「AIなき社会」。これは「artificial intelligence」(人工知能)について考えようという記事ではない。2022年という年は、A=安倍晋三、I=石原慎太郎の二人がともに亡くなった年だった。そのことはどのような意味を持つのだろうか。「世界」全体に対してではない。自分の「人生」にとってである。
この二人は、僕のいわば「仮想敵」というか、本人を直接知っているわけではないけど、自分の人生に大きく関わってきた政治家だった。簡単に言ってしまえば、安倍晋三は「歴史修正主義」の象徴的政治家であり、第一次政権の時に「教員免許更新制」を法制化した政治家でもあった。石原慎太郎は自民党議員だったときは、僕には単に保守派(青嵐会)の政治家というだけだったけど、引退後の1999年になって突然東京都知事に立候補した。そしてわずか30%ほどの歴代当選者の最低得票率で当選してしまった。
当選後の様々な出来事はかつて各都知事を論じた時に書いたけれど、僕にとって意味があるのは教育行政である。現在は制度的に知事が直接教育にタッチすることは少ないが、「教育委員」の選任を通して「権力的教育行政」を推し進めた。米長邦雄(棋士)のように世の中で超保守派として知られた人ばかりを寄りによって教育委員にした。米長氏は園遊会に招かれ、天皇(当時)に対し「日本中の学校において国旗を掲げ国歌を斉唱させることが、私の仕事でございます」と述べたぐらいである。(天皇は「強制になるということでないことが望ましいですね」と返した。)まあ有名なエピソードだけど。
12月28日に地元山口県の安倍事務所が閉鎖されたというニュースがあった。それは安倍家の後継政治家がいない以上、いずれ来たるべきことだというしかない。それでも「やはり時間は不可逆」なんだなという思いがする。一度起こったことは、もう元に戻せない。安倍元首相の暗殺事件は、国葬、旧統一協会問題と思わぬ形で波紋が広がったまま、どうにも心の中で整理がつかないまま越年した気がする。とりあえず、「悪法」教員免許更新制は2022年に廃止された。
(地元の安倍事務所閉鎖=12月28日)
廃止までの11年間は長かったのか、短かかったのか。しかし、そのこと以上に問題なのは、更新制廃止が教員組合など教育界の力によって廃止されたわけではなかったことだ。どうにも現場がもたなくなってから、保守勢力の内部調整でなし崩しに廃止された。しかし、一度「教員」という仕事の意義を国家的に失わせた以上、もう元に戻らないものがあるだろう。それは石原都政下で進行した「東京の教育」を見ても理解出来る。石原都知事が辞任してから、すでに10年も経つ。しかし、石原都政の下で行われた「教育改革」は何の変化もなかった。都知事自体が多分二度と「リベラル系」候補が当選することはないだろう。
(石原慎太郎「お別れの会」=6月9日)
東京で行われた大規模な「公立中高一貫校」は完全に全国に広がった。また教員の階層化、競争的人事政策なども、まだ多少緩やかな地方もあるようだが、基本的には全国化しつつあるだろう。そしてそれに対する教員組合や市民運動などの抵抗運動は、あるにはあるけれど世論を揺るがすほどの大きなものにはなっていない。今後もならないだろう。20年も続いてしまえば、それはもはや「伝統」である。教員自身も批判的意識を持たなくなり、それが当たり前と思うようになる。
一度壊れてしまえば、もう元に戻らないのである。多くのことがそうなってしまった。80年代の中曽根内閣から進められた「民営化」「臨教審」などは不可逆になってしまったと思う。例えば、今から「派遣社員」という制度を無くせるだろうか。「派遣」制度が法的になかった時代にも、季節労働者やパート従業員は存在した。各会社が自分で募集して、ある意味ではもっと待遇が悪かったのである。だから「派遣」が良いというのではない。「世界」全体が変わった中で、日本も変わったわけで、それが冷戦終結後に起こってきたことだった。
困るのは自分がそういう流れに乗れないことである。乗りたくないから拒否して生きていける範囲はどのくらいだろうか。どんどん狭まっている気がするが。世の片隅で小さく自分の世界を守っていければ、それでもう良しとするしかないと覚悟している。それでも大塩平八郎の本を読んだりすると、このような偏屈で狷介(けんかい=頑固で自分の信じるところを固く守り、他人に心を開こうとしないこと)な生き方は窮屈だな、自分はそうなりたくないなと思う。でも、世の中の方から踏み込んでくる時、どうしても最初に「抵抗」してしまうのである。困った未来が見えてくるようで怖いんだけど。
