小説家、精神科医の加賀乙彦(本名小木貞孝=こぎ・さだたか)が1月12日に亡くなった。93歳。僕はこの訃報を18日の朝刊を見て初めて知った。最近似たようなことを何回も書いているが、朝刊を見る前にテレビのニュース番組やパソコン、スマホのニュースを見ていた。全部見たわけではないから確実ではないけれど、少なくともすぐ気付くようなポータルサイトには訃報が載ってなかったと思う。これは非常にまずいだろう。加賀乙彦のような重要人物の訃報を落とすなんて、ニュースサイトや番組を編集している人の「教養」に問題があるのである。それは日本の文化力の低下を示している。

小説家としての業績は後に回して、まず「死刑制度」の話から書きたい。死刑制度の存廃は世界的に重大な問題で、アムネスティやEU(欧州連合)は日本政府に対し早期の死刑廃止を要望してきた。主要先進国で死刑制度を維持しているのは、日本とアメリカ合衆国だけである。死刑制度にどういう意見を持つかはともかく、そういう世界的な状況を知っていれば、死刑問題の世界的重大性を理解するはずである。そして死刑制度に少しでも関心を持てば、加賀乙彦の本を読むことになる。
加賀乙彦が小説家に専念する前は、精神科医小木貞孝だった。そして東大助手を経て、若い頃に東京拘置所医務官を務めた。1957年にフランスに留学するまで勤務し、その間東拘に収容されている多くの死刑囚と交流を持ったのである。特に「メッカ殺人事件」と呼ばれる事件(1953年に東京新橋のバー「メッカ」で強盗殺人事件の死体が発見された事件)の死刑囚・正田昭(しょうだ・あきら)と深いつながりを持った。正田は獄中でカトリックに入信し、小説を書くようになった人物である。
医務官としての体験から、小木名義の学術書『死刑囚と無期囚の心理』(1974)が書かれた他、一般向けに加賀名義で中公新書から『死刑囚の記録』(1980)が刊行されている。これは名著であり、死刑制度について実証的に考えるための必読書だ。そこで得られた結論は死刑制度がいかに残虐なものかということである。加賀乙彦は人生の最晩年に至るまで、死刑囚の表現展(平野啓一郎『ある男』、及び石川慶監督による映画化作品に出てくる展覧会の実際のもの)の文芸部門選者を務めていた。死刑廃止集会で何度も選評を聞いているし、講演も聞いた。この加賀乙彦と死刑問題との関わりはもっと知られるべきだ。
次に小説家としてだが、加賀乙彦は芸術院会員であり、2011年に文化功労者に選出された。しかし、日本学術会議と日本学士院の違いを知らないジャーナリストがいたぐらいだから、日本芸術院も知らない人が多いんだろう。文化勲章と文化功労者の相違も知らない人がいる。加賀乙彦は生涯で谷崎潤一郎賞や日本文学大賞(現在は廃止)などの日本最高レベルの文学賞を受けている。しかし、それらは知らず、純文学作家の賞と言えば芥川賞しか知らないという人が結構いるのではないか。加賀乙彦は芥川賞は受けていない。一回「くさびら譚」という短編で候補になったが、ほとんど無視された。1968年前期は丸谷才一「年の残り」と大庭みな子「三匹の蟹」という強敵がいたのである。
それ以後、芥川賞の候補にもならなかったのは何故か。それは加賀乙彦は基本的に長編作家、それも大長編を書く小説家だったからである。芥川賞は基本的に文芸雑誌に掲載された短編(一部は中編)小説を対象にする。加賀乙彦はそんな日本の文壇慣習には囚われず、自分の書きたい小説を書き続けた。西欧近代小説に範を取った大ロマンこそ加賀文学である。だけど、文庫でも分厚くて何冊にもなる、しかもテーマは戦争とか死刑とかの重い小説を実際に読んだ人は少ないだろう。そういう小説家は日本では少ないが、いないわけではない。同じく同人雑誌「文芸首都」に拠った辻邦生である。ただ辻邦生は歴史に材を取った大ロマンが多いのに対し、加賀乙彦は自伝的作品が多いという違いがある。
