安倍首相暗殺事件で逮捕されている山上徹也容疑者をどう理解すれば良いのだろうか。その家庭環境など多く報道されているが、僕は全部をきちんと追っているわけではない。また本人のTwitterがあるというが、自分では見ていない。その他、反「統一協会」ブログを書いていた人に「手紙」(事実上の犯行声明のようなもの)を事後に届けられるように出していたというが、それも報道で見ただけである。二次資料を基に論じることになるが、自分で考えている「問題点」を幾つか指摘して、論点を明らかにしたい。
山上容疑者が「実行犯」であることは疑えないが、その犯行に至る背景事情はまだまだ不明な点があると考えている。山上容疑者は奈良県の進学高校である県立郡山高校を卒業したとされている。郡山高校は野球部の強豪校で、1998年の春の選抜大会に出場していた。横浜高校が松坂大輔を擁して春夏連覇を果たした年の春である。郡山は準々決勝まで進出して、その横浜高校に4対0で敗退した。山上容疑者は応援部に所属し、その時も甲子園にいたということである。
(現行犯逮捕の瞬間)
その後、父が亡くなるが(自殺だという説がある)、母は「統一協会」にのめりこみ生命保険金も「統一教会」に「寄付」したという。兄も病気を抱えていて、その後2017年頃に自殺したとされる。一家は不幸の連鎖に陥るが、「統一教会」的に発想すれば「先祖の霊」に問題があるということになるんだろう。山上容疑者が「統一教会」憎しになることは理解出来ると思うが、では彼はどのようにするべきだったのだろうか。その生き方に正解はないだろうが、彼には身近なところにロールモデルがあった。
それは父の兄(伯父)である。今回弁護士として匿名で登場しているが、特定はされていないようである。この伯父弁護士は統一教会と交渉し、5千万円を取り戻したということだ。しかし、戻ってきた金は再び母が寄付してしまったという。お金の問題ではないのかもしれないが、このような「法的取り組み」で少なくとも金銭的な面で「解決」することがある。本当に困窮している家庭もあるだろうから、宗教団体トップを殺害するよりも前に出来ることはいっぱいあったはずだ。
山上容疑者は同志社大学工学部中退ということだから、理系だったのだろう。学力的には高かったとしても、自ら弁護士を目指すわけにはいかなかったのだろう。でも被害弁護団に協力するとか、支援団体を立ち上げるとかは出来なかったのだろうか。伯父の弁護士も関西の被害者救済の中心になったわけではないらしい。つまり、日弁連の人権擁護委員会で活動したり、消費者問題、公害事件、冤罪問題などに尽力するタイプではなかったのだろう。
(山上容疑者の自宅とされる写真)
山上容疑者が個人的な「ヒットマン」を志向したのは、何故なのかということをもっと究明しなければならない。もともと安倍元首相は「真の敵」ではなかったと供述しているとされる。「真の敵」は「家庭連合」の韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁なのだが、コロナ禍で来日出来ないから、教団の広告塔だった安倍氏を狙ったという。しかし、韓総裁は「真の敵」なのだろうか。
韓鶴子総裁は創始者である文鮮明氏の妻であり後継者ではある。17歳の時に40歳の文総裁の3人目の結婚相手に選ばれ、14人の子をなしたという。しかし、4人はすでに亡くなり、子どもたちの多くも離反している。それほど幸福な人生とは思えない。では教祖文鮮明が敵なのかというと、すでに2012年に亡くなっている。何にしても韓国で始まった宗教がなんで日本で布教出来たのか。宗教法人の認可は1964年だというが、これは1965年の日韓国交正常化の前である。自由に日韓を往来できる時代ではない。日本側で受け入れた経緯があるわけである。このように敵を追い求めても、逃げ水のようにどんどん「真の敵」は遠ざかってゆく。
これは「統一教会」問題に限らず、あらゆる社会問題に言えることだろう。気に入らない組織のトップを殺害しても、そのような組織を生み出す社会の方が変わらない限り、同じような人物、同じような組織が出てくるだけである。それはかつて起こった豊田商事事件でよく判る。1980年代初頭に「金の地金」を高齢老人向けに売るという豊田商事の被害が問題化した。(実際には金を渡さず、「証書」だけを渡していた。金の地金は買ってはいなかった。)この事件は、多くのテレビが中継している前で社長が刺殺されるという結末に終わった。ところで「高齢者を欺して老後資金を巻き上げる」という犯罪は、根絶されるどころかむしろ増大しているではないか。
山上容疑者はTwitter上では「ネトウヨ」を自称し、弱者に厳しい言葉を使っているという。安倍首相に対しても、政治的方向としては評価するような言葉を残しているらしい。山上容疑者の「右翼的思考」、つまり社会的な解決を探るのではなく、一人で状況突破を目指すという生き方がどのように形成されたのか。焦点はそこにあるように思う。本人や周囲の人物の思想傾向、「就職氷河期」と呼ばれた時代状況、「個人責任」を強調する「新自由主義」的政策を自民党内閣が進めていた時代だったこと、同時代的に「少年犯罪」が騒がれた時期に成長したこと(神戸の少年事件の時は16歳だった)など様々な事情が複合して、「自力救済」的な志向を強めてしまったのだろうか。残っている問題も多いけれど、とりあえずここまで。
