関東はようやく「秋晴れ」っぽくなった。10月の初めの頃はまだ暑かった。その後急激に気温が下がって雨が続いた。結局、日本の一年はほとんどが暑いか寒いかになった。暑くもなく、寒くもなく、自分の用事も入ってない日は、一年に数少ない。今日はそういう一日だったから、散歩に行こうと決めていた。行きたいところは幾つもあるが、まずは東京都三鷹市に行こう。JR中央線で23区から多摩地区に向かって、2つ目が三鷹駅である。下りたのは約45年ぶり、2度目。昔「三鷹オスカー」という映画館があって、『若者たち三部作』一挙上映を学生時代に見に行った時以来。
行った順番とは違うのだが、まず山本有三記念館から。1996年開館だから、もう26年も前のことになる。出来た年から行きたいと思っていて、もう四半世紀以上経っていたとは驚き。すごく見映えがする洋館として、こんなところがあったんだと思った記憶がある。三鷹駅南口から左の方に斜め(南東方向)の道があり、玉川用水に沿って「風の散歩道」と呼ばれている。この道は井の頭公園に続き、ジブリ美術館をめぐるバスが通っている。その通りの真ん中あたりに瀟洒な洋館が建っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1d/aa/381d61d328b331bcb24ab210a09e1162_s.jpg)
もっとも上に載せた画像は庭側から見たもので、道からは見えない。というか、家も道からかなり奥にある。真ん前に案外広い駐車場がある。そこから庭があり、建物の反対側にも大きな庭園がある。休日はまた違うのかもしれないが、今日は人が少なくて実にノンビリ出来る。表から見ると、何だかとても不思議な形をしている。
(記念館前の駐車場)
そもそも今では山本有三(1887~1974)と言われても、誰だという人も多いだろう。戦前から戦後にかけて、とても有名な作家だった。今でも新潮文庫に『路傍の石』や『真実一路』なんかが生き残っているようだ。代表作は幾つも映画化され、僕も『路傍の石』の田坂具隆監督版(1938)と久松静児監督版(1960)を見ている。賢いが貧しい少年が苦労しながらも真面目に生きて行くみたいな作風で、ある時代までは文学全集に必ず入っていた。吉野源三郎『君たちはどう生きるか』も、山本有三編「日本少国民文庫」の一冊として刊行され、最初は山本・吉野の共著となっていた。記念館は中を映せたので。
(『路傍の石』を執筆した和室)
山本有三はここに1936年から1946年まで住んでいた。自分で建てた家ではない。清田龍之助という実業家が建て、1926年に登記された。設計者は未だに判明していない。山本有三は隣の吉祥寺に住んでいたが、家族が多く手狭になったので、ここを買い取って、妻、4人の子、母親と自分の7人家族で引っ越してきた。この家は敗戦後に占領軍に接収されてしまい、一家は大田区に引っ越すことになる。戦後は貴族院議員、参議院議員として言語政策、文化財保護などに奔走したが、返還後もここに住むことはなかった。そんなに広くはないけれど、素晴らしい庭も見応えがある。3月5日まで、明治大学文芸科長の時期を扱った企画展を開催中。
(入口の扉)
(愛用のスーツ)
三鷹と文学と言えば、山本有三より太宰治を思い出す人の方が多いだろう。山本有三記念館は洋館の魅力で行くところで、今でも読まれているのは圧倒的に太宰である。しかし、大きな記念館などはない。太宰はもちろん津軽の出身であって、三鷹は「自殺した場所」(最後の住所)である。自殺未遂、薬物中毒、不倫、愛人と自殺とくれば、誇るべき大作家として顕彰しにくい。でも、読めば圧倒的に面白く、単なる「破滅型私小説」の枠を飛び越した才能に舌を巻くしかない。大きなお屋敷に住んでいたわけじゃないから、当時の建物はほとんど消えている。ようやく近年になって、2008年に「太宰治文学サロン」、2020年に「太宰治展示室 三鷹の此の小さい家」が開設された。
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前2枚は「小さい家」で、三鷹駅南口の「三鷹市美術ギャラリー」に当時の家が再現されている。特別展は撮影出来ないが、入口と書斎だけ撮影可。後2枚の「サロン」は駅からちょっと離れた場所にある。太宰が通った酒屋「伊勢元」の跡地にあって、太宰の本を手に取って読んだり出来る。しかし、まあ大ファン向けかなと思う。
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むしろ太宰ファンならずとも、まあ一度行ってみたいと思うのは禅林寺のお墓の方だろう。何しろ森鴎外もあるのだ。どんなお寺かと思ったら、駅からまっすぐ南に10分ほど行ったあたりの大きな寺である。珍しく黄檗宗(おうばくしゅう)。しかし、二人の墓は全く普通の感じ。2枚目が森鴎外。3枚目が太宰治というか、津島家の墓。一般のお墓の中に混じっているので探しにくいかも。一応案内板があるけれど、そこには出ていない三鷹事件遭難犠牲者追悼碑(4枚目)も忘れずに。
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太宰の時代から残る数少ないものが、陸橋・三鷹跨線人道橋である。線路沿いにずっと西へ歩けば出て来る。車庫を一望できる跨線橋は太宰も愛したという。近々撤去されるとされ、早く見に行く必要がある。多分晴れた日の夕暮れが一番素晴らしいだろう。当然橋上は鉄網で囲まれていて、高いところから写真を撮るという点では不満な場所。ただ人が歩いていると、絵になるのである。まあ他人だから撮らなかったけど、何人かで行くと良い構図になるかなと思った。1929年に出来たもので、撤去時期は不明。三鷹市とJRの間で「一部保存」が合意されたという。
