7月はほとんど増村保造監督の映画ばかり見ていたので、そのまとめ。今回は若尾文子作品を中心に書いて、他の人の主演作品は次に。
こんなにたくさん見ているが、僕が特に増村保造監督が好きなわけではない。改めて見て思うのだが、面白い作品が多いがどちらかと言えば好きな監督ではない。増村作品は作品数が多いので、珍品はほとんど見られないが、今でもよく上映される作品もある。例えば、市川雷蔵特集では「華岡青洲の妻」「陸軍中野学校」が上映される。上映が多い映画では、どうしても主演俳優やテーマに注目して見ることになる。有名ではない作品、失敗作も含めて、増村監督を評価してみたいと思う。
今回見なかった作品もあるが(「最高殊勲夫人」「好色一代男」「妻は告発する」「爛」(ただれ)「女の一生」など)、今回見て非常に面白かったのは「美貌に罪あり」「偽大学生」「黒の試走車(テストカー)」「清作の妻」などである。特に「清作の妻」は若尾文子のトークを聞いたためもあるが、非常に完成度の高い映画だと改めて思った。若尾文子の「戦争映画」では「赤い天使」がすごいと思うが、戦争映画としては不自然な点も多い。若尾文子が「また殺してしまった」と異常なまでに悩んだり、中国軍が細菌兵器を使ったという設定など。ただ、従軍看護婦をこれほど正面から描いた映画はない。傷痍軍人と真っ向から向き合った点でも、忘れられない戦争映画である。
(「赤い天使」)
増村映画は「若尾文子の映画」だと思うが、今回いろいろ見て、増村映画の真骨頂は「アクション映画」ではないかという気がした。「清作の妻」は日露戦争の話だが、村で排斥される若尾文子と結ばれる田村高廣の「愛のかたち」が見る者に衝撃を与える。「清作の妻」「赤い天使」はアクション映画ではないが、若尾文子の壮絶なアクション演技が忘れられない。「赤い天使」では戦傷で足を切断する兵士を全身で抑えつける演技がすさまじい。こんな演技をさせられた「美女スター」も珍しいのだろう。「爛」では水谷良重の妹と取っ組みあい、「からっ風野郎」では三島由紀夫とアクション演技をする。
(「清作の妻」)
若尾文子が魅力的なのは、初期の「青空娘」や「最高殊勲夫人」だろう。どっちも源氏鶏太原作の他愛ない青春ものだが、「青空娘」のホントに見る者の心に青空が広がる。こんなに気持ちのいい青春映画もめったにない。オムニバス映画の「女経」(じょきょう)は増村の監督した第一話「耳を噛みたがる女」が一番面白い。若尾は水上(船)に住むキャバレーの売れっ子ホステス。ドライだけど可愛いという役柄を見事に演じている。木村恵吾監督「やっちゃ場の女」でも、若尾文子が野菜問屋を切り回す長女役を楽しげに演じていた。増村の「刺青」「卍」など谷崎作品の妖艶な映画も面白いが、「下町の働き者」なんかも実に可愛げに演じる女優だ。
「偽大学生」は大江健三郎原作で、学生運動をカリカチュアする映画。ジェリー藤尾の「偽学生」が「政治的人間」の偽善を暴いていく構造に見応えがある。「偽学生」を演じたジェリー藤尾という不思議な俳優の存在が大きい。若尾文子は「日本の夜と霧」(大島渚)の小山明子のような「リーダーの女」役。芸者や下町娘が似合うんだけど、大学生も無難にこなしている。三島由紀夫を主演に起用した「からっ風野郎」は、持ち込まれ企画。三島と東大法学部同窓の増村が監督した。トークで若尾文子は「毎日祈っていた」と回想していたが、それほど三島の演技指導が大変だったのだろう。その熱意により、セリフ回しは思ったほどひどくはなかった。しかし、どう見ても映画俳優としての魅力に欠けているとしか思えない。セリフも演技も「友人」役の船越英二が登場すると、本職はこうも違うかと実感する。
(「からっ風野郎」)
