尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

佐藤蛾次郎、絵沢萌子、あき竹城他ー2022年12月の訃報②

2023年01月09日 22時18分50秒 | 追悼
 2022年12月の訃報。日本の「芸能人」を中心に、その他の人々をまとめて。佐藤蛾次郎が12月9日に死去、78歳。一人暮らしの自宅を訪問した長男が浴室で風呂に入ったまま動かなくなっているのを見つけて救急車を呼んだという。それが10日午前のことで、結局死亡時刻は9日と判断された。佐藤蛾次郎と言えば、『男はつらいよ』シリーズの「源公」(帝釈天の寺男)だというのが一般的だろう。確かにその役は印象的だが、それより1970年の日活映画『反逆のメロディー』も忘れがたい。多くの映画、テレビドラマに出たが、端役でありながら忘れがたい俳優だった。料理が得意で、自分でスナックを開店して芸能人が多く集まっていたというが、コロナ禍で2020年で閉店していた。『男はつらいよ』のロケではよくカレーを作って振る舞っていたという。
(佐藤蛾次郎)(源公)
 絵沢萌子が12月26日に死去、87歳。1972年に神代辰巳監督のロマンポルノ作品『濡れた唇』で圧倒的な存在感を発揮して名前を覚えることになった。これがポルノ会社になった日活が案外頑張っているじゃないかと評判を呼ぶ最初だっただろう。その時すでに37歳。それまでは舞台を中心に、映画も新藤兼人監督『強虫女と弱虫男』に出ていたと今回ウィキペディアで知った。ロマンポルノ映画に数多く出演しているが、何と言っても『赫い髪の女』が最高だと思う。その後も数多くの映画、テレビに出ていて、特に70年代から90年代頃の名作には大体脇役で出ていた印象がある。『祭りの準備』『竹山ひとり旅』『復讐するは我にあり』『マルサの女』などだが、中でも印象的なのは『月はどっちに出ている』。主人公姜忠男の母親役で、「北」に住む息子のために見つからないようにお金を箱に入れるシーンがあった。
(絵沢萌子)
 あき竹城(たけじょう)が15日死去、75歳。日劇ミュージックホールのダンサーで山形弁のトークが評判を呼んで、テレビに出るようになり、さらに映画にも出た。今村昌平監督『楢山節考』に緒形拳の後妻役で出演して地位を確立した。その後も大河ドラマなどで活躍したが、やがて山形弁でトークする面白おばさんといったキャラでヴァラエティ番組で大活躍した。2年前からガンで闘病していたというが、秘密にしていた。
(あき竹城)
 水木一郎が6日死去、74歳。数多くのアニメでテーマソングを歌い「アニソンの帝王」と呼ばれた。『マジンガーZ』を初め「仮面ライダー」シリーズ、『宇宙海賊キャプテンハーロック』などだが、僕には知らないアニメが多い。2002年からは中日ドラゴンズ応援歌「燃えよドラゴンズ!」も歌っていた。知ってる人にはものすごい思い入れのある人らしいんだけど、僕は知らない人の方。僕の頃は高校生、大学生になったらほとんどアニメを見なかったもので、世代が一つズレているのである。
(水木一郎)
 高見知佳が12月21日に死去、60歳。この訃報には驚いた。2022年7月の参院選で愛媛選挙区から立憲民主党推薦で立候補していたからである。その時は自覚症状はなく、11月に痛みを訴えて診療を受けたところ子宮ガンだったという。もともと愛媛県新居浜市出身で、2018年に離婚してから帰郷し、母の介護をしながらタレント活動もしていたという。84年に「くちびるヌード」が資生堂のCMソングに選ばれ人気になった。映画『蒲田行進曲』では銀ちゃんが小夏を捨てて付き合う女を演じていた。その後はテレビの司会をするなどの仕事が多かった。2001年にメキシコ系アメリカ人と結婚し、一時は沖縄でメキシコ料理店を経営していた。
(高見知佳)
 江原真二郎が9月27日に死去していた。85歳。50年代後半に東映映画で活躍し、その後テレビ、舞台でも活動した。もともと京都で育ち、東映撮影所に出入りするうちスカウトされた。今井正監督に見出され、『』『純愛物語』に主演した。これは1957年のベストテンで1位、2位である。また中原ひとみと共演して親しくなり、60年に結婚した。子どもが二人いて、72年から82年に、一家でライオン歯磨のCMに出演したことで知られた。家城己代治監督の『裸の太陽』(1958)が一番良いと思う。また内田吐夢監督の宮本武蔵シリーズでは、吉岡清十郎を演じた。テレビへの出演も大体は20世紀のことだったので、若い人は名前を知らないだろう。
(江原真二郎)
 志垣太郎も3月5日に死去していた。70歳。70年代に甘いマスクで人気を得た俳優である。70年のNHKドラマ「男は度胸」で天一坊役で出演。71年の「おれは男だ!」で森田健作のライバル役で人気となった。大河ドラマや「水戸黄門」など多くのテレビドラマに出演する他、ヴァラエティ番組でも活躍した。
(志垣太郎)
 60年代の東宝映画で活躍した藤山陽子が11日に死去。80歳。オール東宝ニュータレント1期生に選ばれ、1961年の『大学の若大将』でデビューした。上品な顔立ちで令嬢役などで活躍、若大将シリーズ、社長シリーズなどに出演した。映画よりも、テレビ「青春とはなんだ」「これが青春だ」などの青春学園ドラマの教師役で人気を得た。67年に結婚を機に引退した。
(藤山陽子)
花井幸子、10月1日没、84歳。ファッションデザイナー。64年に独立して、68年に銀座に「マダム花井」をオープンした。全日空を初め多くのデパート、学校などの制服を手がけた他、『宇宙戦艦ヤマト』の衣装デザインにも関わった。
岸本健、4日没、84歳。スポーツ写真家。東京五輪からソチ五輪まで夏冬のすべての五輪を取材した。66年にスポーツ写真集団「フォート・キシモト」を設立した。
島袋宗康(しまぶくろ・そうこう)、9日没、96歳。元参議院議員。沖縄社会大衆党委員長から、92年に参院選に出て当選。96年に再選された。
笠浩二(りゅう・こうじ)、14日死去、60歳。元ロックバンド「C-C-B」のドラマー、ヴォーカル。89年の解散後は熊本県南阿蘇村に移住して農業をしながら音楽活動を続けていた。2016年の熊本地震で被災し、復興支援プロジェクトを呼びかけた。
常磐津英寿(ときわづ・えいじゅ)、15日死去、95歳。三味線演奏家。常磐津節の奏者として人間国宝に指定。
福田喜重(ふくだ・きじゅう)、16日没、90歳。染色工芸作家。97年に刺繍でただ一人の人間国宝に指定された。
田中裕二、17日死去、65歳。バンド「安全地帯」ドラマー。
湯浅勇治、17日没、66歳。指揮者。元ウィーン国立音大准教授。30年にわたってウィーンで教え多くの後進を育てた。ウィーンで死去。
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