2024年5月の訃報特集。今回も芸能関係の訃報をまず書いて、その他及び外国人の訃報を2回目に書きたい。一番大きく取り上げられたのは、唐十郎だった。肩書きは劇作家、演出家、俳優、作家などである。5月4日没、84歳。1983年に47歳で亡くなった寺山修司と命日が同じだった。生年は寺山が5年ほど早いが、60年代末の「アングラ演劇」の旗手として当時から並び称せられる存在だった。1969年12月12日には、唐十郎主宰の「状況劇場」と寺山修司主宰の「天井桟敷」が役者どうしの乱闘事件を起こしてお互いに現行犯で逮捕された事件もあった。狂乱の60年代末期を文化面で象徴する一人だった。
(唐十郎)
1867年に新宿の花園神社境内で紅テントを建てて公演を始めた。評判になったというが、その時点では僕は小学生なので全然知らない。天井桟敷もそうだが、街頭やテントで「演劇」と称して怪しげな見世物を行う連中と見られていただろう。しかし、1970年に『少女仮面』が岸田国士戯曲賞(劇作家の新人賞として有名)を受け、その頃から演劇的な評価も高くなっていった。70年代初めに『少女仮面』が角川文庫から出た時に読んだ記憶がある。詩的なセリフが飛び交い、読んだだけでも熱気が伝わるような戯曲だった。実際に見たのは大学時代だと思うが、実は紅テントはあまり見てなくて、佐藤信の黒テントの方が合っていた。
(若い頃)
紅テントは何回か見てるけど、正直よく覚えていない。最後に見たのは2003年に高く評価された『泥人魚』。腰痛持ちなので、もうテント芝居は辛いなと痛感した記憶がある。作家では『佐川君からの手紙』で1983年に芥川賞を受けた。映画では1976年にATGで『任侠外伝・玄界灘』を監督した。正直どっちもあまり面白くなかった。僕は唐十郎とは相性が良くないのだが、状況劇場から多くの異才を輩出した功績は大きい。妻だった李麗仙(88年に離婚)、麿赤児、四谷シモン、根津甚八、小林薫、佐野史郎らである。つげ義春夫人の藤原マキもそう。大島渚監督『新宿泥棒日記』(1968)が当時の様子を伝えている。
(紅テント)
俳優、タレントの中尾彬が5月16日に死去、81歳。元々武蔵野美大在学中に日活ニューフェイスに合格したが、絵を諦めきれず退社してフランスに留学した。その後も絵は描き続け認められている。帰国後、劇団民藝に所属(71年退団)しながら、映画にも出演した。中平康監督『月曜日のユカ』(1964)が実質的デビューで印象に残る存在感を発揮していた。『本陣殺人事件』(1975)では主役を務め、何人目かの金田一耕助を演じた。テレビドラマでは多くの大河ドラマや『暴れん坊将軍』(徳川宗春役)などで活躍した。晩年はヴァラエティ番組やCMが記憶に残る。池波志乃(10代目金原亭馬生の娘で、古今亭志ん生の孫)と「おしどり夫婦」の印象が強いが、実は再婚で前妻との間に子どもがいる。
(中尾彬)
脚本家の小山内美江子が5月2日死去、94歳。当初は映画監督になりたかったが、女性では無理と言われスクリプター(記録)を務めた。長男(俳優、映画監督の利重剛)出産後、家でできる仕事として脚本を書き始めた。数多くのテレビドラマを執筆したが、特に1979年に始まり何シリーズも作られた『3年B組金八先生』が大きな評判を呼んだ。時の社会問題も取り入れ、教育界にも影響を与えた(と書かれることが多いが、「一人の教師の頑張りで学校を変えられる」と誤解させた面もあると思う。)他には朝ドラ『マー姉ちゃん』『本日も晴天なり』、大河ドラマ『徳川家康』『翔ぶが如く』などがある。晩年になっても国際的な教育支援活動を行い、カンボジアを中心に400を越える学校を建てた。カンボジアからは叙勲されている。
(小山内美江子)
漫才師の今くるよが5月27日死去、76歳。高校時代にソフトボール部で一緒だった相方今いくよ(2015年に67歳で没)とコンビを組み、80年代に女性漫才コンビとして大活躍した。なかなか売れなかったが、80年代になって認められた。84年に上方漫才大賞、88年に花王名人大賞受賞。80年代の「漫才ブーム」を支えたコンビだが、「夫婦漫才」ではない女性どうしのコンビとして先駆的だった。大柄な体格に派手な衣装のくるよと、反対に痩せたいくよの容姿をネタにした掛け合いが爆笑を呼んだ。吉本の後輩女性芸人の面倒見が良かったと言われている。
(今くるよ)
作曲家のキダタローが5月14日死去、94歳。全く知らなかったが、案外大きな訃報で驚いた。何でも「浪花のモーツァルト」と言われていたとか。今いくよ・くるよは東京のテレビにもいっぱい出ていたから知っているが、関西圏のテレビCMは全く知らないのである。まあ「バラエティ生活笑百科」や「プロポーズ大作戦」のテーマ曲と言われると、聞いたことはある。でも「かに道楽」や「日清出前一丁」のCMは関西人は誰でも知っているそうだが、東京では思い浮かばない。そういう地域性がある。
(キダタロー)
・井川徳道、16日没、95歳。映画の美術監督で、東映映画の任侠映画の多数を担当した。テレビでも『暴れん坊将軍』『水戸黄門』などを担当している。加藤泰監督の『明治侠客伝 三代目襲名』『沓掛時次郎 遊侠一匹』『緋牡丹博徒 お竜参上』などの名作の美術担当である。他にも深作欣二監督の『仁義なき戦い 頂上作戦』『北陸代理戦争』『柳生一族の陰謀』『魔界転生』などがある。日本映画アカデミー賞、毎日映画コンクールなど受賞多数。
・増山江威子が20日死去、88歳。声優。『ルパン三世』の峰不二子役で知られた。60年代の『鉄腕アトム』から『アタックNo.1』『天才バカボン』など長年テレビアニメで活躍したほか、劇場アニメや洋画の吹き替えなどでも活躍した。
・真島茂樹、22日没、77歳。ダンサー、振付師、大ヒットした『マツケンサンバII』の振付を行った人である。紅白歌合戦で美川憲一『さそり座の女』でも振付を担当した。
(唐十郎)
1867年に新宿の花園神社境内で紅テントを建てて公演を始めた。評判になったというが、その時点では僕は小学生なので全然知らない。天井桟敷もそうだが、街頭やテントで「演劇」と称して怪しげな見世物を行う連中と見られていただろう。しかし、1970年に『少女仮面』が岸田国士戯曲賞(劇作家の新人賞として有名)を受け、その頃から演劇的な評価も高くなっていった。70年代初めに『少女仮面』が角川文庫から出た時に読んだ記憶がある。詩的なセリフが飛び交い、読んだだけでも熱気が伝わるような戯曲だった。実際に見たのは大学時代だと思うが、実は紅テントはあまり見てなくて、佐藤信の黒テントの方が合っていた。
(若い頃)
紅テントは何回か見てるけど、正直よく覚えていない。最後に見たのは2003年に高く評価された『泥人魚』。腰痛持ちなので、もうテント芝居は辛いなと痛感した記憶がある。作家では『佐川君からの手紙』で1983年に芥川賞を受けた。映画では1976年にATGで『任侠外伝・玄界灘』を監督した。正直どっちもあまり面白くなかった。僕は唐十郎とは相性が良くないのだが、状況劇場から多くの異才を輩出した功績は大きい。妻だった李麗仙(88年に離婚)、麿赤児、四谷シモン、根津甚八、小林薫、佐野史郎らである。つげ義春夫人の藤原マキもそう。大島渚監督『新宿泥棒日記』(1968)が当時の様子を伝えている。
(紅テント)
