イスラエルの映画監督アリ・フォルマンの「アンネ・フランクと旅する日記」が公開された。東京では3月11日公開だが、もう一日2回の上映である。日比谷のシャンテ・シネ3だけの上映だが、映画館はガラガラ。早く見ないと終わってしまいそう。ほとんど話題になっていないし、そもそもアリ・フォルマンなんて言われても知らない人がほとんどだろう。アニメファンも、社会派映画に関心の深い向きも敬遠してしまうのかもしれない。でもこの映画の作り方は大いに刺激的だし、美しい映像にも目を奪われる。そして「現代でアンネ・フランクを考えるとはどういう事か」を見るものも考えることになる。
アリ・フォルマン(1962~)はアニメ映画「戦場でワルツを」(2008)で知られている。この映画は米アカデミー賞外国語映画賞ノミネートなど世界各地で高く評価された。日本でも2009年に公開され、キネ旬ベストテンの8位に入った。1982年のレバノン内戦に従軍したイスラエル兵(自分自身)を描いていて、イスラエル軍による虐殺事件の記憶をなくした主人公の苦悩を描く。アニメ作品だが、社会派問題作と言うべき映画で、僕は非常に深い感銘を受けた。実写ではなくアニメであることで深くなっている。
アニメーションは何でも描けるわけで、現代の日常を描いてもいいわけだが、やはりファンタジーやSF分野が多くなる。特撮で作るのもいけれど、「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」なんか、アニメだからこその魅力にあふれている。まあ新海誠監督作品などは、ファンタジー的場面より日常場面の方が魅力的かもしれないが。ということで、今回の「アンネ・フランクと旅する日記」もファンタジー的な発想で作られたところに魅力がある映画だ。アンネ・フランク財団から「アンネの日記」のアニメ化を委嘱され、監督はいろいろと考えた結果、素晴らしいアイディアを思いついた。それはキティーを実体化させるということである。
(アンネとキティー)
アンネ・フランクは空想の友だちキティーに向けた手紙という形式で日記を書いていた。そのキティーがある嵐の日に、日記の字の中から飛び出してくる。こんな素晴らしい発想をどうして思いついたのだろう。キティーは日記とともに博物館から飛び出した時だけ、他人にも見える実体となる。キティーは日記が終わった時点までしか知らないから、アンネがその後どうなったかを知らない。知りたくなったキティーは、日記を持ち出してアンネを探し始める。博物館で日本人客(!)から財布を掏っていた青年がペーターで、キティーは彼と一緒にアンネを探す旅に出る。
(戦前のアンネ一家)
「Where Is Anne Frank」が原題である。アンネ・フランクはどこにいるの? キティーが聞いて回ると、アンネはここに、そこに、あそこにもいると皆が答える。橋の名前、病院の名前、学校の名前…いろんなところにアンネ・フランクの名前が付いている。だけど、本当のアンネ・フランクはどうなったしまったの? もう僕らはアンネの運命を知っている。知っている人しかこの映画を見ないだろう。そんな中で「アンネの日記」をただアニメで再現しても、昔は大変だったなあという感慨で終わりかねない。
(現代に蘇った赤毛のキティー)
ちまたでは「アンネの日記」盗難事件で持ちきり。昔風の衣装を着た赤毛の女の子が犯人らしい。キティーが駆け回るアムステルダムの街頭では、折しもシリア難民の取り締りが厳しくなっている。かつてドイツ兵がユダヤ人を強制連行した町で、今はオランダ人が難民を送り返そうとしている。強制収容所跡を訪ねてアンネの消息を理解したキティーは、アムステルダムに戻って難民追放を止めないと日記を焼いてしまうと宣言する。そう、アンネが今に生きていたら、難民の救援をしたに違いないと作者は発想した。そういう風に「アンネの日記」を現代に蘇らせたのである。これはとても刺激的な発想である。
この発想を生かせば、過去の名作を映像化するときにとても役立つだろう。だけど…と僕はさらにいろいろと考えてしまう。アリ・フォルマンにとって、オランダ(あるいはEU諸国)のシリア難民拒否を批判するのはそんなに難しくない。あれほどシリア難民を迷惑がったヨーロッパ諸国が、今のところウクライナ難民には受け入れ反対という声はないようだ。そこにはダブル・スタンダードと言われても仕方ない点がある。でもフォルマン監督の母国イスラエルを目指すシリア難民なんていないんだから、簡単に言える。イスラエル国民であるアリ・フォルマンはパレスチナ難民問題はどう考えているのだろうか。
(アリ・フォルマン監督)
そこまで考えなくていいのかもしれない。この映画は美しい映像と興味深い展開で作られていて、親子や学校で鑑賞するのに最適だ。見るものの心を動かすことが優先されてもやむを得ないだろう。そうは思いつつも、つい思ってしまうわけである。なお、フォルマンは2013年に「コングレス未来学会議」という実写映画も作っている。2015年に日本公開されたが、全然記憶がない。ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの「泰平ヨンの未来学会議」という本の映画化だという。レムは「惑星ソラリス」の原作者である。ところで映画内でキティーとペーターはいっぱいスケートをしている。オランダがスピードスケートであんなに強いのも納得だ。英語映画なので、画面では「アン」「ピーター」と発音しているが、字幕は「アンネ」「ペーター」としている。
