尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画『あんのこと』、この凄まじい現実を変えられるのか?

2024年06月16日 20時32分55秒 | 映画 (新作日本映画)
 映画は見ていて楽しくなるものばかりではない。むしろ厳しい現実に見る方がひるんでしまうような映画も必要だ。最近では吉田恵輔監督の『ミッシング』が代表。吉田監督は2021年の『空白』で娘が事故で死んだ父親を描いた。それに対し、今度の映画は娘が行方不明になった母親を描く。この石原さとみが凄まじく、一見の価値がある。ただ途中から報道のあり方などに焦点が移っていき、肝心の行方不明(事故または事件)は解決を見ないまま終わる。沼津のロケが効果を上げていたが、この映画はここまで。

 ここでは主に入江悠監督の『あんのこと』を取り上げたい。河井優美主演で、内容のすごさもあって評判になっている。普通は「この映画はフィクションです」と出るのに、この映画は「実際に起きた事件に基づく」と最初に出るのである。新聞記事にインスパイアされて脚本が書かれたという。たった数年前のことなのに、忘れかけている「コロナ禍」の人々に与えた影響を伝える映画としても貴重。それにしても凄まじい現実に言葉を失う映画だ。

 紹介をコピーすると、「21歳の香川杏河合優実)は、ホステスの母(河井青葉)、足の不自由な祖母と、東京・赤羽の団地で暮らしている。杏は幼い頃から酔った母親に暴力を振るわれ、小学4年生時より不登校となり、十代半ばから売春を強いられるなど過酷な人生を送ってきた。」それが変わっていくきっかけは、「ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた杏は、多々羅佐藤二朗)という妙な人懐こさを感じさせる刑事と出会う。多々羅は杏に薬物更生者の自助グループを紹介し、なんの見返りも求めず就職を支援する。大人を信用したことのない杏だったが、ありのままを受け入れてくれる多々羅に、次第に心を開いていく。」
(刑事役佐藤二朗と)
 警官としては異色すぎる「多々羅」には様々な知り合いがいるようだ。施設ではヨガを指導したりしている。そこに週刊誌記者の桐野稲垣吾郎)も訪れ、杏は大人に導かれて新しい自分を見つけられた。高齢者施設で働けるようになり、なじみの利用者もできる。小学校から行ってないというから、僕は夜間中学へ行ったらと思ったらやはり夜間中学を訪ねている。そこには外国人も多いが、一緒に数学を勉強している。杏は周りの助けを得て、立ち直れるのか。そこへ「週刊誌記者の桐野稲垣吾郎)は、「多々羅が薬物更生者の自助グループを私物化し、参加者の女性に関係を強いている」というリークを得て、慎重に取材を進めていた-。」
(佐藤二朗、河井優美、稲垣吾郎)
 こうして、「大人の世界」が揺らいでいくときに、世界で新型コロナウイルスのパンデミックが始まった。夜間中学も突然休校し、高齢者施設では非正規職員は自宅待機となった。今まで居場所だった飲食店も入れない。DV向けの避難施設にいた杏は、そこに閉じこもっていたら突然ノックされる。隣室の女性が子どもを押しつけて、どこかに消えてしまった。杏はなんとか子どもと遊び、食べるものを作る。しかし、今までそうだったように、いつも大事なときに母親が現れてすべてを壊すのである。河井青葉が演じる母親の壊れっぷりはものすごい。大体父親はどうなっているんだか。散らかりきった部屋もひどい。
(高齢者施設で働く)
 こうしてすべてを失った(と思った)杏には、生きていく力がもう残っていない。悲劇までを一直線に描く作品だが、完成度的には問題もあると思う。「現実」に規定され、想像力で羽ばたく展開じゃない。「虐待」と「コロナ禍」でどうしようもない現実を描くため、どうしてもこの凄まじい現実を変えられたとしたら何だったのかを考えてしまう。「行政」や「学校」は子どもを抱えた母親と接触する機会が多いが、家庭内部に介入するのが難しい。「強制力」を持った警察が登場するまで、杏を動かすことが出来なかった。しかし、その「強制力」は良いばかりではない。裏に暗い部分を秘めている。映画はそのことを示している。
(入江悠監督)
 入江悠(1979~)は2009年の『SR サイタマノラッパー』が注目され、『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』(2010)、『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』(2011)、『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(2012)と作ってきた。これらは大手作品ではないが、後で見たら非常に面白かった。その後、大手で『ジョーカー・ゲーム』(2015)、『22年目の告白 -私が殺人犯です-』(2017)、『ビジランテ』(2017)、『AI崩壊』(2020)など、何でもこなす器用さが持ち味。しかし、ここまで「社会派」的な作品は今までにはない。今回は自ら脚本も書き、力強い作品になっている。なかなか見るのが辛い映画だが、日本の現実を考える時に見ておくべき映画だ。
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発掘本『ロック・デイズ 1964-1974』、ロックの「その日」に立ち会った男

