尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

築地小劇場跡や聖路加病院周辺、碑がいっぱいの町ー築地散歩①

2024年11月03日 20時41分11秒 | 東京関東散歩

 暑さが和らぎ、まだ寒くもない。そんな季節は今や日本にごく少ない。じゃ町を散歩しよう。まず「築地」(つきじ)である。銀座の隣で、自分の家からは地下鉄で一本。でも今まで一度もちゃんと行ったことがない。この前「出川・一茂・ホラン フシギの会」というテレビ番組で築地場外市場を取り上げていた。東京の有名地らしいから、東京人はよく行ってると思われるかも知れないが、一度も行ったことがない。地下鉄は築地、東銀座、銀座、日比谷と続く。そっちは若い頃から何千回と下りてるはずだ。

 築地に行った理由は、実は「築地小劇場」である。1924年に開設された「新劇」用の劇場である。今年がちょうど100周年になり、その意義を振り返る企画が幾つもある。1945年に空襲で焼けて、その跡地には記念の碑が作られている。ところがその碑が危ないと2月に東京新聞が報じた。碑がある土地が再開発され築地駅に直結する商業ビルが建設予定だという。その後碑がどうなるかは未定だという話だった。(その後、保存されることが決まったが、いったん無くなる。)

    

 ちょうど100年だし、今のうちに見ておきたいと思ったわけである。場所は築地本願寺があるのと反対側で、信号を曲がったところに見えている。信号は幾つかあるが、住居表示地図にも出てるし、割とわかりやすいと思う。小山内薫土方与志らが創立メンバーで、広島原爆で亡くなった丸山定夫や戦後に『夕鶴』で知られる山本安英らが活躍した。単に演劇史というだけでなく、近代の社会運動史、文化史全般に大きな影響を与えた。左翼演劇のメッカとも言える劇場で、築地署で虐殺された小林多喜二の労農葬はここで行われた。ところで、「旧劇」の中心地、歌舞伎座や新橋演舞場に徒歩5分ほどと非常に近かったのに驚いた。

 築地ほど碑が多い町は珍しい。築地小劇場ばかりではなく、ものすごくたくさんの碑が立っている。その多くは「聖路加病院」の周囲に集まっている。有名な病院で、つい「せーろか」と読んでる人が多いと思うが、読み方は正式には「せいルカ」である。築地駅から病院方向へ行く道は「聖ルカ通り」になっている。以前大病院に直接行っても医療費が変わらなかった時代に、母親がよく聖路加病院まで行ってた。1993年に新館が出来、94年に出来たレストランなども入った聖路加ガーデンがお気に入りだった。

  (1933年再建の旧館)

 幕末以来、居留地だった築地にはキリスト教系の医療施設が作られた。「聖路加」は聖公会系で、立教大学創設者として知られるウィリアムズらが来日し、教育や医療を実践したのである。きちんと聖路加病院が開設されたのは、1901年のことで、ウィリアムズの後任マキム主教の要請によって、来日したルドルフ・トイスラーが開設したのである。トイスラーが1934年に亡くなるまで暮らした家は「トイスラー記念館」(中央区の区民有形文化財指定)として現存・公開されている。最初の建物は関東大震災で壊滅し、1933年に再建され建物が旧館として今も使われている。チャペルとともに東京都選定歴史的建造物に指定されている。

   (トイスラー記念館)

 築地駅から聖路加病院方面に行き、築地川公園を過ぎると、聖路加国際大学が見えてくる。その向こうが旧館病院、トイスラー記念館がある。大学周辺にいろんな大学の創設碑が並んでいる。1869年(明治2年)から1899年まで、築地は外国人居留地になっていた。つまり外国人は築地以外には住めなかった。そのため外国人が日本人に教育するには、築地に学校を作るしかなかった。そのためキリスト教系の立教学院立教女学院を初め、青山学院明治学院女子学院雙葉学園などの創設の地となっている。

(立教学院)(青山学院)(立教女学院)(女子学院)

 それらの学校の前に福沢諭吉の慶應義塾がこの近くに創設された。1858年の安政年間のことで、まだ慶応義塾とは言わないが。中津藩中屋敷が聖路加のあたりだったらしい。またその中津藩屋敷で1771年に前野良沢がオランダの解剖書を初めて読んだという。そこで聖路加国際大学の敷地の前に「慶応義塾大学発祥地」と「蘭学事始」を合わせた「日本近代文化事始の地」が立っているのである。僕は立教大卒だが、築地の創設碑は初めて見た。慶応や青学の卒業生も見ている人は少ないと思う。

   (日本近代文化事始の地)

 碑は他にもいっぱいあって、聖路加国際大学前に「浅野内匠頭屋敷跡」の碑がある。何とまあ、ここにあったのか。そこから左に進んで「居留地通り」には「芥川龍之介生誕の地」の碑が車道側に立っている。そこから少し行って明石小前に「居留地跡」という碑がある。もちろん築地全域が居留地だったんだろうから、単に碑があったところだけが居留地じゃない。これらの碑は小さな地域に集中しているけど、あちこち点在している。ただブラブラ歩いているだけでは見つからない。ネットで調べる他、中央区観光協会の作っている地図が非常に役立つ。Webでダウンロードも可能。案内所もあちこちにあって配布している。

(浅野内匠頭屋敷跡)(芥川龍之介生誕の地)(居留地跡の碑)

 明石小からすぐのところに「カトリック築地教会」がある。地名的には「明石」になるが、1874年に建てられた日本初のカトリック教会だった。煉瓦作りの本格建築だったというが、関東大震災で倒壊。すぐに復興に取り組み、1927年に完成したのが今の建物。「東京都選定歴史的建造物」になっている。築地の宗教施設と言えば、もちろんキリスト教会ではなく、築地本願寺だが次回に。

 (カトリック築地教会)


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