「文芸映画」というジャンルがあって、近代日本文学の名作は順番に映画化された。増村=若尾映画でも、「爛」(徳田秋声)、「卍」(谷崎潤一郎)、「刺青」(谷崎潤一郎)、「華岡青洲の妻」(有吉佐和子)、「千羽鶴」(川端康成)など。どれも新藤兼人の脚本で、その意味でも増村映画の主流ではない。「爛」は現代に置き換えていて増村「愛のアクション」系に近い。「卍」「刺青」に次ぎ、「痴人の愛」も安田道代主演で映画化されたが、増村作品は谷崎作品の「異常性」を生かした映画である。「華岡青洲の妻」は市川雷蔵(青洲)、高峰秀子(母)と若尾文子(妻)の壮絶な演技合戦。普通の意味で「名作」で、僕は好きになれないが、雷蔵作品として一つの頂点であるのは間違いない。
1959年作品、川口松太郎原作、田中澄江脚本の「美貌に罪あり」は一種のオールスター映画で、87分の映画に山本富士子、野添ひとみ、若尾文子、川口浩、川崎敬三、勝新太郎、杉村春子が出ている。僕は非常に面白い映画だと思った。東京西部(多摩地区)で蘭作りをしている昔の豪農が、経済発展の中で没落していく。「桜の園」をモデルにした物語。杉村春子が母親で、山本、若尾、野添が三姉妹。母の思惑と違い、山本富士子は踊りの師匠勝新太郎と結婚し、若尾文子はスチュワーデスになってしまう。豪農の没落という話は珍しい。川口浩はオート三輪に乗って花を羽田に売りに行き、若尾文子に会いに行くのも興味深い。二枚目時代の勝新が山本富士子と踊る場面も何度かある。杉村春子と山本富士子が盆踊りを踊るシーンも貴重だ。貴重な社会派的映画にもなっている。
16本撮った増村の若尾文子作品は、どれも技術スタッフの仕事が素晴らしい。特に美術や照明の力が大きく、撮影所システムで量産されていた時代のプログラム・ピクチャーの底力を思い知らされる。その意味では、どの映画も見る価値がある。話が多少変でも、技術で見せている。そういう映画の力を確認できるという意味で、50年代、60年代の傑作映画はもっと多くの人に見られるべきだろう。当時は戦争の記憶が皆に残っていて、特に戦争を取り上げた映画ほど、スタッフやキャストも実感がこもっている。そういう意味でも今後とも見ておく必要がある。
こんなにたくさん見ているが、僕が特に増村保造監督が好きなわけではない。改めて見て思うのだが、面白い作品が多いがどちらかと言えば好きな監督ではない。増村作品は作品数が多いので、珍品はほとんど見られないが、今でもよく上映される作品もある。例えば、市川雷蔵特集では「華岡青洲の妻」「陸軍中野学校」が上映される。上映が多い映画では、どうしても主演俳優やテーマに注目して見ることになる。有名ではない作品、失敗作も含めて、増村監督を評価してみたいと思う。
今回見なかった作品もあるが(「最高殊勲夫人」「好色一代男」「妻は告発する」「爛」(ただれ)「女の一生」など)、今回見て非常に面白かったのは「美貌に罪あり」「偽大学生」「黒の試走車(テストカー)」「清作の妻」などである。特に「清作の妻」は若尾文子のトークを聞いたためもあるが、非常に完成度の高い映画だと改めて思った。若尾文子の「戦争映画」では「赤い天使」がすごいと思うが、戦争映画としては不自然な点も多い。若尾文子が「また殺してしまった」と異常なまでに悩んだり、中国軍が細菌兵器を使ったという設定など。ただ、従軍看護婦をこれほど正面から描いた映画はない。傷痍軍人と真っ向から向き合った点でも、忘れられない戦争映画である。
(「赤い天使」)
増村映画は「若尾文子の映画」だと思うが、今回いろいろ見て、増村映画の真骨頂は「アクション映画」ではないかという気がした。「清作の妻」は日露戦争の話だが、村で排斥される若尾文子と結ばれる田村高廣の「愛のかたち」が見る者に衝撃を与える。「清作の妻」「赤い天使」はアクション映画ではないが、若尾文子の壮絶なアクション演技が忘れられない。「赤い天使」では戦傷で足を切断する兵士を全身で抑えつける演技がすさまじい。こんな演技をさせられた「美女スター」も珍しいのだろう。「爛」では水谷良重の妹と取っ組みあい、「からっ風野郎」では三島由紀夫とアクション演技をする。
(「清作の妻」)
