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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「イート」も止めなければ意味が無いー「Go To トラベル」一斉停止問題

2020年12月15日 23時02分19秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 12月14日(月)の夕方6時半過ぎに「Go To トラベル」を年末年始に全国一斉で停止するという政府方針が報道された。6時21分から40分にかけて「新型コロナウイルス感染症対策本部」が開かれ、そこで決まったらしい。主管する観光庁でも10分前に知らされたという。先週まで「一部除外」はあるとしても、「Go To トラベル」を継続する意向と伝えられていた。ところが週末に報道された世論調査で支持率が急減したことから、菅首相が追い込まれたのだという。
(ニュース報道)
 菅首相はその後4分間(7時28分から32分)報道各社のインタビューに答えた後で、ホテルニューオータニに出かけて、AOKI会長やユーグレナ社長と懇談した。そしてさらにその後、8時50分に高級ステーキ店「銀座ひらやま」に出かけて、二階幹事長、プロ野球ソフトバンクの王貞治球団会長、俳優の杉良太郎氏、政治評論家の森田実氏、タレントのみのもんた氏、林幹雄幹事長代理らと会食したという。菅首相自身が11月19日に「Go To イート」では「会食は4人まで」とするようにと発言していた。いくら何でも「間が悪すぎる」だろう。

 「トラベル」の全国一斉停止は観光業界に大きな波紋を呼んでいる。何しろ急すぎて、旅行会社や旅館などにはキャンセルが殺到しているとか。まあ東京が除外されそうな気はしていたが、全国というのは確かに予想外。菅首相なりに「こだわり」があるのかと思っていたが、支持率の方が大切なのか。キャンペーンでずいぶん客が回復していたということなので、観光業界には衝撃が大きい。ただし、先に書いたように「Go To トラベル」の仕組みはおかしすぎる。

 年末年始はもともと観光客が多い時期だ。普段の年なら海外旅行にも多くの人が出掛ける。今年は外国へは行けないから、国内旅行の需要は大きいだろう。そこで税金を投入して「事実上の半額」に値下げして、旅行に是非行きましょうとキャンペーンする意味が僕には判らない。非常事態宣言が出されているわけではないので、旅館やホテルは開いている。例年通り、自腹で行けばいいだけだと思う。(一日違いで割引がないと不公平なら一割引ぐらいでもいいか。)

 もともと7月にキャンペーンが始まった時には「感染状況が一定の落ち着きを見せている」という判断があった。それを考えてみると、「再び感染が多くなった場合」にはどうするか、最初に決めて置かなければいけなかった。「全面停止」だけでなく、割引率で調整するなども考えられる。突然始めて、利用しないと損なムードを作って、突然停止する…では旅館も客も混乱する。

 今回「トラベル」だけが対象になっているのは何故だろうか。「Go To イート」は何故停止しないのか。感染リスクを考えたら、人が他県に移動しなくても、年末年始に会食するならもっと危険ではないか。実際に会食によるクラスターはいくつも発生している。ある程度の人数で会食するなら、ほぼ確実に予約するだろう。その場合に税金を原資にして補助する必要があるだろうか。(今の感染者数を考えた場合、ということだ。)旅行と同じく、店は営業しているのだから、自腹で行けばいい。(もちろん、「持ち帰り」「取り寄せ」商品は別である。)

 また、ただ「停止する」では困る人が出る。外食店はすでに「時短営業」を求められたりしている。年末年始に旅行や外食が止められたら、大きな痛手を受ける人がいる。それらの人へ「希望」を伝える政策が必要だ。映画館では12月になって食事が可能になるなど、感染状況と逆行する措置が進行している。どうもやることがチグハグだと思う。政府の方針も揺れ動いていて方向性が見えないことが多い。満点の政策は難しいとしても、せめて「説明」はしっかりして欲しい。
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傑作映画「燃ゆる女の肖像」、映像美とフェミニズム

2020年12月14日 22時16分00秒 |  〃  (新作外国映画)
 セリーヌ・シアマ監督・脚本のフランス映画「燃ゆる女の肖像」は心をつかんで離さない傑作だ。2019年のカンヌ映画祭脚本賞クィア・パルム賞を受けた。クィア・パルム賞って何だと思ったら、コンペと別に「LGBTやクィアをテーマにした作品」から選出される賞だそうだ。2010年からあって、「私はロランス」「キャロル」「BPM ビート・パー・ミニット」なんかが選ばれてきた。

