本は小さな本だけど、文学はこういう風に読めるのかと改めて教えてもらった気がした。正確に言えば、ノーマンとモランは、「狭義の文学作品」ではない。ハーバート・ノーマンは、日本で生まれたカナダ人で、日本史を研究した。カナダ外務省に入り、占領中はカナダからGHQに派遣され、日本の民主化に参加した。その当時の研究が「忘れられた思想家」で、安藤昌益再評価のきっかけとなった。アメリカの「赤狩り」時代に「スパイ」と疑惑をもたれ、1957年にカイロで自殺したという伝説的な日本史研究者である。
エドガール・モランはフランスの社会学者で、様々な著作があるがほとんど翻訳されている。「オルレアンのうわさ」は、フランスの町で反ユダヤ主義のうわさが広まる過程を分析した有名な著作。この本を「神話の形成」をめぐるものとして、原発論議の中で読み解くというのは、ちょっとビックリ。卓見である。この本は、文学という視点から震災に迫った稀有の本だと思う。こういう視角で、震災を論じるというのは大事なことだと思う。
ところで外岡秀俊は朝日入社後も小説を書いていたことが今では判っている。1986年に福武書店から中原清一郎名義で出た「未だ王化に染はず」という長い小説が外岡氏の著作なのである。中原名義ではその後に「カノン」(2014、河出書房新社)、「ドラゴン・オプション」(2015、小学館)、「人の昏れ方」(2017、河出書房新社)という本が出ている。あまり注目されたという記憶が無いが、こうしてみると退職後はジャーナリスト以上に小説家として活動していたと言える。僕は最初の「未だ王化に染はず」は刊行当時に読んでいる。天皇制国家に同化されず、未だ狩猟民で生きる「未開の民」の生き残りが北海道の大地に生き残っていたという大胆な設定の本である。稀に見る「反天皇制」の書として忘れてはいけない本だと思う。
(「未だ王化に染はず」)