尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

上野誠「万葉学者、墓をしまい母を送る」を読む

2020年08月25日 23時14分06秒 | 〃 (さまざまな本)
 上野誠万葉学者、墓をしまい母を送る」(講談社、2020)という本がすごく面白かった。著者の名前を見ても判らなかったけど、紹介を読むと講談社現代新書や中公新書なんかにも書いている。「大和三山の古代」(講談社現代新書)は、もしかして読んだかも。でも、名前は自分の専門外だから覚えてなかった。福岡県生まれ、東京の國學院大學に学び、今は奈良大学教授。万葉学者が奈良に住んでいるという実に適切な住環境である。

 僕はこういう本はあまり手に取らない。戦争の悲劇がどうのとか、芥川賞受賞作がどうのとか、僕の実人生に直接関係ないような本を読んでエラそうに感想を書いている。介護だの成年後見人制度だのという本は、妻が買ってきてこれも読んでおけと薦めるのである。福祉系の大学を出て福祉職だった人なので、高齢者福祉に関心が深い。男もちゃんと読んでおけというわけである。何しろ親4人の中で、僕の母親だけが存命という状況なのだから。実務的な本だと紹介しないけれど、この本はとても面白かったから書いておきたい。

 著者の祖父の葬儀がとんでもないのである。そして、著者が民俗学や古代史の造詣も深く、万葉集だけでなく古事記の神話や柳田国男などを参考にして、自分の家をケーススタディとして「アナール派」的な歴史を書いたのである。アナール派というのはフランスの歴史学派で、政治や経済の奥深くに潜む「心性」の歴史を追究した。人間は誰しも死ぬわけで、その後の葬儀や墓というものをどうするべきか。それは大問題だと誰も判っているだろうが、40代頃までは親もまだ元気だろうし、仕事や育児に忙しい。あるいは海外旅行に行ったり、飲み歩いたりしていて、親の葬式のことなんかまだまだ考えないだろう。
(上野誠氏)
 そこでこの本を読むべきは、まずは60代以上、つまり僕以上の世代である。読んでみると、すごく面白いだろうと思う。「自分事」なのである。母親の介護なども実務的に参考になるけれど、それ以上に「墓」の話が面白い。著者の祖父は福岡県甘木市(現朝倉市)で、一代で大きな洋品店を築いた人物だった。小さな呉服屋を洋品店に変え、時代の波に乗って大繁盛した。そして大々的な墓を建てた。しかし、1973年に亡くなった時点では、もう時代に遅れていた。それでも地縁血縁総出で何日も続く大々的な葬儀が行われた。

 男は延々と飲み続け、女はひたすら台所で賄いを作り続ける。最近はそこまで地域の人が集まることはないだろう。大きな葬儀なら、葬儀社を通すし「通夜振る舞い」は仕出しを取るだろう。しかし、半世紀前までは日本の各地でそんな状況だったと思う。そういうのを幼くして見ていた僕らの世代は、そんな古い儀式は「封建的」だと批判した。しかし、この本を読んでよく判ったけど、あれこそ「近代」だったのである。資本主義が発展し鉄道が敷設され、全国が結びついた。だからこそ、墓石の流通が全国的になって、大きな墓作り競争が起こったのである。そもそも江戸時代末期になるまで、「庶民」はちゃんとした墓地もなかったのだという。

 著者の場合、祖父、祖母、父と順番通りだったのだが、その後母親が存命のうちに、10歳上の兄が肺がんで亡くなってしまった。そこで、いろいろあったわけだが、介護が大変な状況になった母を次男の著者が引き受けた。つまり奈良へ「欺して」連れてきて、そこで病院と介護施設を転々とした。病院や介護施設には、ずっといられないルールがあって、時々転院するしかないのである。大学教授の著者はバイト代を払って学生を動員しているけど、これは他の人には出来ない技だ。母は福岡でちょっと知られた俳人だったがやむを得ない。その前に祖父が大きくした商店はとっくになくなり、維持費が出せない大々的な墓所もオシマイにした。

 「湯灌」、つまり死者を清める儀式も、昔は家族がやっていた。子どもの著者は祖父母や母に頼まれ手伝っている。まだ「大人の男」扱いされていなかったから、女の仕事を手伝った。そしてその「気色悪さ」が忘れられない。母の時は葬儀社のサービスに任せた。著者のような民俗学に詳しい学者であっても、身近な家族だというのに実際の死体に触れるのは恐ろしいのだ。そして、著者に教えられたのは、日本にも中国にも「薄葬思想」というのもずっとあるという指摘である。つまり大々的な葬儀をする人ばかりでなく、儀式に囚われるなという人もいた。

 中国では「竹林の七賢」や「臨済録」、日本では万葉集から大伴旅人の歌が挙げられている。「この世にて 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我はなりなむ」というんだから愉快だ。来世で虫や鳥になったとしても、生きている間は楽しくやりたいというのである。単なる介護体験記ではない。やはり文系の本に慣れてる人の方が読みやすいと思うが、それでも葬儀、墓、介護などに悩んだり、いろいろ疑問を感じている人は是非読んでみる価値がある本だ。
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