僕も持ってるけど読んでない本が多いので、以下は簡単に。留学体験をもとにした『フランドルの冬』(1968、芸術選奨新人賞)で知られ、1973年の『帰らざる夏』(谷崎潤一郎賞)で陸軍幼年学校時代の体験を描いて認められた。そして前期の代表作『宣告』(1979)で日本文学大賞を受賞した。これは先に述べた死刑囚正田昭をモデルにした作品で、死刑囚の世界に本格的に取り組んだ日本文学史上稀有な作品である。この本は初版本を持っているけど、読み始めて挫折した珍しい本だ。まだ学生だった自分にとって、実際の殺人者がいっぱい出て来て、モデルの人物は最後に死刑を執行されると知っている本は重すぎたのである。それ以来40年以上経ってしまったが、今なら読み切れるだろう。
(『宣告』上巻)
『錨のない船』(1982)は日米戦争下に生きた外交官(来栖三郎)を描く大作。『湿原』(1985、大佛次郎賞)は朝日新聞に連載された冤罪と新左翼テロ事件を題材にした作品で、珍しく連載をちゃんと読んでいた。非常に面白く出来映えが良いと思うが、最近は入手しにくいようだ。さらに『ヴィーナスのえくぼ』(1989)、『海霧』(1990)、『生きている心臓』(1991)などを著した。1987年にカトリックの洗礼を受け、その後に『高山右近』(1999)、『ザビエルとその弟子』(2004)など日本のキリスト教史に取り組んだ。しかし、この間に書かれた真に重要な作品は他にある。
それは『永遠の都』『雲の都』という自己の家族を題材にした大長編である。『永遠の都』は当初は『岐路』(1988)、『小暗い森』(1991)、『炎都』(1996)として刊行されたが、1997年に文庫化されたときは全7巻に改めて分けられた。題名で判るように戦前・戦中期を描き、空襲で終わる。加賀乙彦の祖父は医者の家で、医者一家の大河小説という点で北杜夫『楡家の人々』を思い出させるが、こちらは遙かに長大である。僕はこれを文庫になったときに買って、ある年の夏休みにまとめて読んだ。もう寝食を忘れて読みふけるという言葉が相応しい面白さ。多くの人物が生き生きと描かれ、家族の後ろに「東京」の歴史が浮かぶ。
(『永遠の都』文庫版第1巻)
長すぎて読んでない人が多いと思うけど、これは間違いなく戦後日本文学の重要なな達成である。しかし、その僕でも続編である『雲の都』(全5部、2002~2012)はまだ読んでない。ついに文庫化されなかったのである。加賀乙彦は本来、この畢生の大長編を読んで評価するべき小説家である。だから、なかなか大変。でもいつかチャレンジしたいと思ってはいる。それだけの充実した時間は確実に得られるからである。本気になって取り組むべき本は多いものだ。

小説家としての業績は後に回して、まず「死刑制度」の話から書きたい。死刑制度の存廃は世界的に重大な問題で、アムネスティやEU(欧州連合)は日本政府に対し早期の死刑廃止を要望してきた。主要先進国で死刑制度を維持しているのは、日本とアメリカ合衆国だけである。死刑制度にどういう意見を持つかはともかく、そういう世界的な状況を知っていれば、死刑問題の世界的重大性を理解するはずである。そして死刑制度に少しでも関心を持てば、加賀乙彦の本を読むことになる。
加賀乙彦が小説家に専念する前は、精神科医小木貞孝だった。そして東大助手を経て、若い頃に東京拘置所医務官を務めた。1957年にフランスに留学するまで勤務し、その間東拘に収容されている多くの死刑囚と交流を持ったのである。特に「メッカ殺人事件」と呼ばれる事件(1953年に東京新橋のバー「メッカ」で強盗殺人事件の死体が発見された事件)の死刑囚・正田昭(しょうだ・あきら)と深いつながりを持った。正田は獄中でカトリックに入信し、小説を書くようになった人物である。
医務官としての体験から、小木名義の学術書『死刑囚と無期囚の心理』(1974)が書かれた他、一般向けに加賀名義で中公新書から『死刑囚の記録』(1980)が刊行されている。これは名著であり、死刑制度について実証的に考えるための必読書だ。そこで得られた結論は死刑制度がいかに残虐なものかということである。加賀乙彦は人生の最晩年に至るまで、死刑囚の表現展(平野啓一郎『ある男』、及び石川慶監督による映画化作品に出てくる展覧会の実際のもの)の文芸部門選者を務めていた。死刑廃止集会で何度も選評を聞いているし、講演も聞いた。この加賀乙彦と死刑問題との関わりはもっと知られるべきだ。
