近年の芥川賞、直木賞受賞作を文庫になったら読もうと買ってあって、大分溜まったのでまとめ読みした。芥川賞作品では上田岳弘『ニムロッド』(講談社文庫)、町屋良平『1R1分34秒』(新潮文庫)、今村夏子『むらさきのスカートの女』(朝日文庫)の3作。どれも面白かった。今村夏子はやはりこれが一番の傑作だと思う。町屋作品のRは「ラウンド」で、ボクシングの話。上田作品の「ニムロッド」も不思議な題だが、荷室という登場人物に由来する。IT会社で働く「ニシモト・サトシ」という、よりによってビットコインの仕組みを考えた「サトシ・ナカモト」と同名人物の物語だけど、とても面白かった。
直木賞では門井慶喜『銀河鉄道の父』(講談社文庫)、真藤順丈『宝島』(講談社文庫)、川越宗一『熱源』(文春文庫)。どれも長いので文庫化を待っていたが、文庫でも分厚い。この間、島本理生『ファースト・ラブ』、馳星周『少年と犬』、佐藤究『テスカトリポカ』、米澤穂信『黒牢城』はハードカバーで買って読んでいる。『銀河鉄道の父』は宮沢賢治の父親の話で、読みやすくて面白かった。しかし、ここでは『宝島』と『熱源』に絞って書いておきたい。
真藤順丈(しんどう・じゅんじょう、1977~)の『宝島』は2018年に刊行されて、2019年1月に第160回直木賞を受けた。刊行当時から破格のスケールの面白さと評判になったのは知っているが、何しろ「破格」の長大さなので敬遠していた。文庫本では上巻が448頁、下巻が256頁もある。上巻と下巻でずいぶん厚さが違うが、これは全3部構成のうち上巻に1部、2部を収録しているためである。普通なら2部の真ん中で分けるもんだけど、何故か文庫化にあたって上下巻の厚さの違いを気にしなかった。
(『宝島』上巻)
内容的には1945年から1972年の沖縄、つまり沖縄戦から米軍占領、本土返還までのいわゆる「アメリカ世の沖縄」が舞台になっている。この前書いた「「〈アメリカ世〉の沖縄」を読むー「復帰50年」の前にあったこと」で取り上げた岩波新書を「正史」とするならば、こちらは壮大でファンタジックな冒険に満ちた「稗史」(はいし=公認されない歴史。民間の歴史書。転じて、作り物語)というべきだろう。米軍統治初期の沖縄は困窮を極めていたため、米軍基地から物資を盗み出す「戦果アギヤー」(戦果をあげるもの)と呼ばれた窃盗団が横行したという。この小説はその史実に想を得た壮大な戦後沖縄民衆史である。
中でも「オンちゃん」は住民のために薬を配布し、学校建設用の物資を提供するなどして、英雄と言われていた。親友のグスク、弟のレイ、恋人ヤマコと孤児4人組で活動していたが、今まで襲撃対象にしなかった嘉手納基地を他のグループと共同で襲った夜にオンちゃんは消息を絶った。基地を脱出できたのか、それとも米軍に撃たれて死んだのか。死んだら死んだで死体があるはずだが、全く情報がつかめない。その夜オンちゃんに何があったのか。この長大な小説を最後まで読むと謎は解明されるが、そのためには読む者も沖縄の苦難の歴史を追体験しなければならない。
(真藤順丈)
オンちゃんがいなくなっても、人は生きていかなくてはならない。そしてオンちゃんを探すために、グスクは警官となりレイはヤクザとなった。そのことで戦後沖縄史の語られざる秘史を両方の側から読むことになる。一方ヤマコは小学校の教師となり、宮森小の米軍機墜落事故を体験する。そこからヤマコは教職員会の活動に参加し復帰運動の闘士となっていく。そんな中で強硬派として知られるキャラウェイが高等弁務官として赴任し、3人の運命は翻弄されていく。オンちゃんがいない中、グスクとレイはヤマコに恋い焦がれる。その恋の行方とともに、ウタと呼ばれる孤児の哀切な運命はどうなるのか。弾圧された瀬長亀次郎はもちろん、ヤクザ世界に生きる「那覇派」の又吉世喜も実在人物。長いけれど『宝島』は非常に面白かった。
