尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

追悼・鈴木清順監督

2017年02月23日 18時42分07秒 |  〃  (日本の映画監督)
 映画監督の鈴木清順が亡くなった。最高傑作だと思う「ツィゴイネルワイゼン」(1980)のプロデューサーだった荒戸源次郎が昨年亡くなった時に、ここで追悼記事を書いた。鈴木清順について書かないのも変なので、簡単に書いておきたいと思う。

 鈴木清順(1923~2017.2.13)は、93歳で亡くなった。最後の映画作品「オペレッタ狸御殿」(2005)以来、10年以上も作品を作っていない。80歳を超えていたのだから不思議ではない。それでも映画の特集上映などの機会に、観客の前に出てくることはあった。僕もシネマヴェーラ渋谷と神保町シアターで聞いている。もう車いす姿で、介助を受けて出てきていた。それでもオーラというか、独特の存在感を場内に発していた。日本の映画監督で伝説的存在だった人だっただけに、残念な訃報だった。

 鈴木清順監督に関しては、今までにも何回か書いていて、神保町シアターで特集があった時(2013年10月)には20本全部を見てまとめを書いた。「鈴木清順の映画①日活前期」「鈴木清順の映画②日活後期」「鈴木清順の映画③まとめ」がそれ。また「東京流れ者」については、松原智恵子トークしショーとともに別に書いている。「『東京流れ者』と松原智恵子トークショー」である。

 大体そこで書いていることに尽きているんだけど、鈴木清順に関しては「鈴木清順解雇事件」のことを落とすわけにはいかない。日活最後の作品「殺しの烙印」が「わからない」という社長の一言で、クビになった。この非常に面白いハードボイルド映画の自己パロディ映画は、確かに日活でたくさん作られたハードボイルド映画の中では「わかりにくい」。一見すると、確かに「わからない」ところがある。だけど、社長が先に興行的観点から「わからない」としてしまったために、映画ファンにとっては「わからない」と言えなくなったのではないか。でも、この映画の魅力は「わからない魅力」なんだと思う。

 日活の中で、「わかりやすくて面白い」映画もたくさん撮っているけど、それでも清順映画には「わかりにくさ」が付きまとっている。それを無視はできない。エッセイもたくさん書いているけど、はっきり言って僕にはよくわからない文章が多い。日活映画の中では、そのわからなさを独特の美学やパロディとして表出していた。でも、フリーになって作った「ツィゴイネルワイゼン」や「陽炎座」は「わからなさ全開」である。何度見ても途中で筋がよく判らなくなる映像の迷宮をさまようことになる。だけど、少し経つとまた見たくなる。タルコフスキーなんかとまた違った映像の魅力で忘れがたい監督である。
 
 日活の商業作品では、よく考えるとわからないところも多いけど、とりあえずストーリイの魅力で見せられてしまう。なんといっても「けんかえれじい」が最高に面白い。「刺青一代」や「悪太郎」も何度見ても魅せられる。「春婦伝」などの野川由美子三部作もすごい。そして、「東京流れ者」が素晴らしい。筋で見せるだけではないから、何回見ても面白い。だけど、「陽炎座」以後はほとんど面白くないと思う。「ピストルオペラ」が変なところが捨てがたいけど、「夢二」も「オペレッタ狸御殿」もつまらなかった。結局、独特の美学にはまらない場合は、つまらないのである。そこがやはり、何でも見せてしまう人ではなかったということだろう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 雪の湯西川温泉とかまくら祭り | トップ | 映画「未来を花束にして」と... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

 〃  (日本の映画監督)」カテゴリの最新記事