5月の訃報で京マチ子や降旗康男に次いで大きく報道されたのが、文芸評論家の加藤典洋(のりひろ)だった。16日、71歳。といっても知らない人は全然知らないだろうし、読んだこともない人がほとんどだと思う。僕もいくつかは読んでいたが、そんなに読み続けていたわけではない。「文芸評論家」が歴史や思想を語ると、どうしても目が粗い感じを受けてしまうのである。でも年齢的に現役で活動していたし、問題関心が時代的にマッチしたこともあるんだろう。マスコミや思想関係に関心がある人には「早すぎる訃報」に驚いたんだと思う。論壇デビュー作「アメリカの影」(1985)は非常に注目され、僕も読んだと思う。結局この本にすべてがあるというか、戦後論も村上春樹論も「アメリカの影」の発展だろう。
(加藤典洋)
岩波新書の「村上春樹は、むずかしい」(2015)などを読むと、読みの方向性は正しいと思う。しかし、一番議論を呼んだ「敗戦後論」(1997)は、僕には読む前に思ったほど刺激的な本ではなかった。戦後史の「ねじれ」を指摘したのは、アメリカ従属の保守派批判でもあれば、「9条墨守」の革新派批判でもあったんだと思う。「被害者に謝罪する主体」が日本では確立していないから、まず「日本人自らによる弔いの必要」といった議論だったけど、それはその通りだと思う。だからこそ、教育現場でも「現場としての東京」の戦争被害を認識しつつ、「加害」の意味も考えるという段階に進んでゆく必要がある。
4月の訃報で書き落としがあったので、追加しておきたい。スペイン文学者の鼓直(つづみ・ただし)が4月2日死去した。89歳。訃報の公表が4月末になったため、つい忘れてしまった。何しろガルシア=マルケスの「百年の孤独」を1972年に翻訳した人である。この本の面白さは比類なく、日本文学にも大きな影響を与えた。他にもボルヘス「伝奇集」、ドノソ「夜のみだらな鳥」など70年代以後の世界的なラテンアメリカ文学ブームを日本で支えた人だった。
(鼓直)
数学者の志村五郎が3日、89歳で死去。「フェルマーの最終定理」証明につながる「谷山・志村予想」を提唱した人である。プリンストン大学教授を長く勤めた。サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」(新潮文庫)の中で説明されていたけど、覚えてない。昔の本を見つけたのでもう一度読みたいな。
ピアニストの宮沢明子が4月23日に死去、78歳。訃報の公表が遅れたが、ベルギーのアントワープに住んでいたというから仕方ない。60年代、70年代に国際的に活躍し、レコードもたくさんあった。そう言えば最近は名前を聞かなかった。
(左から、志村、宮沢)
知らなかった人で一番驚いたのはイオ・ミン・ペイ(貝聿銘)。5月16日死去、102歳。建築家で、ルーブル美術館前の「ガラスのピラミッド」を設計した人。1917年に中国の広州で生まれ、1935年に渡米。戦後になってアメリカで認められた。「幾何学の魔術師」と呼ばれるそうだ。アメリカ、中国だけでなく、日本にも作品がある。クリーブランドにある「ロックの殿堂」もこの人の設計。
(イオ・ミン・ペイと「ガラスのピラミッド」)
元F!ドライバーのニキ・ラウダが20日に死去、70歳。1975年、77年、84年と3回世界チャンピオンになった。1976年に走行中に大けがを負い、6週間後に「奇跡の復活」をした。その年のジェームズ・ハントとの激しいチャンピオン争いは「ラッシュ プライドと友情」として映画化された。
(ニキ・ラウダ)
・美術史家の柳宗玄(むねもと)、1月16日に死去、101歳。柳宗悦の次男。
・作家の阿部牧郎が11日死去、85歳。「それぞれの終楽章」で1988年に直木賞受賞。
・元吉本新喜劇座長の木村進が19日死去、68歳。3代目博多淡海を襲名したが、脳内出血で退社した。
・野呂田芳成、23日死去、89歳。秋田県選出の自民党政治家。元農水相、元防衛庁長官。
・オーストラリアの元首相、ボブ・ホークが16日死去、89歳。1983年から91年まで首相(労働党)。
・タイの元首相、枢密院議長プレム・ティンスラーノン、26日死去、98歳。80年~88年に首相。その後も枢密院のメンバーとして政界に重きをなした。
・マレー・ゲルマン、24日死去、89歳。1969年にノーベル物理学賞。「クォーク」の名付け親。
星野文昭の訃報が小さく報道された。5月30日、73歳。渋谷暴動事件の無期懲役受刑者である。1971年の沖縄返還協定批准阻止闘争において「中核派」(革命的共産主義者同盟全国委員会)が渋谷での闘争を呼びかけていた。中核派と機動隊の激しい衝突の中で、新潟県警の機動隊員が殺害され、その「実行犯」として星野らが起訴された。裁判では複雑な経緯があるが、星野は一貫して無実を主張したが1987年に無期懲役が確定。獄中から再審請求を続けていた。死去したのは「東日本成人矯正センター」(昭島市)と報じられている。獄中医療の問題はなかったか。無期でありながら仮釈放なしのまま亡くなることになった。2018年に再審を支援する大きな新聞広告が掲載された。
