尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「反復」する人生、懐かしさの正体ー『男はつらいよ』考③

2025年01月23日 22時39分58秒 |  〃  (旧作日本映画)

 『男はつらいよ』シリーズを考えるシリーズ3回目(最後)。今回見送るつもりだった第9作『男はつらいよ 柴又慕情』(1972)もついつい再見してしまった。吉永小百合がマドンナ役になったこともあり、シリーズ屈指の人気作である。おいちゃん役の森川信が72年3月に死去して、松村達雄に代わったことでも重要。(松村は5作だけで、14作以後は最後まで下條正巳が演じた。)おいちゃんは亡くなったという設定も考えたそうだが、結局代役を立てたのは「バカだねえ、あいつは」「ああ、やだやだ」と口走る人物が必要だったということだろう。

(『柴又慕情』)

 さて、喜劇とは「反復」である。チャップリンの時代から、コメディ映画ではセリフ、体技、シチュエーションなどで、主人公が同じようなことを繰り返すのがおかしかった。落語の登場人物も、自分の失敗を性懲りもなく繰り返す。それも次第にレベルアップ(レベルダウンというべきか)していくのがおかしいのである。『男はつらいよ』シリーズも、ベースはおなじことの反復で、寅さんが周囲の美女に惚れては失恋してまた旅に出る。展開が判っているのにおかしいのは、渥美清の演技と山田洋次の演出が洗練の極みに達していることが大きい。また周囲の脇役のアンサンブル演技も完成されていて見事というしかない。

(御前様の「バター」シーン)

 ギャグの幾つかは作品を超えて受け継がれている。有名なものでは「バター」がある。第1作で御前様とその娘冬子と出会って、寅さんが写真を撮ろうとする。笠智衆が例によって堅物なので、「御前様笑ってくださいよ」と寅が口をはさむと、シャッターを切るときに御前様が「バター」と言うのである。その時初代マドンナ光本幸子が実に上品に笑うのが印象的だ。写真の時に「チーズ」というのがいつ頃からか知らないけど、ある時期まで「欧米風」のことを「バタ臭い」と表現していた。バターが臭かったぐらいだから、チーズはもっと臭いとして食べられない人も多かった。まだ宅配ピザ屋などなかった時代である。

 バターとチーズを混同するのは、今じゃ通じないかもしれないが、70年代初期にはまだ同じように「臭い物」として同一視する人も多かった時代なのである。そのギャグを今度は寅さんが使うのである。第1作ラストのさくらの結婚式、集合写真を撮るときに寅が「バター」というので皆爆笑になる。ところでこのギャグが『柴又慕情』で再現される。吉永小百合たち三人組と北陸で一緒になって、記念写真を撮ろうとしたとき、寅さんが「バター」と言うのである。3人とも笑い転げるのだが、有名作家の父と確執を抱えて旅に出ていた歌子(吉永小百合)があまりのおかしさに笑顔を取り戻して寅さんに感謝することになる。

(『柴又慕情』の「バター」シーン)

 「反復」という点では「音楽の力」も『男はつらいよ』シリーズを支えた重要な要素だ。作曲家山本直純(1932~2002)が全作を手掛けていて、主題歌のメロディはほとんど全国民が知っているんじゃないだろうか。山本直純がいかにすごい人物だったかは、岩城宏之『森のうた』という本に描かれている。テレビ番組「オーケストラがやって来た!」の司会や森永チョコのCM(「大きいことはいいことだ」が流行語になった)などで多くの人が顔を知っていた人だった。主題歌のテーマは映画内で何度も変奏されるが、同時にもっと抒情的なメロディもここぞというシーンで何度も使われる。『ゴジラ』や『仁義なき戦い』シリーズを越えて、シリーズ映画史上一番耳に残るメロディじゃないだろうか。一度見るとつい口ずさんでしまうのである。

(山本直純)

 しかしながら、48作はさすがに多い。僕もあまりの「反復」ぶりに、最後の方はもう飽きてしまってほとんど見ていない。世の中には「盆と正月は寅さん」という人も多かった時代で、「安心して見られる映画は他にない」と言う人もいた。確かに東映実録映画や日活ロマンポルノと同時代の映画なのに、暴力シーンもセックスシーンもない。だから「家族で見に行ける」わけだけど、同時代の僕は「安心して見られる映画なんて映画じゃない」と思っていた。「危険な映画」こそ魅力的なのである。リアルタイムで安部公房や大江健三郎の新作を読み、リアルタイムで大島渚や今村昌平、寺山修司らの映画を見ていたわけである。

