映画は見ていて楽しくなるものばかりではない。むしろ厳しい現実に見る方がひるんでしまうような映画も必要だ。最近では吉田恵輔監督の『ミッシング』が代表。吉田監督は2021年の『空白』で娘が事故で死んだ父親を描いた。それに対し、今度の映画は娘が行方不明になった母親を描く。この石原さとみが凄まじく、一見の価値がある。ただ途中から報道のあり方などに焦点が移っていき、肝心の行方不明(事故または事件)は解決を見ないまま終わる。沼津のロケが効果を上げていたが、この映画はここまで。
ここでは主に入江悠監督の『あんのこと』を取り上げたい。河井優美主演で、内容のすごさもあって評判になっている。普通は「この映画はフィクションです」と出るのに、この映画は「実際に起きた事件に基づく」と最初に出るのである。新聞記事にインスパイアされて脚本が書かれたという。たった数年前のことなのに、忘れかけている「コロナ禍」の人々に与えた影響を伝える映画としても貴重。それにしても凄まじい現実に言葉を失う映画だ。
紹介をコピーすると、「21歳の香川杏(河合優実)は、ホステスの母(河井青葉)、足の不自由な祖母と、東京・赤羽の団地で暮らしている。杏は幼い頃から酔った母親に暴力を振るわれ、小学4年生時より不登校となり、十代半ばから売春を強いられるなど過酷な人生を送ってきた。」それが変わっていくきっかけは、「ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた杏は、多々羅(佐藤二朗)という妙な人懐こさを感じさせる刑事と出会う。多々羅は杏に薬物更生者の自助グループを紹介し、なんの見返りも求めず就職を支援する。大人を信用したことのない杏だったが、ありのままを受け入れてくれる多々羅に、次第に心を開いていく。」
(刑事役佐藤二朗と)
警官としては異色すぎる「多々羅」には様々な知り合いがいるようだ。施設ではヨガを指導したりしている。そこに週刊誌記者の桐野(稲垣吾郎)も訪れ、杏は大人に導かれて新しい自分を見つけられた。高齢者施設で働けるようになり、なじみの利用者もできる。小学校から行ってないというから、僕は夜間中学へ行ったらと思ったらやはり夜間中学を訪ねている。そこには外国人も多いが、一緒に数学を勉強している。杏は周りの助けを得て、立ち直れるのか。そこへ「週刊誌記者の桐野(稲垣吾郎)は、「多々羅が薬物更生者の自助グループを私物化し、参加者の女性に関係を強いている」というリークを得て、慎重に取材を進めていた-。」
(佐藤二朗、河井優美、稲垣吾郎)
こうして、「大人の世界」が揺らいでいくときに、世界で新型コロナウイルスのパンデミックが始まった。夜間中学も突然休校し、高齢者施設では非正規職員は自宅待機となった。今まで居場所だった飲食店も入れない。DV向けの避難施設にいた杏は、そこに閉じこもっていたら突然ノックされる。隣室の女性が子どもを押しつけて、どこかに消えてしまった。杏はなんとか子どもと遊び、食べるものを作る。しかし、今までそうだったように、いつも大事なときに母親が現れてすべてを壊すのである。河井青葉が演じる母親の壊れっぷりはものすごい。大体父親はどうなっているんだか。散らかりきった部屋もひどい。
(高齢者施設で働く)
こうしてすべてを失った(と思った)杏には、生きていく力がもう残っていない。悲劇までを一直線に描く作品だが、完成度的には問題もあると思う。「現実」に規定され、想像力で羽ばたく展開じゃない。「虐待」と「コロナ禍」でどうしようもない現実を描くため、どうしてもこの凄まじい現実を変えられたとしたら何だったのかを考えてしまう。「行政」や「学校」は子どもを抱えた母親と接触する機会が多いが、家庭内部に介入するのが難しい。「強制力」を持った警察が登場するまで、杏を動かすことが出来なかった。しかし、その「強制力」は良いばかりではない。裏に暗い部分を秘めている。映画はそのことを示している。
(入江悠監督)
入江悠(1979~)は2009年の『SR サイタマノラッパー』が注目され、『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』(2010)、『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』(2011)、『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(2012)と作ってきた。これらは大手作品ではないが、後で見たら非常に面白かった。その後、大手で『ジョーカー・ゲーム』(2015)、『22年目の告白 -私が殺人犯です-』(2017)、『ビジランテ』(2017)、『AI崩壊』(2020)など、何でもこなす器用さが持ち味。しかし、ここまで「社会派」的な作品は今までにはない。今回は自ら脚本も書き、力強い作品になっている。なかなか見るのが辛い映画だが、日本の現実を考える時に見ておくべき映画だ。