行った順番とは違うのだが、まず山本有三記念館から。1996年開館だから、もう26年も前のことになる。出来た年から行きたいと思っていて、もう四半世紀以上経っていたとは驚き。すごく見映えがする洋館として、こんなところがあったんだと思った記憶がある。三鷹駅南口から左の方に斜め(南東方向)の道があり、玉川用水に沿って「風の散歩道」と呼ばれている。この道は井の頭公園に続き、ジブリ美術館をめぐるバスが通っている。その通りの真ん中あたりに瀟洒な洋館が建っている。
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もっとも上に載せた画像は庭側から見たもので、道からは見えない。というか、家も道からかなり奥にある。真ん前に案外広い駐車場がある。そこから庭があり、建物の反対側にも大きな庭園がある。休日はまた違うのかもしれないが、今日は人が少なくて実にノンビリ出来る。表から見ると、何だかとても不思議な形をしている。
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そもそも今では山本有三(1887~1974)と言われても、誰だという人も多いだろう。戦前から戦後にかけて、とても有名な作家だった。今でも新潮文庫に『路傍の石』や『真実一路』なんかが生き残っているようだ。代表作は幾つも映画化され、僕も『路傍の石』の田坂具隆監督版(1938)と久松静児監督版(1960)を見ている。賢いが貧しい少年が苦労しながらも真面目に生きて行くみたいな作風で、ある時代までは文学全集に必ず入っていた。吉野源三郎『君たちはどう生きるか』も、山本有三編「日本少国民文庫」の一冊として刊行され、最初は山本・吉野の共著となっていた。記念館は中を映せたので。
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山本有三はここに1936年から1946年まで住んでいた。自分で建てた家ではない。清田龍之助という実業家が建て、1926年に登記された。設計者は未だに判明していない。山本有三は隣の吉祥寺に住んでいたが、家族が多く手狭になったので、ここを買い取って、妻、4人の子、母親と自分の7人家族で引っ越してきた。この家は敗戦後に占領軍に接収されてしまい、一家は大田区に引っ越すことになる。戦後は貴族院議員、参議院議員として言語政策、文化財保護などに奔走したが、返還後もここに住むことはなかった。そんなに広くはないけれど、素晴らしい庭も見応えがある。3月5日まで、明治大学文芸科長の時期を扱った企画展を開催中。
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三鷹と文学と言えば、山本有三より太宰治を思い出す人の方が多いだろう。山本有三記念館は洋館の魅力で行くところで、今でも読まれているのは圧倒的に太宰である。しかし、大きな記念館などはない。太宰はもちろん津軽の出身であって、三鷹は「自殺した場所」(最後の住所)である。自殺未遂、薬物中毒、不倫、愛人と自殺とくれば、誇るべき大作家として顕彰しにくい。でも、読めば圧倒的に面白く、単なる「破滅型私小説」の枠を飛び越した才能に舌を巻くしかない。大きなお屋敷に住んでいたわけじゃないから、当時の建物はほとんど消えている。ようやく近年になって、2008年に「太宰治文学サロン」、2020年に「太宰治展示室 三鷹の此の小さい家」が開設された。
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前2枚は「小さい家」で、三鷹駅南口の「三鷹市美術ギャラリー」に当時の家が再現されている。特別展は撮影出来ないが、入口と書斎だけ撮影可。後2枚の「サロン」は駅からちょっと離れた場所にある。太宰が通った酒屋「伊勢元」の跡地にあって、太宰の本を手に取って読んだり出来る。しかし、まあ大ファン向けかなと思う。
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むしろ太宰ファンならずとも、まあ一度行ってみたいと思うのは禅林寺のお墓の方だろう。何しろ森鴎外もあるのだ。どんなお寺かと思ったら、駅からまっすぐ南に10分ほど行ったあたりの大きな寺である。珍しく黄檗宗(おうばくしゅう)。しかし、二人の墓は全く普通の感じ。2枚目が森鴎外。3枚目が太宰治というか、津島家の墓。一般のお墓の中に混じっているので探しにくいかも。一応案内板があるけれど、そこには出ていない三鷹事件遭難犠牲者追悼碑(4枚目)も忘れずに。
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太宰の時代から残る数少ないものが、陸橋・三鷹跨線人道橋である。線路沿いにずっと西へ歩けば出て来る。車庫を一望できる跨線橋は太宰も愛したという。近々撤去されるとされ、早く見に行く必要がある。多分晴れた日の夕暮れが一番素晴らしいだろう。当然橋上は鉄網で囲まれていて、高いところから写真を撮るという点では不満な場所。ただ人が歩いていると、絵になるのである。まあ他人だから撮らなかったけど、何人かで行くと良い構図になるかなと思った。1929年に出来たもので、撤去時期は不明。三鷹市とJRの間で「一部保存」が合意されたという。
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