2024年06月16日 16時55分21秒 | 〃 (さまざまな本)
 6月15日に母親の一周忌を行った。命日は7月だが、都合で6月になった。個人的な事柄なのでここでは書かないが、これで一応「喪明け」になる。暑くなって疲れたし、昨日は早めに寝てしまった。書きたいことが溜まったので、頑張って書きたい。まずはちょっと前に読んだ「発掘本」の紹介。発掘本と書くのは、珍しいものを見つけたという意味だけじゃなく、ホントに「発掘」したのである。別の本を探してたら、下の方から出て来た。そもそもこんな本を買ってたのを忘れていたのである。

 マイケル・ライドンロック・デイズ 1964‣1974』(バジリコ、2007、秦隆司訳)という本で、出版社のサイトを見ると今でも注文できるようである。著者マイケル・ライドン(Michael Lydon)は、「ローリング・ストーン」誌の創刊編集者という。60年代初期に大学時代を送り、イギリスで大ヒットしていた「ザ・ビートルズ」に批判的な記事を書いていた。でも卒業してニューズウィーク」の記者に採用されロンドン支局に配属されると、ジョン・レノンポール・マッカートニーにインタビューして、すっかりファンになってしまった。そして「ロック」専門記者みたいになっていったのである。
(マイケル・ライドン)
 次にサンフランシスコに配属され、すぐに1967年の伝説的なモンタレー・ポップ・フェスティバルを目撃した。(この音楽祭の記録映画『モンタレー・ポップ』は最近初公開され、記事を書いた。)つまり、ジャニス・ジョプリンの大熱唱やジミ・ヘンドリックスのアメリカ登場(ギターを破壊して燃やした)、ラヴィ・シャンカールのシタール演奏など「伝説」を目撃したわけである。そして、ジャニス、ジミヘン、ジム・モリソンなどを取材した。前の二人は1970年に亡くなり、ジム・モリソンは1971年に亡くなった。皆「27歳」だったのはよく知られている。(これを「27クラブ」と呼ぶらしい。)その3人を身近に取材できたのである。ジャニス・ジョプリンは「成功の全部が奇妙な感じだわ」と語り、生育歴にも触れている。こんな貴重な本はない。
  (ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン)
 その他、B・B・キングのディープ・サウス巡業公演に同行したり、アレサ・フランクリンをレポートしたりしている。が、なんと言っても一番貴重なのが、1969年のローリング・ストーンズ全米ツァーに同行取材を許された時の記録だ。当時はビートルズ、ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズがコンサートを休止中だったが、69年になってストーンズが公演を再開した。そして全米を同行取材することが許された。ライドンの記者人生にとって、最高の日々だろう。そして裏のドタバタ、混乱が記されている。生身のミック・ジャガーやキース・リチャーズを身近に見ることが出来る。当時はブライアン・ジョーンズが急死して、代わりにミック・テイラーが加入したばかりだった。ファンには見えない部分が記録されている。
(1969年のローリング・ストーンズ全米ツァー)
 そして、この全米公演の最後に「オルタモントの悲劇」が起こった。著者はその時も一緒にいたのである。それは1969年12月6日、最後に無料コンサートが企画され、暴走族ヘルズ・エンジェルスが、武器を所持していたとして観客の黒人青年メレディス・ハンターを刺殺した。実は大混乱を恐れたストーンズ側がヘルズ・エンジェルスを「警備」担当で雇っていた。ヘルズ・エンジェルスは裁判で「正当防衛」を認められている。しかし、ロック・コンサートで殺人事件が起きたという衝撃は大きかった。著者は事件を目撃した頃を最後に、今度は自分でもステージに立ちたくなっていき、音楽活動を始めたという。

 一番最後に「ボブ・ディラン・オン・ツァー」があるが、これは取材ではない。1974年に行われたボブ・ディランの公演は、そもそも記者の取材を認めなかった。著者は自分でチケットを確保して、全部の公演を見たのである。それは記事にはならず、原著で初めて公になったという。このように、マイケル・ライドンは本当に「ロックのその日」を目撃したことになる。出て来ないのは、1969年8月に開かれたウッドストック・フェスティバルぐらいだろう。なぜかは不明だが、著者は基本的に太平洋側で活動することが多かったからだろうか。ディープサウスの様子などを読むと、まだまだ南部は差別に満ちていたことが判る。それにしても、一人でこれほど多くの伝説的ロックミュージシャンに会って取材した人は他にいないと思う。とても貴重な本だ。
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