(若い頃の星野、再審を訴える新聞広告)
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岩波新書の「村上春樹は、むずかしい」(2015)などを読むと、読みの方向性は正しいと思う。しかし、一番議論を呼んだ「敗戦後論」(1997)は、僕には読む前に思ったほど刺激的な本ではなかった。戦後史の「ねじれ」を指摘したのは、アメリカ従属の保守派批判でもあれば、「9条墨守」の革新派批判でもあったんだと思う。「被害者に謝罪する主体」が日本では確立していないから、まず「日本人自らによる弔いの必要」といった議論だったけど、それはその通りだと思う。だからこそ、教育現場でも「現場としての東京」の戦争被害を認識しつつ、「加害」の意味も考えるという段階に進んでゆく必要がある。
4月の訃報で書き落としがあったので、追加しておきたい。スペイン文学者の鼓直(つづみ・ただし)が4月2日死去した。89歳。訃報の公表が4月末になったため、つい忘れてしまった。何しろガルシア=マルケスの「百年の孤独」を1972年に翻訳した人である。この本の面白さは比類なく、日本文学にも大きな影響を与えた。他にもボルヘス「伝奇集」、ドノソ「夜のみだらな鳥」など70年代以後の世界的なラテンアメリカ文学ブームを日本で支えた人だった。
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数学者の志村五郎が3日、89歳で死去。「フェルマーの最終定理」証明につながる「谷山・志村予想」を提唱した人である。プリンストン大学教授を長く勤めた。サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」(新潮文庫)の中で説明されていたけど、覚えてない。昔の本を見つけたのでもう一度読みたいな。
ピアニストの宮沢明子が4月23日に死去、78歳。訃報の公表が遅れたが、ベルギーのアントワープに住んでいたというから仕方ない。60年代、70年代に国際的に活躍し、レコードもたくさんあった。そう言えば最近は名前を聞かなかった。
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知らなかった人で一番驚いたのはイオ・ミン・ペイ(貝聿銘)。5月16日死去、102歳。建築家で、ルーブル美術館前の「ガラスのピラミッド」を設計した人。1917年に中国の広州で生まれ、1935年に渡米。戦後になってアメリカで認められた。「幾何学の魔術師」と呼ばれるそうだ。アメリカ、中国だけでなく、日本にも作品がある。クリーブランドにある「ロックの殿堂」もこの人の設計。
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元F!ドライバーのニキ・ラウダが20日に死去、70歳。1975年、77年、84年と3回世界チャンピオンになった。1976年に走行中に大けがを負い、6週間後に「奇跡の復活」をした。その年のジェームズ・ハントとの激しいチャンピオン争いは「ラッシュ プライドと友情」として映画化された。
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・美術史家の柳宗玄(むねもと)、1月16日に死去、101歳。柳宗悦の次男。
・作家の阿部牧郎が11日死去、85歳。「それぞれの終楽章」で1988年に直木賞受賞。
・元吉本新喜劇座長の木村進が19日死去、68歳。3代目博多淡海を襲名したが、脳内出血で退社した。
・野呂田芳成、23日死去、89歳。秋田県選出の自民党政治家。元農水相、元防衛庁長官。
・オーストラリアの元首相、ボブ・ホークが16日死去、89歳。1983年から91年まで首相(労働党)。
・タイの元首相、枢密院議長プレム・ティンスラーノン、26日死去、98歳。80年~88年に首相。その後も枢密院のメンバーとして政界に重きをなした。
・マレー・ゲルマン、24日死去、89歳。1969年にノーベル物理学賞。「クォーク」の名付け親。
星野文昭の訃報が小さく報道された。5月30日、73歳。渋谷暴動事件の無期懲役受刑者である。1971年の沖縄返還協定批准阻止闘争において「中核派」(革命的共産主義者同盟全国委員会)が渋谷での闘争を呼びかけていた。中核派と機動隊の激しい衝突の中で、新潟県警の機動隊員が殺害され、その「実行犯」として星野らが起訴された。裁判では複雑な経緯があるが、星野は一貫して無実を主張したが1987年に無期懲役が確定。獄中から再審請求を続けていた。死去したのは「東日本成人矯正センター」(昭島市)と報じられている。獄中医療の問題はなかったか。無期でありながら仮釈放なしのまま亡くなることになった。2018年に再審を支援する大きな新聞広告が掲載された。
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