尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

劇団民藝『やさしい猫』を見るーていねいな役作りで入管制度を問う

2024年02月10日 21時59分48秒 | 演劇
 劇団民藝公演『やさしい猫』を9日に見て来た。本来は3日からの公演で、僕は初日を取っていたが、何と役者に体調不良が出て公演前半が中止になってしまった。そんなことが今もあるのか。僕は初の経験で、だから「生」の舞台は難しい。9日昼に振り替え公演があるとのことで、そこで見ることにした。久しぶりの演劇だし、入管制度がテーマなのでキャンセルしたくなかった。

 中島京子が読売新聞に連載した小説が原作で、当時大きな評判になったことは覚えている.。2023年には優香主演でNHKの「土曜ドラマ」になったのも知っている。もっとも原作も読んでないし、ドラマも見てない。原作を小池倫代が脚色し、丹野郁弓が演出した。劇団民藝ならではの安定したリアリズム演劇で、ある意味安心して見ていられる。内容的にそれで良いのかという気もしたが、あまり疲れずに感情移入出来るのも演劇の楽しみだろう。
(主演の3人)
 東日本大震災のボランティアで知り合った女性保育士ミユキ(森田咲子)とスリランカ人男性クマラ(橋本潤)が思わぬところで再会する。クマラが警官から職務質問を受けて困っていたのである。彼の本当の名前は寿限無みたいに長いけど、劇中ではクマラと皆に呼ばれる。ミユキはシングルマザーで、クマラは次第に彼女の娘マヤ(成人時は井上晶)とも親しくなっていく。クマラは自動車整備工場で働いていたが、ある日解雇されてしまう。そのことをミユキに打ち明けられず、後で知ったミユキはウソはつかないという約束を破ったと怒り二人は一端離れることになる。クマラは仕事を見つけられず、その間に在留期間を過ぎてしまう。

 二人は再びよりを戻し結婚することになるが、不法滞在になってしまったクマラは入管に行く前に逮捕されてしまい、そのまま入管施設に収容されてしまった。ミユキは最初は戸惑うが、マヤの幼友達ナオキが調べてくれた弁護士に相談に行くことにする。そして、裁判をすることに踏み切るが、証言に立つと思ってもいない質問を投げかけられる。マヤも証言を希望するが、クマラは止めた方がいいとアドバイスする。それでも高校生のマヤが証言台に立つところがクライマックスとなる。チラシにある絵はマヤが小学生の時に描いた絵で裁判でも提示される。三人で海へ出掛けた幸せな一日を描いたのである。
(中島京子)
 観客はクマラとミユキ、マヤ親子が親しくなっていく過程をずっと見ているので、クマラが「在留資格」を得るために「偽装結婚」をするんじゃないことをよく判っている。しかし、それが入管職員には通じないし、周囲の日本人も外国人と結婚すると言ったら皆「利用されている」と言う。日本人との結婚には言わないことを口にするのである。ミユキが8歳年上であることも、相応しくないと決めつける。初めは鶴岡に住むミユキの母も反対するが、「おしん」の話題で盛り上がり、やがて認めるようになる。

 現実に知り合って人柄を知っていくことが「共生」の第一歩だと示している。「やさしい猫」とはスリランカの民話で、クマラが幼いマヤに伝えた話。猫もネズミの苦しみを理解出来るようになる。一つ一つのエピソードがていねいに提示され、納得しやすい。もっとも納得出来るように物語が出来ていると見る方も判っていて、入管行政への怒りを含めて「予定調和」的なことは否定出来ない。そこに「新劇」的な物語の限界を見ることも可能だろう。入管制度とそれを支える日本人の心性を問うためには、もっと違うアプローチも必要かも知れない。ただし、それでも複雑なものを理解しやすく観客に示すのも演劇の初心だろう。

 本来は公演終了近くの日だが、実際は初日翌日に見たわけで、セリフ回しなどまだ練られてない部分もあったと思う。だが特に最後の方の裁判シーンは「法廷ミステリー」的な盛り上がりを見せる。観客を引きつける確かな演出と演技は、劇団活動をしているだけの見ごたえがある。だがテレビではスリランカ人が演じたクマラを日本人が演じるのは、舞台ではやむを得ないかと思うが違和感もある。新劇的感動の枠に収まって、入管行政を考えるというテーマ性が弱くなる。難しい問題だが、これを入門編として全国で上演して欲しいと思う。

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