尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「板書」か「パワポ」か、授業のやり方の今昔

2023年01月23日 22時24分00秒 |  〃 (教育問題一般)
 「包丁一本 さらしに巻いて」と始まる歌がある。「月の法善寺横町」である。歌い出しは知っているけど、誰が歌ったのかは、もう僕の世代では知らない人がほとんどだろう。大阪の「法善寺横丁」には昔行ったことがあって、名物夫婦善哉を食べようと思ったら満員だったので、レトルトを買って帰った記憶がある。でも歌の方は「横町」と書くと今回知った。歌ったのは藤島恒夫(ふじしま・たけお)で、1960年の大ヒット曲。同年の紅白歌合戦でも歌った。

 歌は「旅へ出るのも 板場の修行」と続く。若い二人が愛し合うが、男は修行に出なければならない。「腕をみがいて 浪花に戻りゃ 晴れて添われる 仲ではないか」。日本ではドイツの石工のような遍歴職人はあまり知られていない。でも「職人」の世界には「腕一本」でどこでも生きていけるという気風があった。実際に料理を学んでから、全国各地で修行した話はよく聞く。

 料理人の世界の話を書きたいわけではなく、メインは教育の話である。朝日歌壇(1.22)に次のような短歌が掲載されていた。「板書よりパワポ画面を望まれて令和の授業は十人十色」(ふじみ野市、片野里名子)というのである。何で「月の法善寺横町」を思い出したのかと言えば、僕の時代だと教師は「チョーク一本」で授業が出来なければと教えられたからである。もっとも本当に「チョーク一本」で教室に行くことはない。出席簿教科書は最低限持たないといけない。
(「プロの板書」という本)
 黒板にチョークで字などを書くことを「板書」(ばんしょ)と呼ぶ。これは業界用語だろう。最初に聞いたときは判らなかった。まあ何となく聞いているうちに、「黒板に書くこと」なんだなと推測したのである。そして授業は板書が基本で、板書の書き方や工夫を求められた。研究授業で他の教師の板書を見ると、勉強になることも多いけど、あれ書き順が違うぞという時もある。字の上手下手もあるが、下手でもいいから丁寧に読みやすい字を書くことが優先する。だから最初は「板書計画」をノートに書いて準備することが多かった。それは確かに後でも役立つものだったと思う。

 1980年代の終わり頃から、ワープロ(文書処理機)が登場して自分も使うようになった。特に試験問題は基本的にワープロで作成するようになった。今までの設問を残しておけるメリットが大きかったのと、生徒にも字が読みやすいという点も大きい。高齢の教員は長く手書きだったので、試験問題が達筆すぎて読めないという苦情を受けたときは困った。21世紀になるとパソコンが普及して、やがて全教員にパソコンが配布されるようになった。それ以前は各教員が私物のワープロ、パソコンを学校に持ち込んで教材作りに利用していたのである。今なら問題視されるのかもしれない。

 その頃から「電子黒板」とか「電子教科書」という話題は出ていたが、現実には使いにくい。数が少ないから、何も自分が使わなくてもと思うわけだ。パワーポイントで授業をするなんて考えられなかった。自分では「地図」だけは「電子黒板」を使用してみたかった。掛地図では後ろの生徒が見にくい。それに掛地図は結構値段が高く(大きいものでは5万円ぐらいして、それを各大陸分そろえる必要がある)、学校予算上なかなか更新してくれない。21世紀になっても、ソ連が出てる地図を使ってる学校が結構あった。
(パワーポイントで黒板風に)
 それがコロナ禍で、生徒にも全員タブレット端末を配布し、授業もオンラインで行うといった時期があったのだろう。そういうのに慣れてしまうと、生徒からすると一斉授業に戻った後で「板書をノートに取る」ということが苦労に感じられるのだろうか。もう自分にはよく判らない問題なのだが、どんどん世界は変わりつつあるなあと思う。だけど、それで良いのかとも思う。「自分の鉛筆でノートをまとめる」というテクニックも、人間には必須な能力のような気もするのである。

 上位1割ぐらいの生徒は、要するにどっちでも対応出来るんだろうと思う。問題は平均付近から平均以下の生徒である。ノートを取るというのは、教師の話を聞き、板書を理解してきちんと字を書くという作業である。当たり前のようで、これはなかなか大変である。世の中で生きていく時には、パソコンやスマホよりも役立つ能力ではないか。例えば「織田信長」を読めても、ちゃんと書けない生徒がいる。アクティブ・ラーニング以前に、ちゃんと基礎用語を書ける力が要る。

 「小田和正」でも「尾田栄一郎」でもなく、「織田信成」の「オダ」。そんなことは常識だろうと思うかもしれないが、中には「小田信長」とか「識田信長」なんて書く生徒がいるのである。やっぱり「板書をノートする」というのも大事な気がする…。
コメント (7)
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