先週になるが世田谷美術館の『民藝 MINGEI』展を見に行った。(30日まで。)世田谷美術館に行くのは何年ぶりだろう? 自宅から遠く、つい敬遠してしまうのである。今回は駒場の日本民藝館に行けばいいじゃないかと言われそう。(ちなみに日本民藝館は何回か行ってて、ここでも『日本民芸館と駒場散歩』を書いた。)暑い中見に行ったのは「わが内なる民藝幻想」のためである。「わが内なる」は70年代の流行語だが今は死語だろう。でも古い話を書きたいのである。
ここでは自分が人に勧めたいものを書くことにしている。映画を見て、自分では今ひとつだなと思っても(原則的には)書かない。自分にはつまらなくても、他の人には面白い場合もあるだろうから。しかし、今回の『民藝展』に関しては、僕は内容的には興味深かったが、見なくても良かったなと思った。だけど、あえて書くのは「民藝とは何か」を考えるヒントのためである。「民藝」の創始者である柳宗悦(やなぎ・むねよし)には、昔から関心があった。近代日本の思想家の中でもとても興味深い人物だと思っている。(柳については、『柳宗悦をどう考えるか』を2016年に書いている。)
(「1941生活展」)
入ってすぐに「1941生活展」が再現されている。日本民藝館で開かれた「生活展」を再現したものだという。ここは写真が撮れるので、上下がそれ。「民藝」品で部屋を飾った「モデルルーム」のようなもので、画期的な企画だったという。展示品の由来を見てみると、案外外国のものが多く、特にイギリスが多い。英米との戦争も迫っていた頃だが、全く戦時色はない。民藝とは「国産」にこだわるものではなかったことが理解できる。これを見ると、非常に落ち着いた気分になれるし、こういう「モノ」に囲まれて暮らせたら素敵だなと思う。このような「生活のありかた」(ウェイ・オブ・ライフ)が大切なんだと伝わってくる。
(「1941生活展」)
大昔に「革命」なんてマジメに語られていたとき、それは「革命勢力が政治権力を掌握する」ことを意味していた。しかし、「革命」後のロシアや中国でも、民衆の生活スタイルはなかなか変化しなかった。ソ連が崩壊した後、ロシアでは正教会が復活し「保守的価値観の守護者」となっただけでなく、今では精神的に戦争を支える存在になった。ソ連や中国の実態が伝わるとともに、僕はウィリアム・モリスに心惹かれるようになった。19世紀イギリスの作家、装飾家であり、社会主義活動家である。『ユートピアだより』などの著作の他、「モダン・デザインの父」と呼ばれ日本でも何度も展覧会が開かれている。
(衣装)
今回の展覧会は「美は暮らしの中に」をキャッチフレーズにしている。近代日本でモリスに近い存在を探すと、それは柳宗悦らが始めた民藝運動が、(大いに貴族趣味的なところはあるが)当てはまるんじゃないだろうか。そう思ったわけである。日本民藝館に行くと、心が浄化されるような思いがする。柳宗悦は植民地時代に朝鮮文化の保存を訴えた人である。「揺るがぬ生活スタイル」に支えられた柳は、権力から自立した思想を持ち得た稀有な例なのではないか。まあ、そういう風に思ったわけである。
今回の展覧会では、昔の日本各地に伝わった「無名」の職人が作った衣装や生活品(陶器や籠など)が多数出ている。特に沖縄の衣装などは、戦争で失われたものも多いだろうから貴重だと思う。だけど、…とそれらを見て思ったことがある。この展示品をいま再現すると、非常に高価なものになるだろう。「職人の手作業」で作られたものだからだ。工業化が進んでなくて人件費も高くなかった時代には、「職人技」が生活を支えていた。それを今求めると、高級品となってしまう。だから、現代に生きる民藝として展示されているものは、今ではとても手が届かない高価なお土産品になっている。
つまり柳が提唱した意味での「民藝」は今では意味が変質してしまった。僕らの周りにある「民藝調」は高級のサインである。では工業的に大量生産された機能性重視の製品、例えばユニクロの服は「現代の民藝」になるのだろうか。かっぱ橋道具街には外国人がいっぱい訪れているらしいが、そこで売ってる道具は民藝なのか。「美意識」と「作家性」はそこにもあるのだろうか? つまり、それが思想を支えると思ってきた「民藝」なるものは、今では幻想なんだなと痛感した。
今は生活に機能性は要求されるが、美意識は必要じゃない。もちろん「機能美」があるとは言える。高層ビルや高速道路にも「現代の美」はある。しかし、それは「職人」が手作業できるものじゃない。職人の手作業は、手打ちそばや和菓子などに生き残っていて、それはスーパーやコンビニで売ってるものより高価である。現代で「民藝」に近いのはそういう食品かもしれない。旅番組で皆がほめているのも大体そういうものだ。生活用品としての「民藝」は今では意味が変容したのかなと思ったのである。