若尾文子が魅力的なのは、初期の「青空娘」や「最高殊勲夫人」だろう。どっちも源氏鶏太原作の他愛ない青春ものだが、「青空娘」のホントに見る者の心に青空が広がる。こんなに気持ちのいい青春映画もめったにない。オムニバス映画の「女経」(じょきょう)は増村の監督した第一話「耳を噛みたがる女」が一番面白い。若尾は水上(船)に住むキャバレーの売れっ子ホステス。ドライだけど可愛いという役柄を見事に演じている。木村恵吾監督「やっちゃ場の女」でも、若尾文子が野菜問屋を切り回す長女役を楽しげに演じていた。増村の「刺青」「卍」など谷崎作品の妖艶な映画も面白いが、「下町の働き者」なんかも実に可愛げに演じる女優だ。
「偽大学生」は大江健三郎原作で、学生運動をカリカチュアする映画。ジェリー藤尾の「偽学生」が「政治的人間」の偽善を暴いていく構造に見応えがある。「偽学生」を演じたジェリー藤尾という不思議な俳優の存在が大きい。若尾文子は「日本の夜と霧」(大島渚)の小山明子のような「リーダーの女」役。芸者や下町娘が似合うんだけど、大学生も無難にこなしている。三島由紀夫を主演に起用した「からっ風野郎」は、持ち込まれ企画。三島と東大法学部同窓の増村が監督した。トークで若尾文子は「毎日祈っていた」と回想していたが、それほど三島の演技指導が大変だったのだろう。その熱意により、セリフ回しは思ったほどひどくはなかった。しかし、どう見ても映画俳優としての魅力に欠けているとしか思えない。セリフも演技も「友人」役の船越英二が登場すると、本職はこうも違うかと実感する。
(「からっ風野郎」)
「文芸映画」というジャンルがあって、近代日本文学の名作は順番に映画化された。増村=若尾映画でも、「爛」(徳田秋声)、「卍」(谷崎潤一郎)、「刺青」(谷崎潤一郎)、「華岡青洲の妻」(有吉佐和子)、「千羽鶴」(川端康成)など。どれも新藤兼人の脚本で、その意味でも増村映画の主流ではない。「爛」は現代に置き換えていて増村「愛のアクション」系に近い。「卍」「刺青」に次ぎ、「痴人の愛」も安田道代主演で映画化されたが、増村作品は谷崎作品の「異常性」を生かした映画である。「華岡青洲の妻」は市川雷蔵(青洲)、高峰秀子(母)と若尾文子(妻)の壮絶な演技合戦。普通の意味で「名作」で、僕は好きになれないが、雷蔵作品として一つの頂点であるのは間違いない。
1959年作品、川口松太郎原作、田中澄江脚本の「美貌に罪あり」は一種のオールスター映画で、87分の映画に山本富士子、野添ひとみ、若尾文子、川口浩、川崎敬三、勝新太郎、杉村春子が出ている。僕は非常に面白い映画だと思った。東京西部(多摩地区)で蘭作りをしている昔の豪農が、経済発展の中で没落していく。「桜の園」をモデルにした物語。杉村春子が母親で、山本、若尾、野添が三姉妹。母の思惑と違い、山本富士子は踊りの師匠勝新太郎と結婚し、若尾文子はスチュワーデスになってしまう。豪農の没落という話は珍しい。川口浩はオート三輪に乗って花を羽田に売りに行き、若尾文子に会いに行くのも興味深い。二枚目時代の勝新が山本富士子と踊る場面も何度かある。杉村春子と山本富士子が盆踊りを踊るシーンも貴重だ。貴重な社会派的映画にもなっている。
16本撮った増村の若尾文子作品は、どれも技術スタッフの仕事が素晴らしい。特に美術や照明の力が大きく、撮影所システムで量産されていた時代のプログラム・ピクチャーの底力を思い知らされる。その意味では、どの映画も見る価値がある。話が多少変でも、技術で見せている。そういう映画の力を確認できるという意味で、50年代、60年代の傑作映画はもっと多くの人に見られるべきだろう。当時は戦争の記憶が皆に残っていて、特に戦争を取り上げた映画ほど、スタッフやキャストも実感がこもっている。そういう意味でも今後とも見ておく必要がある。
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