尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

石田民三監督の映画を見るー「花ちりぬ」「むかしの歌」など

2022年07月03日 22時46分19秒 |  〃  (日本の映画監督)
 石田民三(1901~1972)という映画監督がいたが、ほとんど知られていないだろう。国立映画アーカイブで開かれている「東宝の90年 モダンと革新の映画史(1)」で6プログラムの小特集が組まれている。そこで入手できるニューズレター掲載の佐藤圭一郎石田民三小伝」が初の伝記だという。その小伝で触れられているが、1974年に当時のフィルムセンターで「監督研究ー清水宏と石田民三」という特集上映があった。それ以来の石田民三特集だから、48年ぶりになる。実は僕はその特集で「花ちりぬ」「むかしの歌」などを見たのである。どんな監督だろう、他に作品はあるのかと思いつつ、ほとんど上映機会もないままだった。
(石田民三監督)
 石田民三が活躍した1930年代後半には、すでに日本映画界では世界的な巨匠が活躍していた。まだ世界で認められてはいなかったけれど、溝口健二小津安二郎成瀬巳喜男らはキネマ旬報のベストワンになっている。他にも戦後長く活躍した内田吐夢田坂具隆豊田四郎などの作品がベストテンに並んでいる。48年前に同じ特集が組まれた清水宏も何本もベストテンに入選している。一方で、石田民三作品は一本も入っていないし、戦後映画界でもその名を聞かなかった。一体、どういう人なんだろうと思っていたが、今回見た作品を中心に簡単に紹介してみたい。

 代表作から書くことにするが、まずは「花散りぬ」(1938、74分)。この作品と次の「むかしの歌」は、「女の一生」「華々しき一族」などで知られる劇作家森本薫が脚本を書いている。文学的香りが漂う一因でもあるだろう。「花散りぬ」は画面に女性しか出てこない映画として知られている。(男声は出てくる。)同時代のアメリカにジョージ・キューカー監督「女たち」(1939)というエステサロンを舞台にした女性しか出ない映画がある。ペットの犬もメスしか使わなかったというエピソードがあるが、製作年を見ると「花散りぬ」の方が1年早いのである。

 この映画は元治元年(1864年)の京都・祇園の一角にあるお茶屋(京都で芸妓を呼んで飲食する店。東京で言う「待合」)の2日間を描いている。7月19日に起こった禁門の変(蛤御門の変)の前後である。長州が攻めてきて戦争になると大騒ぎで、お茶屋に来る客もいない。1年前の「八月十八日の政変」までは店に長州藩士も来ていた。お茶屋に生まれて外の世界に憧れる「あきら」(花井蘭子)は長州へ落ち延びる前に手紙を寄こした長州藩士を待ち望んでいる。一方、江戸から流れてきた「種八」は幕府ひいきである。あきらの母の茶屋の女将は、自分らには佐幕も勤王もない(言葉は違うけど)と言っている。
(「花ちりぬ」、左=花井蘭子)
 芸者の世界を描く映画はかなりあるが、客が全く出てこないのは珍しい、というか発明である。カメラはセットを自在に動き、芸者たちを描き分けていく。ただし、もう俳優を知らないので、なかなか見分けにくいが。町では避難する人で混雑という噂、そんな中で夜に戸をたたく音がするが、女将の命で開けない。それは誰だったのか。女たちのいさかいをていねいに描くが、小さな世界にも様々な人間がいて争っている。女将は新選組に呼ばれて帰らないが、あきらは長州の男を待ち続けている。石田監督は長年お茶屋に通い詰めていて理想のセットを作って1ヶ月の稽古をしたという。