ここでは自分が人に勧めたいものを書くことにしている。映画を見て、自分では今ひとつだなと思っても(原則的には)書かない。自分にはつまらなくても、他の人には面白い場合もあるだろうから。しかし、今回の『民藝展』に関しては、僕は内容的には興味深かったが、見なくても良かったなと思った。だけど、あえて書くのは「民藝とは何か」を考えるヒントのためである。「民藝」の創始者である柳宗悦(やなぎ・むねよし)には、昔から関心があった。近代日本の思想家の中でもとても興味深い人物だと思っている。(柳については、『柳宗悦をどう考えるか』を2016年に書いている。)
(「1941生活展」)
入ってすぐに「1941生活展」が再現されている。日本民藝館で開かれた「生活展」を再現したものだという。ここは写真が撮れるので、上下がそれ。「民藝」品で部屋を飾った「モデルルーム」のようなもので、画期的な企画だったという。展示品の由来を見てみると、案外外国のものが多く、特にイギリスが多い。英米との戦争も迫っていた頃だが、全く戦時色はない。民藝とは「国産」にこだわるものではなかったことが理解できる。これを見ると、非常に落ち着いた気分になれるし、こういう「モノ」に囲まれて暮らせたら素敵だなと思う。このような「生活のありかた」(ウェイ・オブ・ライフ)が大切なんだと伝わってくる。
(「1941生活展」)
大昔に「革命」なんてマジメに語られていたとき、それは「革命勢力が政治権力を掌握する」ことを意味していた。しかし、「革命」後のロシアや中国でも、民衆の生活スタイルはなかなか変化しなかった。ソ連が崩壊した後、ロシアでは正教会が復活し「保守的価値観の守護者」となっただけでなく、今では精神的に戦争を支える存在になった。ソ連や中国の実態が伝わるとともに、僕はウィリアム・モリスに心惹かれるようになった。19世紀イギリスの作家、装飾家であり、社会主義活動家である。『ユートピアだより』などの著作の他、「モダン・デザインの父」と呼ばれ日本でも何度も展覧会が開かれている。
(衣装)
今回の展覧会は「美は暮らしの中に」をキャッチフレーズにしている。近代日本でモリスに近い存在を探すと、それは柳宗悦らが始めた民藝運動が、(大いに貴族趣味的なところはあるが)当てはまるんじゃないだろうか。そう思ったわけである。日本民藝館に行くと、心が浄化されるような思いがする。柳宗悦は植民地時代に朝鮮文化の保存を訴えた人である。「揺るがぬ生活スタイル」に支えられた柳は、権力から自立した思想を持ち得た稀有な例なのではないか。まあ、そういう風に思ったわけである。
今回の展覧会では、昔の日本各地に伝わった「無名」の職人が作った衣装や生活品(陶器や籠など)が多数出ている。特に沖縄の衣装などは、戦争で失われたものも多いだろうから貴重だと思う。だけど、…とそれらを見て思ったことがある。この展示品をいま再現すると、非常に高価なものになるだろう。「職人の手作業」で作られたものだからだ。工業化が進んでなくて人件費も高くなかった時代には、「職人技」が生活を支えていた。それを今求めると、高級品となってしまう。だから、現代に生きる民藝として展示されているものは、今ではとても手が届かない高価なお土産品になっている。
つまり柳が提唱した意味での「民藝」は今では意味が変質してしまった。僕らの周りにある「民藝調」は高級のサインである。では工業的に大量生産された機能性重視の製品、例えばユニクロの服は「現代の民藝」になるのだろうか。かっぱ橋道具街には外国人がいっぱい訪れているらしいが、そこで売ってる道具は民藝なのか。「美意識」と「作家性」はそこにもあるのだろうか? つまり、それが思想を支えると思ってきた「民藝」なるものは、今では幻想なんだなと痛感した。
今は生活に機能性は要求されるが、美意識は必要じゃない。もちろん「機能美」があるとは言える。高層ビルや高速道路にも「現代の美」はある。しかし、それは「職人」が手作業できるものじゃない。職人の手作業は、手打ちそばや和菓子などに生き残っていて、それはスーパーやコンビニで売ってるものより高価である。現代で「民藝」に近いのはそういう食品かもしれない。旅番組で皆がほめているのも大体そういうものだ。生活用品としての「民藝」は今では意味が変容したのかなと思ったのである。