次に小説家としてだが、加賀乙彦は芸術院会員であり、2011年に文化功労者に選出された。しかし、日本学術会議と日本学士院の違いを知らないジャーナリストがいたぐらいだから、日本芸術院も知らない人が多いんだろう。文化勲章と文化功労者の相違も知らない人がいる。加賀乙彦は生涯で谷崎潤一郎賞や日本文学大賞(現在は廃止)などの日本最高レベルの文学賞を受けている。しかし、それらは知らず、純文学作家の賞と言えば芥川賞しか知らないという人が結構いるのではないか。加賀乙彦は芥川賞は受けていない。一回「くさびら譚」という短編で候補になったが、ほとんど無視された。1968年前期は丸谷才一「年の残り」と大庭みな子「三匹の蟹」という強敵がいたのである。
それ以後、芥川賞の候補にもならなかったのは何故か。それは加賀乙彦は基本的に長編作家、それも大長編を書く小説家だったからである。芥川賞は基本的に文芸雑誌に掲載された短編(一部は中編)小説を対象にする。加賀乙彦はそんな日本の文壇慣習には囚われず、自分の書きたい小説を書き続けた。西欧近代小説に範を取った大ロマンこそ加賀文学である。だけど、文庫でも分厚くて何冊にもなる、しかもテーマは戦争とか死刑とかの重い小説を実際に読んだ人は少ないだろう。そういう小説家は日本では少ないが、いないわけではない。同じく同人雑誌「文芸首都」に拠った辻邦生である。ただ辻邦生は歴史に材を取った大ロマンが多いのに対し、加賀乙彦は自伝的作品が多いという違いがある。
僕も持ってるけど読んでない本が多いので、以下は簡単に。留学体験をもとにした『フランドルの冬』(1968、芸術選奨新人賞)で知られ、1973年の『帰らざる夏』(谷崎潤一郎賞)で陸軍幼年学校時代の体験を描いて認められた。そして前期の代表作『宣告』(1979)で日本文学大賞を受賞した。これは先に述べた死刑囚正田昭をモデルにした作品で、死刑囚の世界に本格的に取り組んだ日本文学史上稀有な作品である。この本は初版本を持っているけど、読み始めて挫折した珍しい本だ。まだ学生だった自分にとって、実際の殺人者がいっぱい出て来て、モデルの人物は最後に死刑を執行されると知っている本は重すぎたのである。それ以来40年以上経ってしまったが、今なら読み切れるだろう。

『錨のない船』(1982)は日米戦争下に生きた外交官(来栖三郎)を描く大作。『湿原』(1985、大佛次郎賞)は朝日新聞に連載された冤罪と新左翼テロ事件を題材にした作品で、珍しく連載をちゃんと読んでいた。非常に面白く出来映えが良いと思うが、最近は入手しにくいようだ。さらに『ヴィーナスのえくぼ』(1989)、『海霧』(1990)、『生きている心臓』(1991)などを著した。1987年にカトリックの洗礼を受け、その後に『高山右近』(1999)、『ザビエルとその弟子』(2004)など日本のキリスト教史に取り組んだ。しかし、この間に書かれた真に重要な作品は他にある。
それは『永遠の都』『雲の都』という自己の家族を題材にした大長編である。『永遠の都』は当初は『岐路』(1988)、『小暗い森』(1991)、『炎都』(1996)として刊行されたが、1997年に文庫化されたときは全7巻に改めて分けられた。題名で判るように戦前・戦中期を描き、空襲で終わる。加賀乙彦の祖父は医者の家で、医者一家の大河小説という点で北杜夫『楡家の人々』を思い出させるが、こちらは遙かに長大である。僕はこれを文庫になったときに買って、ある年の夏休みにまとめて読んだ。もう寝食を忘れて読みふけるという言葉が相応しい面白さ。多くの人物が生き生きと描かれ、家族の後ろに「東京」の歴史が浮かぶ。

長すぎて読んでない人が多いと思うけど、これは間違いなく戦後日本文学の重要なな達成である。しかし、その僕でも続編である『雲の都』(全5部、2002~2012)はまだ読んでない。ついに文庫化されなかったのである。加賀乙彦は本来、この畢生の大長編を読んで評価するべき小説家である。だから、なかなか大変。でもいつかチャレンジしたいと思ってはいる。それだけの充実した時間は確実に得られるからである。本気になって取り組むべき本は多いものだ。