スペインのペドロ・アルモドバル監督の新作『パラレル・マザーズ』(2021)が公開された。30分の短編『ヒューマン・ボイス』(2020)も同時に公開されているが、初の英語映画のこっちも見逃せない面白さである。まあ、そっちは最後に回すとして、まずはペネロペ・クルスがヴェネツィア映画祭で最優秀女優賞を獲得した『パラレル・マザーズ』から。
ペドロ・アルモドバル監督は僕が絶対に新作を見逃したくない数少ない映画監督である。特に『ヒューマン・ボイス』は2週目から上映時間も限られそうなので、公開一週目に見に行った。アルモドバル映画は時に過激に暴走するし、今ひとつ理解出来ない時も多い。打ちのめされるような大傑作『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999)、『トーク・トゥ・ハー』(2002)から早くも20年以上。リアルタイムで見てない若い人も増えてきただろう。僕はアルモドバルと言えば必ず見に行くことにしているが、それほど入れ込んでいない人も多くなってきたのかもしれない。
近年の『ジュリエッタ』(2016)、『ペイン・アンド・グローリー』(2019)も僕は十分満足したけれど、昔ほどの勢いはないと言えばそうも言える。今度の『パラレル・マザーズ』もものすごく興味深いけれど、これで良いのかなという部分もないではない。題名のパラレルというのは、同じ病院で出産した二人の運命が交錯するというストーリーを指している。宣伝ですでに書かれているから触れることにするが、二人の「未婚の母」が同じ病院で同じ日に出産する。しかし、二人の子どもは取り違えられていた。二人が再び巡り会ったとき、片方の子どもはすでに亡くなっていたのだった。これはかなりとんでもない設定だ。
(ジャニスとアナ)
写真家のジャニス(ペネロペ・クルス)は冒頭でアルトゥロ(イスラエル・エレハルデ)の肖像を撮影している。このアルトゥロが子どもの父親になる人物だが、彼は「歴史記憶協会」(名前はちゃんと覚えてないけど)で発掘などをしている人物である。ジャニスの曾祖父は1936年の内戦勃発時に、反乱軍のファランヘ党によって虐殺された人物だった。死体の埋められた場所が証言ではっきりしたので、発掘をして欲しいという件で二人は知り合ったのである。彼は「予算が削減された」「数年先まで予定が埋まっている」と言いつつ、書類を提出すれば応援するという。このような「歴史の記憶」がサブテーマになっている。
(アルモドバル監督とペネロペ・クルス)
もう一人の母親は 17 歳のアナ(ミレナ・スミット)は、もっと複雑な事情を抱えていた。父母は別れていて、母はマドリッドで女優をしている。グラナダにいる父は登場しないが、出産を歓迎しないので母のもとに家出して来たらしい。妊娠の事情も深刻なものだ。1996年生まれのミレナ・スミットは大健闘していて、ペネロペ・クルスに負けていない。ジャニスはセシリアと名付けた娘と対面した元恋人から、「自分の子供とは思えない」と告げられ、秘かに DNA検査を受ける。その結果、セシリアが実の子ではないことが判明するが、電話番号を変えてしまいアナともアルトゥロとも連絡を絶ってしまう。そこに至る心理的葛藤はペネロペ・クルスの演技力でつい理解してしまうのだ、完全に納得は出来ないと思った。
自分の実子にこだわる必要はないという考えもあるだろうが、少なくとももう一人の母や病院には伝えるべき情報だろう。スペインの病院だって、今どき赤ちゃん取り違えが起きるとは思えない。このテーマだと、どうしても是枝裕和監督『そして父になる』を思い出すことになるが、そこでは描かれた「取り違え理由」がこの映画にはない。無くて良い、「二人の女性の生き方」がテーマなんだと監督は言うだろう。実際に二人の母親役の熱演で何か究極的な運命を描くように思ってしまうが、これは本来は病院の深刻なミス、あるいは犯罪である。そこを全くスルーしているのが僕には納得出来なかったところ。
(ラストの発掘を見守る女性たち)
それでもラストで感動するのは、「歴史」に向き合う姿勢である。そもそもジャニスは母親がジャニス・ジョプリンから付けたんだという。そして母はジョプリンと同じく27歳で死んだ。そうするとアナは誰ですか?と聞き返す。それは小さなエピソードだが、内戦に関する知識が少ないアナに対してジャニスが諭すシーンもある。そして最後に曾祖父の発掘が始められ、それをアナも見に来る。一貫して「女性讃歌」を作ってきたアルモドバルの新境地とも言える。ジャニスとアナ、二人の運命の変転を見つめて、撮影や音楽も見事。いつもながらファッションも素晴らしい。
『ヒューマン・ボイス』はジャン・コクトーの戯曲を自由に翻案したという映画。ティルダ・スウィントンのほぼ一人芝居である。冒頭で斧を買いに行くのでどうなるかと思うが、その後家に帰ると他の女性のもとに去った(?)夫からスマホに電話がある。相手の言葉は聞こえない設定なので、延々と主人公の一人芝居になる。これが素晴らしいの一言で、完成度は非常に高い。美術や撮影も素晴らしく、すごいものを見たという感じがする。30分の映画なので、800円という設定になっている。ティルダ・スウィントンは2007年に『フィクサー』でアカデミー賞助演女優賞を得ている。最近では『メモリア』(アピチャッポン・ウィーラセタクン)が素晴らしかった。ハリウッドの大作にも出るが、作家性の高い映画にもよく出ている。この映画でも圧倒的な名演。