ここでは主に入江悠監督の『あんのこと』を取り上げたい。河井優美主演で、内容のすごさもあって評判になっている。普通は「この映画はフィクションです」と出るのに、この映画は「実際に起きた事件に基づく」と最初に出るのである。新聞記事にインスパイアされて脚本が書かれたという。たった数年前のことなのに、忘れかけている「コロナ禍」の人々に与えた影響を伝える映画としても貴重。それにしても凄まじい現実に言葉を失う映画だ。
紹介をコピーすると、「21歳の香川杏(河合優実)は、ホステスの母(河井青葉)、足の不自由な祖母と、東京・赤羽の団地で暮らしている。杏は幼い頃から酔った母親に暴力を振るわれ、小学4年生時より不登校となり、十代半ばから売春を強いられるなど過酷な人生を送ってきた。」それが変わっていくきっかけは、「ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた杏は、多々羅(佐藤二朗)という妙な人懐こさを感じさせる刑事と出会う。多々羅は杏に薬物更生者の自助グループを紹介し、なんの見返りも求めず就職を支援する。大人を信用したことのない杏だったが、ありのままを受け入れてくれる多々羅に、次第に心を開いていく。」
(刑事役佐藤二朗と)
警官としては異色すぎる「多々羅」には様々な知り合いがいるようだ。施設ではヨガを指導したりしている。そこに週刊誌記者の桐野(稲垣吾郎)も訪れ、杏は大人に導かれて新しい自分を見つけられた。高齢者施設で働けるようになり、なじみの利用者もできる。小学校から行ってないというから、僕は夜間中学へ行ったらと思ったらやはり夜間中学を訪ねている。そこには外国人も多いが、一緒に数学を勉強している。杏は周りの助けを得て、立ち直れるのか。そこへ「週刊誌記者の桐野(稲垣吾郎)は、「多々羅が薬物更生者の自助グループを私物化し、参加者の女性に関係を強いている」というリークを得て、慎重に取材を進めていた-。」
(佐藤二朗、河井優美、稲垣吾郎)
こうして、「大人の世界」が揺らいでいくときに、世界で新型コロナウイルスのパンデミックが始まった。夜間中学も突然休校し、高齢者施設では非正規職員は自宅待機となった。今まで居場所だった飲食店も入れない。DV向けの避難施設にいた杏は、そこに閉じこもっていたら突然ノックされる。隣室の女性が子どもを押しつけて、どこかに消えてしまった。杏はなんとか子どもと遊び、食べるものを作る。しかし、今までそうだったように、いつも大事なときに母親が現れてすべてを壊すのである。河井青葉が演じる母親の壊れっぷりはものすごい。大体父親はどうなっているんだか。散らかりきった部屋もひどい。
(高齢者施設で働く)
こうしてすべてを失った(と思った)杏には、生きていく力がもう残っていない。悲劇までを一直線に描く作品だが、完成度的には問題もあると思う。「現実」に規定され、想像力で羽ばたく展開じゃない。「虐待」と「コロナ禍」でどうしようもない現実を描くため、どうしてもこの凄まじい現実を変えられたとしたら何だったのかを考えてしまう。「行政」や「学校」は子どもを抱えた母親と接触する機会が多いが、家庭内部に介入するのが難しい。「強制力」を持った警察が登場するまで、杏を動かすことが出来なかった。しかし、その「強制力」は良いばかりではない。裏に暗い部分を秘めている。映画はそのことを示している。
(入江悠監督)
入江悠(1979~)は2009年の『SR サイタマノラッパー』が注目され、『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』(2010)、『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』(2011)、『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(2012)と作ってきた。これらは大手作品ではないが、後で見たら非常に面白かった。その後、大手で『ジョーカー・ゲーム』(2015)、『22年目の告白 -私が殺人犯です-』(2017)、『ビジランテ』(2017)、『AI崩壊』(2020)など、何でもこなす器用さが持ち味。しかし、ここまで「社会派」的な作品は今までにはない。今回は自ら脚本も書き、力強い作品になっている。なかなか見るのが辛い映画だが、日本の現実を考える時に見ておくべき映画だ。