尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

共産党へ渾身の提言ー大塚茂樹『「日本左翼史」に挑む』を読む②

2023年04月13日 23時19分33秒 | 〃 (さまざまな本)
 大塚茂樹氏の『「日本左翼史」に挑む』を読む2回目。この本を読んで驚いたのは、大塚氏の人生に共産党関係者との幾重にもつながる深い縁があったことである。共産党系で活動したことは知っていたが、このような関係(親族の葬儀に共産党幹部が参列するといったような)があったことは知らなかった。(具体的内容はここでは書かない。)奥付に「1968年に小学生として、ベトナム反戦運動、沖縄問題への関心で社会運動に参加」とある。恐ろしく早熟な少年である。「以後、運動の現場を離れることなく現在に至る」という。半世紀を超えて、社会運動を見てきたわけである。
(大塚茂樹氏)
 それは当然共産党系の運動だと思うが、大学時代には民青に加盟したとは書かれている。その後党員にはならなかったが、党内外の様々な人々との関わり、希望と苦悩の入り交じった青春が語られる。ずいぶんいろいろな人に会ってきたことに驚かされた。特に原水禁運動での体験は強烈だ。1963年に「部分的核実験停止条約」の評価をめぐって、原水禁運動は社会党系、共産党系に分裂した。その後、統一大会が開かれた時代があるが、84年には開催が危ぶまれた。その経緯に関しては、大塚著を読んで欲しい。そもそも「『ヒロシマ・ノート』に記されている原水協のセクト主義に賛同したことはない」と書かれている。

 池上彰・佐藤優氏の本では、特に佐藤氏が共産党は「暴力革命」を完全には放棄しておらず、公安調査庁の監視は必要だとしている。しかし、大塚氏はそれを不当だとする。僕も大塚氏が正しいと思うが、そもそも佐藤氏は「理論重視」であり、現場感覚から少しズレている面がある。共産党には組織論などで「レーニン主義」を完全に清算していないという判断はありうる。だが、それは文面上の「教条主義」というか、訓詁主義的な問題である。今は暴力革命を目指す組織を秘密裏に結成出来る時代ではない。共産党の支持層も高齢化していて、「若者よ体を鍛えておけ」(昔共産党でよく歌われた歌の歌詞)と歌える状況じゃないだろう。もちろんそれは自民党もよく知っているはずだ。

 そのように「日本左翼史」を批判する一方、共産党の「暗部」も鋭く指摘する。実際に会った幹部の印象なども交えながら、興味深いエピソードが連続する。党の路線に盲従したりせず、党外の支持者として自立して考えてきたということか。92年の結婚式を祝う会で、「国際学生連盟の歌」を歌い、野間宏暗い絵』の一節を両親に贈る言葉にしたと出ている(232ページ)。この取り合わせに著者のスタンスが表れているのかもしれない。党を除名された野間氏の言葉を取り上げるのは、勇気が必要だったのではないか。結局、大塚氏と共産党との関係を表わすなら、「論語」をもじって「支持して同ぜず」なのかもしれない。

 現在、日本共産党が揺れている。いや、揺れてないのかもしれないが、少なくとも共産党に関心を持つような「ネット左翼論壇」は今年になってずっと大揺れだ。統一地方選挙前半が終わって、共産党は「一人負け」とも言われている。今まで「牙城」と呼ばれていた京都府でも、京都府議選では12議席から9議席へ3減、京都市議選では18議席から14議席へ4減だった。まあ、「維新」だけは万々歳だろうが、他の党はどこも揺れているだろう。共産党はそれでも府議選は「維新」と並んで第2党、市議選は単独で第2党なんだから、「反共攻撃の中、よく持ちこたえたと言うかもしれない。

 京都が特に注目されたのは、『シン・日本共産党宣言 ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由』(文春新書)を刊行した松竹伸幸氏、『志位和夫委員長への手紙―日本共産党の新生を願って―』(かもがわ出版)を刊行した鈴木元氏が京都府委員会に所属していたからだ。両氏は「分派活動」として共産党を除名された。その影響が京都でどのように現れるかが注目されていた。大塚氏の本は2023年3月25日発行だが、「2023年2月6日に、党首公選制を求めた松竹伸幸氏の除名が発表された」の記述がある。
(記者会見する松竹氏)
 大塚氏は「今からでも除名を白紙に戻す勇気」を求めている。それだけでなく、広範な党の改革を求めている。党機関誌で実名を挙げて批判してくれて良いから、幅広い議論をして欲しいという。何故共産党にそこまで求めるのか。それは「戦争前夜」かと思わせる現時点で、共産党が魅力を失い続ける存在であってはならないという思いからだろう。僕もその気持ちには共感するところが多い。先に袴田事件再審決定の記事を書いたが、東京地裁前に集結した人の中には(共産党系の)日本国民救援会の人が多かった。冤罪から救えというのに何党支持も関係ないが、他党には今もこれだけ動員できる大衆運動団体はないだろう。
(松竹氏除名問題で語る志位委員長)
 ホントに多くの論点があり、とても書き切れない。自分の共産党論などは改めて別に書きたいと思う。この本の中に、党首の公選規程がないのは共産党と公明党だと書いてあった。いや、言われてみればその通りだ。ところで僕は長く学校現場で働いてきたから判っているけど、「地域」にあるのは創価学会共産党だけである。もちろん自民党系の人もいるが、自民党組織があるんじゃなくて「自分党」があるだけ。昔の社会党や民主党などに投票している保護者はいっぱいいただろうが、地域の中で活動している人は見たことない。(東京でも多摩地区はちょっと違うかもしれない。「市民派」が活動している地域もあるだろう。)

 そして、共産党や創価学会(当然公明党支持だろう)の人は、大体「いい人」なのである。ごく普通に平和を求めているし、学校にも協力的。だから学校行事的には一緒に仲良くやりたいと思っていたが、そうか、この両組織は党首公選制がないのか。しかし、そういうところが日本の「地域」には適合しているのかなどと考えてしまった。
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