2025年2月の訃報。2月は短いということもあるが、例年に比べても重大な訃報が少なかった。だから当初は頑張って1回で書こうかと思っていたが、別に頑張る必要はないなと思って、いつもと同じく内外で分けて2回で書きたい。
アメリカの俳優ジーン・ハックマンの遺体が2月26日にサンタフェ(ニューメキシコ州)の自宅で発見された。95歳。同時に妻と犬も死んでいたが、「事件性はない」と報道されている。しかし、偶然同時に病死するわけはないので、なんらかの形で「自殺」なのだろう。ハックマンのペースメーカーは17日で切れていたので、17日に死亡したと考えられている。ジーン・ハックマンは70年代に大活躍していた俳優で、高校時代からよく見ていて思い出深い。ポール・ニューマンやロバート・レッドフォードのようないかにも「二枚目」ではないので、なかなか売れなかったが「アメリカン・ニュー・シネマ」の時代に合っていたのである。
1967年の『俺たちに明日はない』でクライドの兄を演じて評価され、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。その時すでに37歳で、青春スターにはなれなかったのである。しかしその代わりに「中年」の疲れ気味の職業人の役が回ってきて大活躍が始まる。1971年の『フレンチ・コネクション』では麻薬捜査を担当する粗暴な刑事を演じてアカデミー賞主演男優賞を獲得した。フランスのマルセイユとニューヨークの街頭ロケが魅力的な傑作。その後『ポセイドン・アドベンチャー』『スケアクロウ』『カンバセーション…盗聴』『スーパーマン』と名作、傑作、大作に相次いで出演し、70年代ハリウッドを代表する俳優となった。
その後少し低迷したが、1988年の『ミシシッピ・バーニング』でアカデミー賞主演男優賞ノミネート、1992年にはクリント・イーストウッド監督・主演の傑作『許されざる者』の保安官役でアカデミー賞助演男優賞を受賞した。その間1990年に心臓発作を起こしたが立ち直って名脇役として映画に出ていたが、2004年に引退を表明した。1991年に再婚し今回遺体で発見された二度目の妻は日系アメリカ人のピアニスト、ベッツィ・アラカワという人である。
アメリカの歌手ロバータ・フラックが2月24日死去、88歳。ノースカロライナに生まれ、ピアニストとして知られた。15歳で黒人大学の名門ハワード大学に入学してクラシック音楽を学んだのである。しかし、黒人女性がクラシック界で活躍出来る環境が限られる中で、中学教師をしながら音楽活動を続けていた。69年に歌手としてデビューし、そこに収録されていた「愛は面影の中に」がクリント・イーストウッドの初監督映画『恐怖のメロディ』に使われて大ヒット。年間チャート1位となってグラミー賞を受賞した。続く「やさしく歌って」(Killing Me Softly with His Song)も大ヒットし、2年連続でグラミー賞を獲得した。この歌は本当に素晴らしくて、僕もSPレコードを持っている。その後もコンスタントに活躍し、高橋真梨子の曲を英語で歌ったアルバムもある。
韓国の女優キム・セロン(김새론)の遺体が2月16日に発見された。24歳。自殺とみなされている。子役として活躍し、特に2009年の『冬の小鳥』(ウニー・ルコント監督)に主演し注目された。監督自身の経験に基づく「国際養子」を描き、カンヌ映画祭出品された名作。日本では岩波ホールで公開され、キネ旬ベストテンに入選した。その後、2010年に『アジョシ』で韓国映画大賞新人女優賞を史上最年少で受賞。2014年の『私の少女』ではペ・ドゥナの巡査と関わる少女を演じて、末恐ろしいほどの才能を感じさせた.僕は当時「数年後には大美人女優に大成しているかもしれない」と書いた。しかし、その後映画やドラマに出演するも役に恵まれず、2022年には飲酒運転で事故を起こし罰金となった。素晴らしい才能があったのに、あまりにも早い死に何があったか?
アウシュビッツ収容所生存者で歴史家、ジャーナリストのマリアン・トゥルスキが2月18日死去、98歳。ポーランド(現リトアニア)に生まれたユダヤ人で、収容所を生き延び、戦後はポーランド統一労働者党に参加し報道部で働いた。冷戦崩壊後にポーランドのユダヤ歴史協会で活動した。2019年に国連の「国際ホロコースト記念日」に招待されスピーチを行った。2020年の解放75年式典では「アウシュビッツは急に空から降ってきたものではない」として「無関心になるな」と訴えた。
ナミビア初代大統領独サム・ヌジョマが8日死去、95歳。南アフリカの委任統治領「南西アフリカ」に生まれ、南西アフリカ人民機構議長として独立運動を指導した。1990年にナミビアとして独立後、1990年から2005年まで大統領を務めた。
・ウィーンフィルの元首席クラリネット奏者ペーター・シュミードルが1日死去、84歳。ウィーン国立音大教授として多くの弟子を育て、日本でも草津夏季国際アカデミー&フェスティバルの講師を勤めた。
・アメリカ映画の音響監督クリス・ニューマンが3日死去、84歳。『エクソシスト』『アマデウス』『イングリッシュ・ペイシェント』でアカデミー録音賞を3回受賞。その他『フレンチ・コネクション』『ごっごファーザー』『羊たちの沈黙』などで5回ノミネートされた。
・西アフリカのマリ共和国出身の映画監督スレイマン・シセが19日死去、84歳。家父長制や軍事政権に抵抗する人々を描き、アフリカ内部の対立を初めて映画にしたと評価された。1987年の『ひかり』はカンヌ映画祭審査員賞を受賞し日本でも公開された。
・韓国の元「日本軍慰安婦」、吉元玉(キル・ウォンオク)が16日死去、96歳。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます