梅雨の晴れ間の暑い日に、堀切菖蒲園に行ってみた。家からそんなに遠くないけど、実は初めて。京成線の堀切菖蒲園駅から歩いて10分ほど。ここも初めて降りた駅だけど、今よく言われる「下町」的なムードの街だった。「堀切菖蒲園」というのは、今では周辺一帯の地名みたいになっている。
方向がよく判らないけど、案内がいっぱいあるので誰でも迷わず行けると思う。18日まで菖蒲まつりをやっている。案外小さな場所で、すぐに一周できてしまう。周囲を高速道路やマンションに囲まれて、もう街のど真ん中という感じだ。ちょうど今真っ盛りで、さまざまな色合いの菖蒲が咲き誇っていた。
堀切菖蒲園は江戸時代から有名だったという。江戸名所とされ、広重の浮世絵にも出ている。この一帯は綾瀬川の東の低湿地で、菖蒲に向いていたんだろう。明治時代にはいくつもの菖蒲園が作られ有名になった。でも戦時下に次々と閉園していき、残った「堀切園」を1959年に東京都が買い取って都立公園となった。1975年に地元の葛飾区に移管され、今は無料で公開されている。
上の最後の写真は、昨年株分けした菖蒲がある場所で、やっぱりそういうところではあまり花がない。菖蒲にも様々な品種がいっぱいあると判ったけど、今日は暑いしちゃんと見る気にはならない。それにしても、バラのように多くの品種があるんだなと思った次第。
菖蒲園から歩いて5分ほど、高速道路下を通り、綾瀬川と荒川の狭間に「堀切水辺公園」がある。大雨じゃない日はこっちにも足を伸ば酢と言い。川を見て心も解放されるし、なんといってもスカイツリーが見られる。今は菖蒲の向こうにスカイツリーという構図を撮れる。高速道路を背景にするのも面白い。雲はもう夏の風情。菖蒲の数はそんなに多くはないけど、こっちもいい。
ところで、ある明治時代を舞台にした小説に、「荒川の東にある堀切菖蒲園」とあったんだけど、これは今の人の勘違いである。東京東部に育ったある年代以上の人なら、「荒川放水路」という言葉を覚えていると思う。今の荒川は大正から明治にかけて人工的に掘られた川である。綾瀬川というのは、埼玉県桶川市から流れる川で、この前見た草加松原に流れていたのも綾瀬川。放水路以前は隅田川に流れ込んでいたというが、今は中川に合流するという。
(高速道路下の綾瀬川)
方向がよく判らないけど、案内がいっぱいあるので誰でも迷わず行けると思う。18日まで菖蒲まつりをやっている。案外小さな場所で、すぐに一周できてしまう。周囲を高速道路やマンションに囲まれて、もう街のど真ん中という感じだ。ちょうど今真っ盛りで、さまざまな色合いの菖蒲が咲き誇っていた。
堀切菖蒲園は江戸時代から有名だったという。江戸名所とされ、広重の浮世絵にも出ている。この一帯は綾瀬川の東の低湿地で、菖蒲に向いていたんだろう。明治時代にはいくつもの菖蒲園が作られ有名になった。でも戦時下に次々と閉園していき、残った「堀切園」を1959年に東京都が買い取って都立公園となった。1975年に地元の葛飾区に移管され、今は無料で公開されている。
上の最後の写真は、昨年株分けした菖蒲がある場所で、やっぱりそういうところではあまり花がない。菖蒲にも様々な品種がいっぱいあると判ったけど、今日は暑いしちゃんと見る気にはならない。それにしても、バラのように多くの品種があるんだなと思った次第。
菖蒲園から歩いて5分ほど、高速道路下を通り、綾瀬川と荒川の狭間に「堀切水辺公園」がある。大雨じゃない日はこっちにも足を伸ば酢と言い。川を見て心も解放されるし、なんといってもスカイツリーが見られる。今は菖蒲の向こうにスカイツリーという構図を撮れる。高速道路を背景にするのも面白い。雲はもう夏の風情。菖蒲の数はそんなに多くはないけど、こっちもいい。
ところで、ある明治時代を舞台にした小説に、「荒川の東にある堀切菖蒲園」とあったんだけど、これは今の人の勘違いである。東京東部に育ったある年代以上の人なら、「荒川放水路」という言葉を覚えていると思う。今の荒川は大正から明治にかけて人工的に掘られた川である。綾瀬川というのは、埼玉県桶川市から流れる川で、この前見た草加松原に流れていたのも綾瀬川。放水路以前は隅田川に流れ込んでいたというが、今は中川に合流するという。
(高速道路下の綾瀬川)
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