俳優、タレントの中尾彬が5月16日に死去、81歳。元々武蔵野美大在学中に日活ニューフェイスに合格したが、絵を諦めきれず退社してフランスに留学した。その後も絵は描き続け認められている。帰国後、劇団民藝に所属(71年退団)しながら、映画にも出演した。中平康監督『月曜日のユカ』(1964)が実質的デビューで印象に残る存在感を発揮していた。『本陣殺人事件』(1975)では主役を務め、何人目かの金田一耕助を演じた。テレビドラマでは多くの大河ドラマや『暴れん坊将軍』(徳川宗春役)などで活躍した。晩年はヴァラエティ番組やCMが記憶に残る。池波志乃(10代目金原亭馬生の娘で、古今亭志ん生の孫)と「おしどり夫婦」の印象が強いが、実は再婚で前妻との間に子どもがいる。
(中尾彬)
脚本家の小山内美江子が5月2日死去、94歳。当初は映画監督になりたかったが、女性では無理と言われスクリプター(記録)を務めた。長男(俳優、映画監督の利重剛)出産後、家でできる仕事として脚本を書き始めた。数多くのテレビドラマを執筆したが、特に1979年に始まり何シリーズも作られた『3年B組金八先生』が大きな評判を呼んだ。時の社会問題も取り入れ、教育界にも影響を与えた(と書かれることが多いが、「一人の教師の頑張りで学校を変えられる」と誤解させた面もあると思う。)他には朝ドラ『マー姉ちゃん』『本日も晴天なり』、大河ドラマ『徳川家康』『翔ぶが如く』などがある。晩年になっても国際的な教育支援活動を行い、カンボジアを中心に400を越える学校を建てた。カンボジアからは叙勲されている。
(小山内美江子)
漫才師の今くるよが5月27日死去、76歳。高校時代にソフトボール部で一緒だった相方今いくよ(2015年に67歳で没)とコンビを組み、80年代に女性漫才コンビとして大活躍した。なかなか売れなかったが、80年代になって認められた。84年に上方漫才大賞、88年に花王名人大賞受賞。80年代の「漫才ブーム」を支えたコンビだが、「夫婦漫才」ではない女性どうしのコンビとして先駆的だった。大柄な体格に派手な衣装のくるよと、反対に痩せたいくよの容姿をネタにした掛け合いが爆笑を呼んだ。吉本の後輩女性芸人の面倒見が良かったと言われている。
(今くるよ)
作曲家のキダタローが5月14日死去、94歳。全く知らなかったが、案外大きな訃報で驚いた。何でも「浪花のモーツァルト」と言われていたとか。今いくよ・くるよは東京のテレビにもいっぱい出ていたから知っているが、関西圏のテレビCMは全く知らないのである。まあ「バラエティ生活笑百科」や「プロポーズ大作戦」のテーマ曲と言われると、聞いたことはある。でも「かに道楽」や「日清出前一丁」のCMは関西人は誰でも知っているそうだが、東京では思い浮かばない。そういう地域性がある。
(キダタロー)
・井川徳道、16日没、95歳。映画の美術監督で、東映映画の任侠映画の多数を担当した。テレビでも『暴れん坊将軍』『水戸黄門』などを担当している。加藤泰監督の『明治侠客伝 三代目襲名』『沓掛時次郎 遊侠一匹』『緋牡丹博徒 お竜参上』などの名作の美術担当である。他にも深作欣二監督の『仁義なき戦い 頂上作戦』『北陸代理戦争』『柳生一族の陰謀』『魔界転生』などがある。日本映画アカデミー賞、毎日映画コンクールなど受賞多数。
・増山江威子が20日死去、88歳。声優。『ルパン三世』の峰不二子役で知られた。60年代の『鉄腕アトム』から『アタックNo.1』『天才バカボン』など長年テレビアニメで活躍したほか、劇場アニメや洋画の吹き替えなどでも活躍した。
・真島茂樹、22日没、77歳。ダンサー、振付師、大ヒットした『マツケンサンバII』の振付を行った人である。紅白歌合戦で美川憲一『さそり座の女』でも振付を担当した。
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