川越宗一(かわごえ・そういち、1978~)の『熱源』は2019年に刊行され、2020年1月に第162回直木賞を受賞した。沖縄を描いた『宝島』に対し、『熱源』は樺太や北海道を舞台にしている。また戦後史を描く『宝島』に対し、『熱源』は明治初期から第二次大戦でソ連軍が南樺太に侵攻するまでを描く。地理的にも時代的にも好対照だが、「日本」を南北から相対化する視点が共通している。冒頭は北海道の対雁(ついしかり、現在の江別市)に始まる。アイヌ民族のヤヨマネクフとシシラトカ、和人の父とアイヌの母の間に生まれた千徳太郎治の3人が登場して始まる。彼らは樺太生まれなのだが、1875年の樺太千島交換条約後に北海道に移住してきたのである。読後に調べて驚いたのだが、この3人は実在人物である。
(『熱源』』
一方、次の章ではロシアの革命運動の話になって、ポーランド人の学生プロニスワフ・ピウスツキが国事犯としてサハリンに流刑される。厳しい生活を生き抜いて、ピウスツキはサハリンの原住民であるニヴフ(ギリヤーク)やアイヌと交流するようになり、民族学者として知られるようになっていく。そしてアイヌ女性と結ばれて子どもも生まれるが、今度は日露戦争と南樺太の日本譲渡で運命が変転する。ピウスツキの弟ユゼフ・ピウスツキもポーランド独立運動家になり、第一次大戦後にポーランドが独立したときに初代大統領となった。この二人はある程度知られた史実なので、僕も知っていた。しかし、流刑や樺太アイヌの生活の具体的な様子はよく知らなかったから、興味深かった。
(川越宗一)
ヤヨマネクフとシシラトカの二人は、その後山辺安之介、花守信吉という日本名を名乗って、樺太犬の世話係として白瀬矗(のぶ)の南極探検隊(1911年)に参加した。その事は知らなかったので、調べたら二人が実在人物だったのを知って驚いたのである。その事業を大隈重信元首相が後援したが、日本に支援を求めてやってきたユゼフ・ピウスツキも大隈に会っている。このように不思議な縁で結ばれた人々を描くのだが、基本的には史実に忠実に書かれている。最後に出てくる日本軍特務の源田は、シベリア抑留を経て北海道にウィルタ(オロッコ)民族の資料館(ジャッカ・ドフニ)を築いたゲンダーヌである。
なお、プロニスワフ・ピウスツキの死因だが、1918年にパリのセーヌ川で投身自殺したとウィキペディアに出ている。彼が残した樺太アイヌの言語、音楽などの蝋管録音は非常に貴重なもので、今も研究が続けられている。『熱源』は北海道や樺太から南極まで出て来て読むと猛暑の夏に涼しくなれるかも。一方、かえって暑いときは暑いところを読みたいという人は、沖縄だからというだけでなく、人々の熱気がたぎっている『宝島』が良い。ほぼ同年代の作家の超大作、なかなか映像化も難しいだろう。どっちも長いけれど、直木賞作品なんだから面白いことは請け合い。
直木賞では門井慶喜『銀河鉄道の父』(講談社文庫)、真藤順丈『宝島』(講談社文庫)、川越宗一『熱源』(文春文庫)。どれも長いので文庫化を待っていたが、文庫でも分厚い。この間、島本理生『ファースト・ラブ』、馳星周『少年と犬』、佐藤究『テスカトリポカ』、米澤穂信『黒牢城』はハードカバーで買って読んでいる。『銀河鉄道の父』は宮沢賢治の父親の話で、読みやすくて面白かった。しかし、ここでは『宝島』と『熱源』に絞って書いておきたい。
真藤順丈(しんどう・じゅんじょう、1977~)の『宝島』は2018年に刊行されて、2019年1月に第160回直木賞を受けた。刊行当時から破格のスケールの面白さと評判になったのは知っているが、何しろ「破格」の長大さなので敬遠していた。文庫本では上巻が448頁、下巻が256頁もある。上巻と下巻でずいぶん厚さが違うが、これは全3部構成のうち上巻に1部、2部を収録しているためである。普通なら2部の真ん中で分けるもんだけど、何故か文庫化にあたって上下巻の厚さの違いを気にしなかった。
(『宝島』上巻)
内容的には1945年から1972年の沖縄、つまり沖縄戦から米軍占領、本土返還までのいわゆる「アメリカ世の沖縄」が舞台になっている。この前書いた「「〈アメリカ世〉の沖縄」を読むー「復帰50年」の前にあったこと」で取り上げた岩波新書を「正史」とするならば、こちらは壮大でファンタジックな冒険に満ちた「稗史」(はいし=公認されない歴史。民間の歴史書。転じて、作り物語)というべきだろう。米軍統治初期の沖縄は困窮を極めていたため、米軍基地から物資を盗み出す「戦果アギヤー」(戦果をあげるもの)と呼ばれた窃盗団が横行したという。この小説はその史実に想を得た壮大な戦後沖縄民衆史である。