 「むかしの歌」(1939、77分)は明治10年の西南戦争直前の大阪を舞台にしている。船場の船問屋兵庫屋のお澪(みお=花井蘭子)は許婚もいるが、実は自分が母の実の子ではないことを知って悩んでいる。ある日、町で倒れた娘を介護して家に連れてきて、その娘お篠山根寿子)をずっと家で面倒を見る。しかし、その篠こそが実の母が江戸で産んだ父親違いの妹だった。昔、頼まれて兵庫屋の子を産んだ母は江戸で芸者になり、旗本と結ばれた。没落して一家で大阪に移るが、夫は西郷軍に参加しようかと悩んでいる。そんな2つの家の細々として事情を、映画は美しい画面構成で描き出す。「浜辺の歌」のメロディが何度も流れて、郷愁を呼び起こす。もっとも「浜辺の歌」は1918年出版というから、大正ノスタルジーには向いても明治情緒の歌ではないけれど。ラストで兵庫屋は没落して、お澪は芸者に出ることになる。家の没落に揺れる女心を水の都の風情に描き出した心に沁みる名品である。
(「むかしの歌」、右=花井蘭子)
 「天明怪捕物 梟(ふくろう)」(1926、59分)と断片「おせん」(1934、17分)はそれぞれ東亜キネマ、新興キネマで作られた無声映画。「梟」はクレジットが欠落して石田作品じゃない説もあるという。何にせよ娯楽チャンバラ量産時代の無声だから、今は触れない。次の「夜の鳩」(1937、70分)は作家武田麟太郎の原作・脚本。浅草の小料理屋「たむら」の看板娘おきよ(竹久千恵子)は、もう年がたって容色の衰えを気にしている。兄嫁の経営方針で、亡父時代の格が失われたと嘆いている。憧れていた劇作家村山(月形龍之介)は今も通ってくるが、どうも妹のおとしに気があるらしい。雇いのおしげは義父と母の間で苦労している。浅草を舞台にした映画、一部ロケをした映画はかなりあるが、この映画のような小料理屋は少ないと思う。普通の風俗映画っぽいが、ジェンダー、ルッキズムなどの観点から見直す意味はあるだろう。
(「夜の鳩」)
 「あさぎり軍歌」(1943、81分)は戦時中の作品だから、冒頭に「撃ちてし止まん」と出る。しかし、内容的には軍部批判的なニュアンスが感じられる。八住利雄脚本。明治初頭、彰義隊前後の江戸が舞台である。旗本の国武三兄弟の生き様を描くが、長兄は芸者(花井蘭子)と結婚して勘当された。今は町人になって、大蔵組で武器を研究している。弟は海軍にいるが、榎本武揚が軍艦を蝦夷地に向かわせることに反対している。日本の軍艦を国内戦争に使うべきではないと言う。一方で兄廃嫡後の当主となった婿は彰義隊に入ろうとしている。長兄辰太郎はこれからは日本人は心を合せて異国と戦うべき時、国内で争う愚を説く。これがタテマエ上戦時下に適合するが、実際は最新武器も知らず精神論だけで戦うと言っている旧幕武士批判がどうしても当時の軍人批判に聞こえてくる。実際にこの映画で上野戦争のさなかに妻が琴を弾く場面が軍に批判され、映画が嫌になったという。

 「花つみ日記」(1939、72分)は大阪ロケも貴重な映画で、お茶屋の娘高峰秀子と転校生の友情を描く。今回はまだ上映がないが、神保町シアターで見たことがある。ガーリー・ムーヴィーの元祖みたいな逸品である。戦後は映画界に復帰せず謎だったけれど、通い詰めた京都・上七軒町(北野天満宮裏)の芸者と結婚し、上七軒の主だったという。芸妓は芸を売る仕事であって、その芸を磨くための「北野をどり」を始めて亡くなるまで座付作家だったという。戦時中にさびれた上七軒復興のため、上七軒芸妓組合を作って組合長になったというから本格的である。「花散りぬ」で助監督だった市川崑などが復帰を勧めて、その気もあったらしい。テレビ演出などもしたらしいが、結局本格復帰はならなかった。

 石田民三は映画の時間も短いように、「マイナー・ポエット」的な映画作家だったと言える。茶屋や芸者の世界につきものの、「色と金と欲」を描いてこそ本格的ドラマになるだろう。しかし、彼にとってお茶屋の世界はもっとロマンティックな情緒の世界であって欲しかったのだろう。凝った構図、映像美、見つめるカメラなどで、人間悲劇を見せる。そういう作風だったかに思える。それぞれの時代に石田映画のヒロインがいるようだが、一番は花井蘭子(1918~1961)だろう。「むかしの歌」の花井、山根姉妹は、1950年の「細雪」第一作でも繰り返された。戦後も脇役ではあるが重要な映画によく出ていたが、健康を害して42歳で亡くなった。戦前は正統的な美女という役回りで人気があったようだ。東宝に入る前には日活で人気女優だった。「花散りぬ」「むかしの歌」は二十歳前後だったが、花井蘭子の映画になっている。
(花井蘭子、当時のブロマイド)
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