尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「2027年台湾侵攻」説は本当だろうか?ー「台湾有事」考①

2024年06月02日 21時52分53秒 |  〃  (国際問題)
 2024年5月20日に、「台湾」で頼清徳総統が就任した。この書き方にも本当は説明が必要だが、大方のマスコミはそう報じている。その就任演説が注目されていたが、中国との関係については「現状維持」を強調する一方で、「台湾は中国の一部だ」とする中国の主張を否定した。中国はその主張を「台湾独立派」として厳しく非難し、中国軍(中国共産党人民解放軍)は23日~24日に台湾を取り囲むように演習を実施した。画像のように軍を展開したのだから、まるでウクライナ侵攻直前のロシア軍が「演習」と称して国境に大軍を集結させたようなものだ。一体、中国(中華人民共和国)は本当に台湾を軍事侵攻するのだろうか。

 ここ数年、日本では「今は戦前」だという言葉が多く聞かれるようになった。今にも戦争に巻き込まれるかのようである。その現状をどう考えるかは別にして、厳しい現実が見られるのは事実だろう。だけど、「日本が戦争に関わる」というときのイメージは人様々。きちんと国際状況を理解していないと、今にも日本が攻められるみたいに思い込みやすい。日本はロシアとの間に「北方領土」問題を抱えているが、今のところ「武力で取り戻そう」などという議論をまともにしている人はいないだろう。

 問題は「台湾有事」に絞られる。「台湾有事」とは、中華人民共和国がまだ支配下に置いてない「台湾省」を武力で統一する事態である。(中国には国家の軍はないので、中国共産党人民解放軍が攻撃することになる。)台湾には「中華民国」という国家が、内戦に敗れた地方政府として存続している。台湾が中国の一部であることを、日本国は承認している。僕もそれは正しい方針だと考える。日本が台湾独立を支持することはあり得ない。しかし、中国が台湾を武力攻撃することも許されない
(来日したアキリーノ司令官)
 2024年4月に来日したアキリーノ米インド太平洋軍司令官は「(台湾侵攻を)習近平国家主席が軍に対し、2027年に実行するする準備を進めるよう指示している」と語った。アメリカ情報は、他にも「2027年侵攻準備指示」説に言及している。アキリーノ氏は退役して、後任にはパパロ海軍大将が就任する予定だと記事に出ている。従って、アキリーノ氏は実際に台湾侵攻が起きても、自分では対処しない。いわばキャリアの最後に、言うべきことを言い置くということなんだろうと思う。

 中国共産党の最高指導者、習近平総書記は2012年11月の共産党大会で選出され、2017年に再任された。そして異例なことに2022年11月に3期目の総書記に就任したわけである。従って、2027年に3期目の任期が終わる。習近平は1953年6月15日生まれだから、その時点で74歳を迎えている。バイデン、トランプ、モディを見れば、まだまだ年齢的に可能かもしれないが、健康に問題がなくても「異例の3期目に何をやったのか」ということになる。その最大の業績になりうるのは「未解放の台湾回収」しかない。

 「建国の父」毛沢東、「改革開放の父」鄧小平と並ぶためにも、何とか「台湾統一」を実行したいと思っているだろう。武力を行使するしかないとなれば、軍事侵攻も想定可能である。その事態は中国経済に大影響を及ぼすだろうが、「原則問題」だから譲ることは出来ない。もちろん世界各国の反対を押し切って、本気で軍事侵攻するのかは判らない。そして、それが果たして成功するのかどうかも難しい問題だ。だけど、何の準備もせず任期の終わりを待っているとは僕には思えない。侵攻可否は置いておいて、「準備指示」はあり得ると考える。必ず侵攻作戦を発動するということではない。だが「準備」は軍に指示している。

 そういう事態は大いにあり得ると思っていて、「絶対に侵攻など起こらない」と思い込むわけにはいかない。ウクライナでもガザでも、どんな予想でも事前に想定出来ないような悲劇が眼前で進行している。「台湾有事」だけは起こらないと希望を持てる状況ではない。そして、もし実際に台湾侵攻作戦が始まれば、日米安全保障条約に基づき必然的に日本も巻き込まれていく。ウクライナやガザはいくら悲劇であれ、日本からは「遠い戦争」である。しかし、台湾での戦争は日本にとって他人事ではない。

 ここでは「台湾有事」は起こりうる事態だという認識に立って、ではどのようなことが起きるか、我々はいかに対処するべきか、東アジアの平和を維持するために何か出来ることはあるのかということを数回にわたって考えてみたい。いつかきちんと書きたいと思っていた問題だが、今書くのは「天安門事件35年」ということもある。これは単に「戦争か平和か」というだけの問題ではない。むしろ「自由か独裁か」という問題でもあるし、「人権保障か抑圧社会か」という問題でもあると思っている。
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