中でも「オンちゃん」は住民のために薬を配布し、学校建設用の物資を提供するなどして、英雄と言われていた。親友のグスク、弟のレイ、恋人ヤマコと孤児4人組で活動していたが、今まで襲撃対象にしなかった嘉手納基地を他のグループと共同で襲った夜にオンちゃんは消息を絶った。基地を脱出できたのか、それとも米軍に撃たれて死んだのか。死んだら死んだで死体があるはずだが、全く情報がつかめない。その夜オンちゃんに何があったのか。この長大な小説を最後まで読むと謎は解明されるが、そのためには読む者も沖縄の苦難の歴史を追体験しなければならない。
(真藤順丈)
オンちゃんがいなくなっても、人は生きていかなくてはならない。そしてオンちゃんを探すために、グスクは警官となりレイはヤクザとなった。そのことで戦後沖縄史の語られざる秘史を両方の側から読むことになる。一方ヤマコは小学校の教師となり、宮森小の米軍機墜落事故を体験する。そこからヤマコは教職員会の活動に参加し復帰運動の闘士となっていく。そんな中で強硬派として知られるキャラウェイが高等弁務官として赴任し、3人の運命は翻弄されていく。オンちゃんがいない中、グスクとレイはヤマコに恋い焦がれる。その恋の行方とともに、ウタと呼ばれる孤児の哀切な運命はどうなるのか。弾圧された瀬長亀次郎はもちろん、ヤクザ世界に生きる「那覇派」の又吉世喜も実在人物。長いけれど『宝島』は非常に面白かった。
川越宗一(かわごえ・そういち、1978~)の『熱源』は2019年に刊行され、2020年1月に第162回直木賞を受賞した。沖縄を描いた『宝島』に対し、『熱源』は樺太や北海道を舞台にしている。また戦後史を描く『宝島』に対し、『熱源』は明治初期から第二次大戦でソ連軍が南樺太に侵攻するまでを描く。地理的にも時代的にも好対照だが、「日本」を南北から相対化する視点が共通している。冒頭は北海道の対雁(ついしかり、現在の江別市)に始まる。アイヌ民族のヤヨマネクフとシシラトカ、和人の父とアイヌの母の間に生まれた千徳太郎治の3人が登場して始まる。彼らは樺太生まれなのだが、1875年の樺太千島交換条約後に北海道に移住してきたのである。読後に調べて驚いたのだが、この3人は実在人物である。
(『熱源』』
一方、次の章ではロシアの革命運動の話になって、ポーランド人の学生プロニスワフ・ピウスツキが国事犯としてサハリンに流刑される。厳しい生活を生き抜いて、ピウスツキはサハリンの原住民であるニヴフ(ギリヤーク)やアイヌと交流するようになり、民族学者として知られるようになっていく。そしてアイヌ女性と結ばれて子どもも生まれるが、今度は日露戦争と南樺太の日本譲渡で運命が変転する。ピウスツキの弟ユゼフ・ピウスツキもポーランド独立運動家になり、第一次大戦後にポーランドが独立したときに初代大統領となった。この二人はある程度知られた史実なので、僕も知っていた。しかし、流刑や樺太アイヌの生活の具体的な様子はよく知らなかったから、興味深かった。
(川越宗一)
ヤヨマネクフとシシラトカの二人は、その後山辺安之介、花守信吉という日本名を名乗って、樺太犬の世話係として白瀬矗(のぶ)の南極探検隊(1911年)に参加した。その事は知らなかったので、調べたら二人が実在人物だったのを知って驚いたのである。その事業を大隈重信元首相が後援したが、日本に支援を求めてやってきたユゼフ・ピウスツキも大隈に会っている。このように不思議な縁で結ばれた人々を描くのだが、基本的には史実に忠実に書かれている。最後に出てくる日本軍特務の源田は、シベリア抑留を経て北海道にウィルタ(オロッコ)民族の資料館(ジャッカ・ドフニ)を築いたゲンダーヌである。
なお、プロニスワフ・ピウスツキの死因だが、1918年にパリのセーヌ川で投身自殺したとウィキペディアに出ている。彼が残した樺太アイヌの言語、音楽などの蝋管録音は非常に貴重なもので、今も研究が続けられている。『熱源』は北海道や樺太から南極まで出て来て読むと猛暑の夏に涼しくなれるかも。一方、かえって暑いときは暑いところを読みたいという人は、沖縄だからというだけでなく、人々の熱気がたぎっている『宝島』が良い。ほぼ同年代の作家の超大作、なかなか映像化も難しいだろう。どっちも長いけれど、直木賞作品なんだから面白いことは請け合い。