 なにゆえに、見なくてもまた寅さんが失恋すると判っている映画を見に行くのか。世界にはもっと面白い映画や演劇、音楽や美術がいっぱいあるじゃないか。それが「若い」ということだろうと今は思う。人生は「一回性」だからこそ、「反復」は嫌いだったのだ。だが年齢を重ねるにつれ、「反復」もまた面白いという気になってきた。そう思わない限り寄席なんて楽しめない。何度も通えば同じ落語を聴くことも多くなるし、色物の大神楽や奇術なんかほとんど同じである。それが楽しいのだ。

 思えば自分の人生も(誰の人生も)「反復」である。いや、もちろん毎日毎日は日々新たな一日なんだけど、それは「同じような一日」である。もちろんその日初めて見る映画もあるし、初めて読む本もある。だけど、長く生きていればそれは「昨日と同じような一日」なのである。仕事をしていれば、毎日新しく「働く喜び」を感じるわけがない。食事や家事・育児・介護なんかも、同じではないけれど「毎日が似ている」。そして自分もまた一日が積み重なって老いていく。「夜トイレに起きてしまう」とか「血圧が高くなってしまう」とか、そういう話は聞いていたけどやっぱり同じことが自分にも起こるのである。

 つまり自分の人生もまた「世界全体の反復の一部」だったのである。最初に『男はつらいよ』シリーズが終わったこの30年間をどう考えるかと書いた。僕は根が社会科教員なので、つい「グローバル化」とか「情報社会化」とか考えてしまう。もちろん、『男はつらいよ』シリーズには携帯電話が出て来ないし、柴又には外国人観光客がほとんどいない。この30年で世界も日本も大きく変わったけれど、自分の問題で言えば(あるいは誰にとっても)30年間で一番大きな出来事は「自分が30歳年をとった」ことだ。その結果、自分は「何者か」になって、「何事か」をしたわけである。

 僕が70年代にリアルタイムで、初期のシリーズ、特にリリー3部作の2本(「忘れな草」「相合い傘」)を見た頃、自分はまだ何者でもなかった。まあ「学生」も何者かではあるが、就職も結婚もしていなかった。それを逆に言えば、何者でもないことによって他の何者かになる可能性も存在していた。その可能性はもうないわけで、自分は何者かになってしまった。別に後悔するとかではないけれど、そういう風に人生の時間が進んで行ったのである。ところが『男はつらいよ』シリーズは、70年代、80年代を超えて続き、その間ずっと寅さんは何者にもならなかった。だからずっと出会った誰かを好きになっても許された。

 この「寅さんがいつまでも何者でもないこと」が懐かしいのである。もちろん画面には今では見られなくなった幾つもの風景が残されている。それも見るだけで懐かしいわけだが、その風景を寅さんが歩いてきてテーマ音楽が流れると「パブロフの犬」のように自分がまだ何者でもなかった時代が自然に思い出されてくるのだ。それなりに一生懸命取り組んだこと、自分も家族(ペットも)若かった頃のこと、好きになった人、失恋した人…「寅さん」が「反復」だからこそ、思い出してしまうわけだ。

(山田洋次監督)

 寅さんはどこにも「居場所がない」。柴又に帰っても、定着せずに旅に出る。時々定職に就こうとするが、やっぱり無理で辞めてしまう。いや、そういう人生を望むわけじゃないけれど、心の奥底に「自分の本当の居場所」を探し続けている人はいっぱいいるだろう。そのような「漂泊」の思いはどこから来たのだろうか。それは山田洋次監督の「引き揚げ体験」に原点があるのではないだろうか。山田監督は「外地」育ちではないが、戦時中に疎開していて戦後大連から帰還してきた。外地から引き揚げた体験は戦後日本に大きな影を落としてきた。安部公房の小説、別役実の演劇に描かれた「居場所がない」不安感。山田洋次が創作した「寅さん」という人物の居場所なき絶えざる放浪も、また日本の戦争体験が生み出した喪失感に原点があると思う。


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