尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画『ゆきてかへらぬ』、中原中也「愛の伝説」を描く傑作

2025年02月23日 21時45分52秒 | 映画 (新作日本映画)

 田中陽造の脚本を根岸吉太郎が監督した『ゆきてかへらぬ』が公開された。名脚本を名監督が見事なキャストで映像化した傑作だが、内容的に少し解説がいるかもしれない。脚本はもう40年ぐらい前に出来ていたが、なかなか映画化が実現しなかったという。田中陽造は『ツィゴイネルワイゼン』や『セーラー服と機関銃』などの名作を書いた脚本家で、根岸監督の前作『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ』(2009)もこの人。太宰治をモデルにした傑作だったが、今回は中原中也小林秀雄を扱う。というか、この二人と関係があった長谷川泰子が事実上の主人公。文学史に名高い「愛の伝説」を香り高く描いて感銘深い。

 根岸監督としても『ヴィヨンの妻』以来16年ぶりの新作だが、全く衰えを見せていない。『ヴィヨンの妻』は太宰治を浅野忠信が演じたが、心に残るのは妻役の松たか子だろう。今回の『ゆきてかへらぬ』も中原中也木戸大聖)や小林秀雄岡田将生)が名演しているが、やはり心に残り続けるのは広瀬すず演じる長谷川泰子だろう。結局は売れない女優で終わって文学史の片隅に残るだけの女性だが、時代を精一杯生き抜く様がまさにこんな感じだったかなと思わせる。他にも何人か出ているわけだが、圧倒的にこの3人(小林が登場する前は2人)が出ずっぱりで頑張っていて見ごたえがあるシーンが連続する。

(左から中原中也、長谷川泰子、小林秀雄)

 京都で出会った中也(17歳)と泰子(20歳)は同棲するに至るが、中也がローラースケートで登場し二人で興じるシーンがある。実際に中也は好きだったらしい。また東京に出てきて小林秀雄を含めて会うようになると、3人で遊園地に行きメリーゴーランドに乗る素晴らしいシーンがある。その後、ダンスに行き、泰子は見事に楽しんでいる。中也は一緒に踊り始め、小林は二人を見ている(その後少し加わる)。3人でボートに乗るシーンも素晴らしい。映像的に見事なだけでなく、この3人の関係、心の動きを象徴するような美しくて怖いシーンである。事実を基にしているので、展開は知っているがハラハラして見てしまう。

(ローラースケートに興じる)

 この3人の関係は昔から有名だった。特に70年代には、「知られざる詩人」中原中也(1907~1937)の評価が完全に定着し、また小林秀雄(1902~1983)が文芸批評界の頂点に君臨していた。その二人が若き時代に長谷川泰子(1904~1993)という女性をめぐって「三角関係」にあったという事実は、非常に興味深い近代文学史の謎だったわけである。ところで、今書いた没年を見れば判るように、3人の中で最も長命だったのは長谷川泰子なのである。どんな後半生を送っていたのかと思うと、1976年に岩佐寿弥監督の記録映画『眠れ蜜』という映画に出演した。70歳を越えて見事な踊りを披露し、ホントに生きてたんだと驚かされた。

(実際の長谷川泰子)

 中原中也は1937年に30歳で亡くなり、その時点では第一詩集『山羊の歌』しか刊行されてない。詩人仲間には知られていたが一般的知名度はなかった。その当時の仲間だった大岡昇平が戦後に全集や評伝を書き、次第に知られていった。有名な「汚れつちまつた悲しみに/今日も小雪の降りかかる/汚れつちまつた悲しみに/今日も風さへ吹きすぎる」という詩があるが、僕には70年代の荒涼とした心象風景をうたう現代詩に思えた。高校時代から好きで大きな影響を受けた詩人だ。一方の小林秀雄も『ドストエフスキーの生活』や『モオツアルト』などを読んで、よく判らなぬながら断定されると魅惑される文体に影響された。

(中原中也)(若き小林秀雄)

 この3人がどんな会話をしていたか実際には不明なわけだが、田中陽造の脚本は見事に出来ていて名言が多い。中原中也は「売れない詩人」として現実性のない子どものような魅力を振りまいている。長谷川泰子はマキノ映画の大部屋女優だったが、中也の天衣無縫な天才ぶりに魅惑されただろう。東京へ出て小林秀雄と実際に知り合う(京都時代にランボーの詩を小林訳で読み感激していた)と、泰子からすると中也より年長で見守ってくれる小林秀雄に惹かれていくのも納得出来る。中也は自ら「天才の持つ不潔さ」というが、泰子は小林と一緒になると今度は何でも批評できてしまう男が不満に思えてくる。

(小林秀雄の家で)

 その意味では長谷川泰子を頂点にする「二等辺三角形」のような愛の形になり、泰子からするとどちらか一人と暮らすというのは精神的に不均衡になってしまうのだ。まだ小林秀雄も中原中也も何者でもなく、皆独身だった。もちろん当時の感覚からすれば、未婚の男女が一緒に住むのは不道徳なスキャンダルとも言えるが、「文学」にとっては世の評価などどうでも良い。僕にはまさになるべくして結ばれては別れる円環構造を描く「愛の伝説」を見事に造形していたと思う。

(根岸吉太郎監督)

 根岸吉太郎(1950~)は昔から相性の合う監督で、僕の好きな映画が多い。前に国立フィルムセンター(当時)で特集が組まれた時に、同時代に見た映画もほぼ見直して記事を書いた。『「探偵物語」と「俺っちのウェディング」ー根岸吉太郎監督の映画①』『「遠雷」と「ウホッホ探検隊」-根岸吉太郎監督の映画②』『「雪に願うこと」など-根岸吉太郎監督の映画③』で、2016年3月のことだ。特に『遠雷』『雪に願うこと』『サイドカーに犬』『ヴィヨンの妻』などの映画が好きだ。もう作品を撮らないのかと思っていたら、こういう風に新作が現れて嬉しい。しかし観客動員的には苦戦している感じで是非見逃さないように。


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