アリ・フォルマン(1962~)はアニメ映画「戦場でワルツを」(2008)で知られている。この映画は米アカデミー賞外国語映画賞ノミネートなど世界各地で高く評価された。日本でも2009年に公開され、キネ旬ベストテンの8位に入った。1982年のレバノン内戦に従軍したイスラエル兵(自分自身)を描いていて、イスラエル軍による虐殺事件の記憶をなくした主人公の苦悩を描く。アニメ作品だが、社会派問題作と言うべき映画で、僕は非常に深い感銘を受けた。実写ではなくアニメであることで深くなっている。
アニメーションは何でも描けるわけで、現代の日常を描いてもいいわけだが、やはりファンタジーやSF分野が多くなる。特撮で作るのもいけれど、「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」なんか、アニメだからこその魅力にあふれている。まあ新海誠監督作品などは、ファンタジー的場面より日常場面の方が魅力的かもしれないが。ということで、今回の「アンネ・フランクと旅する日記」もファンタジー的な発想で作られたところに魅力がある映画だ。アンネ・フランク財団から「アンネの日記」のアニメ化を委嘱され、監督はいろいろと考えた結果、素晴らしいアイディアを思いついた。それはキティーを実体化させるということである。
(アンネとキティー)
アンネ・フランクは空想の友だちキティーに向けた手紙という形式で日記を書いていた。そのキティーがある嵐の日に、日記の字の中から飛び出してくる。こんな素晴らしい発想をどうして思いついたのだろう。キティーは日記とともに博物館から飛び出した時だけ、他人にも見える実体となる。キティーは日記が終わった時点までしか知らないから、アンネがその後どうなったかを知らない。知りたくなったキティーは、日記を持ち出してアンネを探し始める。博物館で日本人客(!)から財布を掏っていた青年がペーターで、キティーは彼と一緒にアンネを探す旅に出る。
(戦前のアンネ一家)
「Where Is Anne Frank」が原題である。アンネ・フランクはどこにいるの? キティーが聞いて回ると、アンネはここに、そこに、あそこにもいると皆が答える。橋の名前、病院の名前、学校の名前…いろんなところにアンネ・フランクの名前が付いている。だけど、本当のアンネ・フランクはどうなったしまったの? もう僕らはアンネの運命を知っている。知っている人しかこの映画を見ないだろう。そんな中で「アンネの日記」をただアニメで再現しても、昔は大変だったなあという感慨で終わりかねない。
(現代に蘇った赤毛のキティー)
ちまたでは「アンネの日記」盗難事件で持ちきり。昔風の衣装を着た赤毛の女の子が犯人らしい。キティーが駆け回るアムステルダムの街頭では、折しもシリア難民の取り締りが厳しくなっている。かつてドイツ兵がユダヤ人を強制連行した町で、今はオランダ人が難民を送り返そうとしている。強制収容所跡を訪ねてアンネの消息を理解したキティーは、アムステルダムに戻って難民追放を止めないと日記を焼いてしまうと宣言する。そう、アンネが今に生きていたら、難民の救援をしたに違いないと作者は発想した。そういう風に「アンネの日記」を現代に蘇らせたのである。これはとても刺激的な発想である。
この発想を生かせば、過去の名作を映像化するときにとても役立つだろう。だけど…と僕はさらにいろいろと考えてしまう。アリ・フォルマンにとって、オランダ(あるいはEU諸国)のシリア難民拒否を批判するのはそんなに難しくない。あれほどシリア難民を迷惑がったヨーロッパ諸国が、今のところウクライナ難民には受け入れ反対という声はないようだ。そこにはダブル・スタンダードと言われても仕方ない点がある。でもフォルマン監督の母国イスラエルを目指すシリア難民なんていないんだから、簡単に言える。イスラエル国民であるアリ・フォルマンはパレスチナ難民問題はどう考えているのだろうか。
(アリ・フォルマン監督)
そこまで考えなくていいのかもしれない。この映画は美しい映像と興味深い展開で作られていて、親子や学校で鑑賞するのに最適だ。見るものの心を動かすことが優先されてもやむを得ないだろう。そうは思いつつも、つい思ってしまうわけである。なお、フォルマンは2013年に「コングレス未来学会議」という実写映画も作っている。2015年に日本公開されたが、全然記憶がない。ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの「泰平ヨンの未来学会議」という本の映画化だという。レムは「惑星ソラリス」の原作者である。ところで映画内でキティーとペーターはいっぱいスケートをしている。オランダがスピードスケートであんなに強いのも納得だ。英語映画なので、画面では「アン」「ピーター」と発音しているが、字幕は「アンネ」「ペーター」としている。
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