尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

赤山城跡と安行ー江戸時代の関東と「植木の里」

2024年11月13日 22時10分03秒 | 東京関東散歩

 埼玉県南東部に安行(あんぎょう)という地区がある。昔は安行村だったけど、1956年に川口市と合併した。近くの人以外はあまり知らない地名だと思う。昔は僕の最寄り駅からバスが出ていて、時々母親が庭に植える植木を買いに行っていた。(持ち帰れないから、後から届けて貰ったんだろう。)安行は「植木の里」で、園芸農業の盛んな地として知られていたのである。

 また、僕の最寄り駅近くを通っている道路を「赤山街道」と呼んでいる。この赤山って何だろうと昔から思いながら、全然知らなかった。やがて自動車で東北方面(日光など)に行くようになったら、安行近くに「赤山」という地名があった。ふーんと思ったけど、じゃあ何で「赤山街道」なのかは知らなかった。最近やっとそのことが判明したので、この前行ってみた。

 江戸時代に「赤山城」(赤山陣屋)というのがあったのである。東北道につながる首都高に川口ハイウェイオアシス(一般道からも利用出来るサービスエリア)がある。首都高に入って2つめのインターで下りちゃうので、今まで利用したことがなかった。(トイレは自宅まで我慢出来るので。)この前どんなところだろうと下りてみたら、そこは「イイナパーク川口」という公園だった。物産館などの他、「歴史自然資料館」もある。赤山城跡というのは、この公園の近くにあるらしいと地図もあった。

   (赤山陣屋跡地と碑)

 そんな城は知らないという人が多いだろう。「大名」じゃないので、史跡としては「赤山陣屋」とも呼ばれる。しかし、堀なども備えたなかなかのもので、1629年伊奈忠治が築いた。ここは「関東郡代」と呼ばれた伊奈氏の拠点だったのである。今は堀跡と思われるものなどの他、当時の建物は何も残ってない。それも当然、伊奈氏は幕末まで続かなかったのである。イイナパーク北口から5分程度歩いたところに、碑が立っているだけである。案内板は2024年に建てられていた。

   (伊奈忠次像)

 公園にある「歴史自然資料館」は本当に小さな施設だったが、そこに赤山陣屋のジオラマがあった。上の1枚目だが、遠くから撮ったしガラス越しで何も判らない。2枚目は伊奈氏の説明パネル。3枚目は堀跡。資料館前には初代の伊奈忠次の像が作られていた。忠次は徳川家康に仕えた武将で、関東支配に大きく貢献した。新田開発や利根川の付け替えなどにも関わったらしい。伊奈氏の祖地である埼玉県伊奈氏小室に1万石を与えられた。それは長男、孫と受け継がれたが、後継なく改易となった。

 忠次長男の忠政が1618年に亡くなったため、関東代官としての仕事は弟の伊奈忠治が引き継いだ。この忠治は以前から勘定奉行を務めて7千石を与えられ、赤山に屋敷を築いていた。この忠治こそが関東地方の河川改修、利根川東遷事業や荒川、江戸川などの開削工事を行った人物である。これらの功績により、関東代官領の支配は代々伊奈氏が世襲することになり、12代、約200年近く、赤山陣屋を拠点にした伊奈氏の関東支配が続いたのである。

 伊奈忠次という名前はなんとなく記憶にあった。家康時代の歴史に出て来たと思う。しかし、それ以後18世紀末まで伊奈氏が関東の代官を世襲していたことは知らなかった。当然それだけ長く続けば強大な力を持つようになる。一時は飛騨代官も兼ねたり、勘定奉行配下から老中直属に変わったりした。このように強大化した伊奈氏で18世紀末に御家騒動が起こる。その結果、1792年に12代忠尊(ただたか)は改易され、伊奈氏の関東支配は支配は終わり赤山城も破壊されたのである。

 お取り潰しの後、伊奈氏の持っていた強大な権限は分割され、関東代官の地位は勘定奉行の下に戻った。ということで、もう僕もそんな伊奈氏の業績は全然知らなかったのである。強大だった時代、赤山に至る道が整備され、日光街道の千住、越谷、中山道の大宮に至る赤山街道が整備されたのである。僕の家近くに残る赤山街道の名は千住へ向かう道のなごりだった。近くの源長寺に伊奈氏歴代の墓所があるということで訪ねてみた。下2枚目、3枚目の写真。寺には寝釈迦像があった。

   (寝釈迦像)

 安行地区は「埼玉県立安行武南自然公園」に指定されている。県立公園は国立公園、国定公園に次ぐ自然公園だが、埼玉県には長瀞玉淀、奥武蔵、両神、武甲など首都圏から多くの観光客が訪れる地区がある。「武南」は武蔵の南ということで、さいたま市浦和、及び川口市安行の二地区が合わさって1960年に指定された。でも「自然」というより、人工の景観が広がる地域で、しかも今はほとんど宅地化している。現地でも自然公園という案内は全くなかった。下のような感じ。

   

 ただの田舎の農村風景だろうという感じだ。これが自然公園なら全国のほとんどは指定可能じゃないか。と思うけど、70年前は園芸農家の他は雑木林が広がるような地域だったんだろう。園芸と言っても、安行地区は植木や盆栽などが中心で、そういうのが植えられた農家が今も多い。まあ、わざわざ散歩に来るほどでもないと思ったけど。「埼玉県花と緑の振興センター」もあって、どんなところかと行ってみたが、確かにいろんな樹木はあったけど閑散としてた。

 

 この地区には「道の駅」もあって、「川口緑化センター 樹里安」(上1枚目)が指定されている。ここには多くの植木や花、盆栽が販売されているので、関心がある人には楽しいかも。農産物直売所もある。そこに「安行観光マップ」もあるから、まあ一応観光の対象にはなっているらしい。長年の疑問が解決したけど、全国ではほとんど知られてないだろう地域だろう。


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