山上容疑者が「実行犯」であることは疑えないが、その犯行に至る背景事情はまだまだ不明な点があると考えている。山上容疑者は奈良県の進学高校である県立郡山高校を卒業したとされている。郡山高校は野球部の強豪校で、1998年の春の選抜大会に出場していた。横浜高校が松坂大輔を擁して春夏連覇を果たした年の春である。郡山は準々決勝まで進出して、その横浜高校に4対0で敗退した。山上容疑者は応援部に所属し、その時も甲子園にいたということである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6f/80/b0ba0c88e2358fc17372d63352f75ca0_s.jpg)
その後、父が亡くなるが(自殺だという説がある)、母は「統一協会」にのめりこみ生命保険金も「統一教会」に「寄付」したという。兄も病気を抱えていて、その後2017年頃に自殺したとされる。一家は不幸の連鎖に陥るが、「統一教会」的に発想すれば「先祖の霊」に問題があるということになるんだろう。山上容疑者が「統一教会」憎しになることは理解出来ると思うが、では彼はどのようにするべきだったのだろうか。その生き方に正解はないだろうが、彼には身近なところにロールモデルがあった。
それは父の兄(伯父)である。今回弁護士として匿名で登場しているが、特定はされていないようである。この伯父弁護士は統一教会と交渉し、5千万円を取り戻したということだ。しかし、戻ってきた金は再び母が寄付してしまったという。お金の問題ではないのかもしれないが、このような「法的取り組み」で少なくとも金銭的な面で「解決」することがある。本当に困窮している家庭もあるだろうから、宗教団体トップを殺害するよりも前に出来ることはいっぱいあったはずだ。
山上容疑者は同志社大学工学部中退ということだから、理系だったのだろう。学力的には高かったとしても、自ら弁護士を目指すわけにはいかなかったのだろう。でも被害弁護団に協力するとか、支援団体を立ち上げるとかは出来なかったのだろうか。伯父の弁護士も関西の被害者救済の中心になったわけではないらしい。つまり、日弁連の人権擁護委員会で活動したり、消費者問題、公害事件、冤罪問題などに尽力するタイプではなかったのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/04/e4/04e2d8ff970d55781f89bae217bb27cb_s.jpg)
山上容疑者が個人的な「ヒットマン」を志向したのは、何故なのかということをもっと究明しなければならない。もともと安倍元首相は「真の敵」ではなかったと供述しているとされる。「真の敵」は「家庭連合」の韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁なのだが、コロナ禍で来日出来ないから、教団の広告塔だった安倍氏を狙ったという。しかし、韓総裁は「真の敵」なのだろうか。
韓鶴子総裁は創始者である文鮮明氏の妻であり後継者ではある。17歳の時に40歳の文総裁の3人目の結婚相手に選ばれ、14人の子をなしたという。しかし、4人はすでに亡くなり、子どもたちの多くも離反している。それほど幸福な人生とは思えない。では教祖文鮮明が敵なのかというと、すでに2012年に亡くなっている。何にしても韓国で始まった宗教がなんで日本で布教出来たのか。宗教法人の認可は1964年だというが、これは1965年の日韓国交正常化の前である。自由に日韓を往来できる時代ではない。日本側で受け入れた経緯があるわけである。このように敵を追い求めても、逃げ水のようにどんどん「真の敵」は遠ざかってゆく。
これは「統一教会」問題に限らず、あらゆる社会問題に言えることだろう。気に入らない組織のトップを殺害しても、そのような組織を生み出す社会の方が変わらない限り、同じような人物、同じような組織が出てくるだけである。それはかつて起こった豊田商事事件でよく判る。1980年代初頭に「金の地金」を高齢老人向けに売るという豊田商事の被害が問題化した。(実際には金を渡さず、「証書」だけを渡していた。金の地金は買ってはいなかった。)この事件は、多くのテレビが中継している前で社長が刺殺されるという結末に終わった。ところで「高齢者を欺して老後資金を巻き上げる」という犯罪は、根絶されるどころかむしろ増大しているではないか。
山上容疑者はTwitter上では「ネトウヨ」を自称し、弱者に厳しい言葉を使っているという。安倍首相に対しても、政治的方向としては評価するような言葉を残しているらしい。山上容疑者の「右翼的思考」、つまり社会的な解決を探るのではなく、一人で状況突破を目指すという生き方がどのように形成されたのか。焦点はそこにあるように思う。本人や周囲の人物の思想傾向、「就職氷河期」と呼ばれた時代状況、「個人責任」を強調する「新自由主義」的政策を自民党内閣が進めていた時代だったこと、同時代的に「少年犯罪」が騒がれた時期に成長したこと(神戸の少年事件の時は16歳だった)など様々な事情が複合して、「自力救済」的な志向を強めてしまったのだろうか。残っている問題も多いけれど、とりあえずここまで。
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