ペドロ・アルモドバル監督は僕が絶対に新作を見逃したくない数少ない映画監督である。特に『ヒューマン・ボイス』は2週目から上映時間も限られそうなので、公開一週目に見に行った。アルモドバル映画は時に過激に暴走するし、今ひとつ理解出来ない時も多い。打ちのめされるような大傑作『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999)、『トーク・トゥ・ハー』(2002)から早くも20年以上。リアルタイムで見てない若い人も増えてきただろう。僕はアルモドバルと言えば必ず見に行くことにしているが、それほど入れ込んでいない人も多くなってきたのかもしれない。
近年の『ジュリエッタ』(2016)、『ペイン・アンド・グローリー』(2019)も僕は十分満足したけれど、昔ほどの勢いはないと言えばそうも言える。今度の『パラレル・マザーズ』もものすごく興味深いけれど、これで良いのかなという部分もないではない。題名のパラレルというのは、同じ病院で出産した二人の運命が交錯するというストーリーを指している。宣伝ですでに書かれているから触れることにするが、二人の「未婚の母」が同じ病院で同じ日に出産する。しかし、二人の子どもは取り違えられていた。二人が再び巡り会ったとき、片方の子どもはすでに亡くなっていたのだった。これはかなりとんでもない設定だ。
(ジャニスとアナ)
写真家のジャニス(ペネロペ・クルス)は冒頭でアルトゥロ(イスラエル・エレハルデ)の肖像を撮影している。このアルトゥロが子どもの父親になる人物だが、彼は「歴史記憶協会」(名前はちゃんと覚えてないけど)で発掘などをしている人物である。ジャニスの曾祖父は1936年の内戦勃発時に、反乱軍のファランヘ党によって虐殺された人物だった。死体の埋められた場所が証言ではっきりしたので、発掘をして欲しいという件で二人は知り合ったのである。彼は「予算が削減された」「数年先まで予定が埋まっている」と言いつつ、書類を提出すれば応援するという。このような「歴史の記憶」がサブテーマになっている。
(アルモドバル監督とペネロペ・クルス)
もう一人の母親は 17 歳のアナ(ミレナ・スミット)は、もっと複雑な事情を抱えていた。父母は別れていて、母はマドリッドで女優をしている。グラナダにいる父は登場しないが、出産を歓迎しないので母のもとに家出して来たらしい。妊娠の事情も深刻なものだ。1996年生まれのミレナ・スミットは大健闘していて、ペネロペ・クルスに負けていない。ジャニスはセシリアと名付けた娘と対面した元恋人から、「自分の子供とは思えない」と告げられ、秘かに DNA検査を受ける。その結果、セシリアが実の子ではないことが判明するが、電話番号を変えてしまいアナともアルトゥロとも連絡を絶ってしまう。そこに至る心理的葛藤はペネロペ・クルスの演技力でつい理解してしまうのだ、完全に納得は出来ないと思った。
自分の実子にこだわる必要はないという考えもあるだろうが、少なくとももう一人の母や病院には伝えるべき情報だろう。スペインの病院だって、今どき赤ちゃん取り違えが起きるとは思えない。このテーマだと、どうしても是枝裕和監督『そして父になる』を思い出すことになるが、そこでは描かれた「取り違え理由」がこの映画にはない。無くて良い、「二人の女性の生き方」がテーマなんだと監督は言うだろう。実際に二人の母親役の熱演で何か究極的な運命を描くように思ってしまうが、これは本来は病院の深刻なミス、あるいは犯罪である。そこを全くスルーしているのが僕には納得出来なかったところ。
(ラストの発掘を見守る女性たち)
それでもラストで感動するのは、「歴史」に向き合う姿勢である。そもそもジャニスは母親がジャニス・ジョプリンから付けたんだという。そして母はジョプリンと同じく27歳で死んだ。そうするとアナは誰ですか?と聞き返す。それは小さなエピソードだが、内戦に関する知識が少ないアナに対してジャニスが諭すシーンもある。そして最後に曾祖父の発掘が始められ、それをアナも見に来る。一貫して「女性讃歌」を作ってきたアルモドバルの新境地とも言える。ジャニスとアナ、二人の運命の変転を見つめて、撮影や音楽も見事。いつもながらファッションも素晴らしい。
『ヒューマン・ボイス』はジャン・コクトーの戯曲を自由に翻案したという映画。ティルダ・スウィントンのほぼ一人芝居である。冒頭で斧を買いに行くのでどうなるかと思うが、その後家に帰ると他の女性のもとに去った(?)夫からスマホに電話がある。相手の言葉は聞こえない設定なので、延々と主人公の一人芝居になる。これが素晴らしいの一言で、完成度は非常に高い。美術や撮影も素晴らしく、すごいものを見たという感じがする。30分の映画なので、800円という設定になっている。ティルダ・スウィントンは2007年に『フィクサー』でアカデミー賞助演女優賞を得ている。最近では『メモリア』(アピチャッポン・ウィーラセタクン)が素晴らしかった。ハリウッドの大作にも出るが、作家性の高い映画にもよく出ている。この映画でも圧倒的な名演。