この二人は、僕のいわば「仮想敵」というか、本人を直接知っているわけではないけど、自分の人生に大きく関わってきた政治家だった。簡単に言ってしまえば、安倍晋三は「歴史修正主義」の象徴的政治家であり、第一次政権の時に「教員免許更新制」を法制化した政治家でもあった。石原慎太郎は自民党議員だったときは、僕には単に保守派(青嵐会)の政治家というだけだったけど、引退後の1999年になって突然東京都知事に立候補した。そしてわずか30%ほどの歴代当選者の最低得票率で当選してしまった。
当選後の様々な出来事はかつて各都知事を論じた時に書いたけれど、僕にとって意味があるのは教育行政である。現在は制度的に知事が直接教育にタッチすることは少ないが、「教育委員」の選任を通して「権力的教育行政」を推し進めた。米長邦雄(棋士)のように世の中で超保守派として知られた人ばかりを寄りによって教育委員にした。米長氏は園遊会に招かれ、天皇(当時)に対し「日本中の学校において国旗を掲げ国歌を斉唱させることが、私の仕事でございます」と述べたぐらいである。(天皇は「強制になるということでないことが望ましいですね」と返した。)まあ有名なエピソードだけど。
12月28日に地元山口県の安倍事務所が閉鎖されたというニュースがあった。それは安倍家の後継政治家がいない以上、いずれ来たるべきことだというしかない。それでも「やはり時間は不可逆」なんだなという思いがする。一度起こったことは、もう元に戻せない。安倍元首相の暗殺事件は、国葬、旧統一協会問題と思わぬ形で波紋が広がったまま、どうにも心の中で整理がつかないまま越年した気がする。とりあえず、「悪法」教員免許更新制は2022年に廃止された。
(地元の安倍事務所閉鎖=12月28日)
廃止までの11年間は長かったのか、短かかったのか。しかし、そのこと以上に問題なのは、更新制廃止が教員組合など教育界の力によって廃止されたわけではなかったことだ。どうにも現場がもたなくなってから、保守勢力の内部調整でなし崩しに廃止された。しかし、一度「教員」という仕事の意義を国家的に失わせた以上、もう元に戻らないものがあるだろう。それは石原都政下で進行した「東京の教育」を見ても理解出来る。石原都知事が辞任してから、すでに10年も経つ。しかし、石原都政の下で行われた「教育改革」は何の変化もなかった。都知事自体が多分二度と「リベラル系」候補が当選することはないだろう。
(石原慎太郎「お別れの会」=6月9日)
東京で行われた大規模な「公立中高一貫校」は完全に全国に広がった。また教員の階層化、競争的人事政策なども、まだ多少緩やかな地方もあるようだが、基本的には全国化しつつあるだろう。そしてそれに対する教員組合や市民運動などの抵抗運動は、あるにはあるけれど世論を揺るがすほどの大きなものにはなっていない。今後もならないだろう。20年も続いてしまえば、それはもはや「伝統」である。教員自身も批判的意識を持たなくなり、それが当たり前と思うようになる。
一度壊れてしまえば、もう元に戻らないのである。多くのことがそうなってしまった。80年代の中曽根内閣から進められた「民営化」「臨教審」などは不可逆になってしまったと思う。例えば、今から「派遣社員」という制度を無くせるだろうか。「派遣」制度が法的になかった時代にも、季節労働者やパート従業員は存在した。各会社が自分で募集して、ある意味ではもっと待遇が悪かったのである。だから「派遣」が良いというのではない。「世界」全体が変わった中で、日本も変わったわけで、それが冷戦終結後に起こってきたことだった。
困るのは自分がそういう流れに乗れないことである。乗りたくないから拒否して生きていける範囲はどのくらいだろうか。どんどん狭まっている気がするが。世の片隅で小さく自分の世界を守っていければ、それでもう良しとするしかないと覚悟している。それでも大塩平八郎の本を読んだりすると、このような偏屈で狷介(けんかい=頑固で自分の信じるところを固く守り、他人に心を開こうとしないこと)な生き方は窮屈だな、自分はそうなりたくないなと思う。でも、世の中の方から踏み込んでくる時、どうしても最初に「抵抗」してしまうのである。困った未来が見えてくるようで怖いんだけど。