尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

大台ヶ原山から大杉谷へー日本の山⑳

2020年08月26日 22時10分59秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 紀伊山脈にある大台ヶ原山は、日本でも最も雨が降る地方として有名だ。南紀地方は昔から何となく気になるところで、何回か行っている。大台ヶ原も若い頃から関心があった。北海道の名付け親とされる探検家、松浦武四郎が晩年に登山道を切り開いたことでも知られている。
(大台ヶ原山)
 僕が大台ヶ原に登ったのは、1985年のことである。何でよく覚えているのかというと、ここにある「大台山の家」で暑中見舞いを書いた思い出があるからだ。当時中学生の担任をしていて、学校が葉書を買って夏休み中にクラス全員に出そうということになっていた。どうせなら旅先からの方がいいと思って、大台ヶ原で書いて投函した。この時は和歌山で歴史関係の大会があって、それに行く予定だった。当時は民間の研究会にも「研修」で参加できた。

 紀伊半島奥地はずいぶん秘境っぽいところなんだけど、大台ヶ原そのものは大台ヶ原ドライブウェーが開かれ近鉄バスが大和上市駅から通じている。便は少なく、2時間半もかかる。20年ぐらい経って、今度は自分の車で行ってみたが、すれ違い困難なような大変な道路だった。駐車場に着いてしまえば、そこは高原状に広がる一帯で、最高峰の日出ヶ岳1695m)も100mぐらいの差である。駐車場からはグルッと回るハイキングコースがある。これが登ったり下りたり結構大変だったが、中でも大蛇嵓(だいじゃぐら)は突き出た大岩で、下を見ると怖い思いをした。
(大蛇嵓)
 ここは伊勢湾台風(1959年)で大きな被害を受け、以来環境が回復せず枯木が立ち並ぶようなところがある。(最初の写真)そこにシカの食害も加わり異様な景観が見られた。野生のシカはここで初めてちゃんと見たと思う。北海道東部の野付半島でも似たような景観が見られる。見る方には珍しいけれど自然の破壊された跡である。泊まったのは大台教会の山の家。神道系の教会の付属だが、今はもうない。当時もずいぶんボロかった。

 僕はこの時、ここから大杉谷に下るコースを取った。日本三大渓谷と言われる大杉谷だが、近年は台風の被害で通行できない期間が長かった。最近は復興したようで、途中の「桃の木小屋」も営業を再開した。普通はそこに泊まらないとダメなコースである。小屋の標高は500mだから、ひたすら千メートルも下るのである。そこを登るよりはいいけれど、これだけ下るのも大変だった。水はキレイで、滝や奇岩が連続する。素晴らしい渓谷だが足の裏が痛くなった。
(大杉谷)
 飽きた頃に桃の木小屋で、ステーキが出ると有名だった。それはともかく、ただ下るだけなので渓谷下りはどうしても飽きてくる。宮川ダムに出れば船やバスで町へ出ることになるが、僕の場合は親切な人がトラックの荷台に載せてくれた。どこかで降りて、タクシーを呼んで松阪へ出た。タクシー運転手は「本居宣長記念館でも寄りましょうか」と行ったが、僕は予約していたビジネスホテルに直行した。さすがに疲れていた。
(桃の木小屋)
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