 冒頭で女性画家のマリアンヌノエミ・メルラン)が絵画塾で女性たちを教えている。生徒たちは先生の絵を見つけて由来を尋ねてくる。マリアンヌはその絵を「燃ゆる女の肖像」と呼び、絵を描いた若い時代を回想する。18世紀末、マリアンヌはフランス北西部のブルターニュの孤島に小舟で向かっていた。そこに住む貴族の娘の肖像画を頼まれたのである。女性画家はほぼいなかった時代である。マリアンヌは父に教えられ、時には父の名で絵を描いていた。
(ブルターニュの島で)
 肖像画のモデルは館の娘、エロイーズアデル・エネル)だった。彼女はミラノの貴族との結婚話があり、「お見合い写真」としての肖像画が必要だった。本来は姉が結婚するはずが、嫌がった姉は崖から落ちて亡くなった。(恐らく自殺。)代わって修道院にいたエロイーズが呼び寄せられたが、彼女も結婚を嫌がって前に来た男性画家には顔を見せなかった。そこでマリアンヌが呼ばれたのである。しかし母親は「散歩友だち」と紹介して画家であることは秘密にされた。荒涼たる島の自然を散歩しながら、マリアンヌは盗み見るようにエロイーズの特徴をつかみ取る。
(左=エロイーズ、右=マリアンヌ)
 マリアンヌは絵を完成させたが、罪悪感を覚えてエロイーズに真相を話す。彼女は絵を見て自分の本質をとらえていないと指摘する。マリアンヌは絵を破棄してしまうが、母親が本土へ行って留守にする間にエロイーズがモデルになることを承諾する。母親がいない間に、二人の絆が深まってゆく。女中ソフィーの妊娠が判って中絶の手伝いをする。またオルフェウスの神話を巡って三人で論議を交わした。村の祭りに出かけて、焚き火がエロイーズの衣装に燃え移ったのを見た夜、島の洞窟で二人は初めて口づけを交わした。 
(監督と主演の二人)
 母がいない数日間限定で燃え上がった二人だったが、絵は完成して別れの日はやってくる。(そこで描かれた絵は、フランスの画家エレーヌ・デルメールという人が描いたという。)お互いに記念の絵を残して去った後、マリアンヌは2回エロイーズに会ったという。一回は描かれた子連れのマリアンヌ、もう一回はマリアンヌが演奏するシーンがあったヴィヴァルディの「四季」(夏)の演奏会で、遠くから見つめただけだった。この終わり方は深い余韻を残す。結局実際には二度と会えなかったわけだが、心の中でお互いが生き続けたのである。

 前近代では女性の芸術家は文学者以外にほとんどいなかった。中でも画家は「技術」が必要で、父親に教えられた場合だけ葛飾北斎とお栄のように女性画家として活躍出来た。実際にはマリアンヌのような女性画家はフランスにいたのだが、歴史の中で抹殺されてきたのだという。この映画は「女性画家」「女性どうしの愛」「妊娠中絶」など、消されてきた歴史を再発見する。「フェミニズム史観」の見事な達成だ。しかし、18世紀の上流女性が自由に生きられるはずもない。結局エロイーズはミラノに嫁ぐが心の底の思いを映画が見せてくれる。

 ロケされた島が素晴らしく、風景の中でロングショットで捉えられた二人の映像美に息を呑む。たまたま手入れされなかった館が残っていたのだという。ブルターニュ半島西部には島が連なっているが、大西洋の波の荒々しさが印象的だ。セリーヌ・シアマ(Céline Sciamma、1978~)は「水の中のつぼみ」(2004)、「トムボーイ」(2011)という公開作があるが見ていない。もう一作未公開作があり、これが監督4作目。撮影のクレア・マトンも見逃せない。映画賞では現代を描いた「レ・ミゼラブル」に票が集まったが、これは韓国の「はちどり」と似た感じだ。しかし、今後ますます増えていくはずの女性監督の先頭をゆく傑作だ。
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「Go To」キャンペーンのおかしな仕組み

2020年12月12日 23時34分00秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 「Go To」キャンペーンに関して、一端停止すべきだという提言を受けても菅首相は基本的には継続するつもりらしい。「経済を止めない」も大切だが、何にしてもきちんと説明して欲しい。何も説明しないで、聞かれると「丁寧に説明してきた」と言い張る学術会議方式はいい加減にして欲しい。さすがに支持率は低下傾向にあるが、これではコロナ対応を任せられるか心配になる。

 ここで書いておきたいのは、「Go To」キャンペーンの仕組みのおかしさである。新型コロナウイルス感染拡大に、「Go To」(以下、「Go To」は省略する)がどの程度関わっているのかは、今の段階でははっきりしたことは言えない。「トラベル」ばかり取り上げられるが、むしろ問題は「イート」ではないかと思う。7月末に「トラベル」が開始されて、その後夏に「第二波」があった。10月に「イート」が開始されて以後、10月末から11月に掛けて「第三波」という状況が現れてきた。

 そういう風に見れば、ある程度影響もあったようにも見えるが、はっきりはしない。今の段階でキャンペーンが感染に結びついた確証があるケースはそれほど多くはないようだ。もっとも「リスクゼロ」はあり得ないのであって、ウイルスが完全に終息するまで「ステイホーム」してしまったら、多くの飲食店旅館・ホテル劇場・映画館などがつぶれてしまう。一度無くなったら復活させるのは大変だ。だから感染対策を行いながら、経済活動も行っていくこと自体は正しいと思う。

 しかし、そのために行われている「Go To」の仕組みは問題が多い。そもそも「英語としておかしい」という人もある。僕もそう思うけれど(大体「命令形」になってるじゃないか)、それは置いといて、ここでは仕組みだけを考える。基本的に言えば、「トラベル」だったら「観光業界を支援する」のが本来の目的である。そのためには「客が行きやすくする」も確かに一方法だけど、実際は「旅行に行きたい人の支援」になっている。「お得だから使った方がいいよ」というやり方だ。
 (「トラベル」の広告と仕組み)
 上記画像は某旅行者の広告だと思うが、まさに「お得!」をウリにしている。その結果、秋の観光シーズンに有名観光地が「」になる状況が生まれた。お土産などに使えるクーポン券も多すぎて使い切れないという声があるらしい。それは「定率補助」にしているからだ。「宿泊代の35%割引」「15%のクーポン」だったら、高いプランの方が絶対お得である。旅館によっては、あえてキャンペーン向けの高額プランを作ったらしい。

 旅行のパンフを見ればすぐ判るが、旅館は大体5段階ぐらいの料金プランになっている。年末年始が一番高く、土曜日や連休前、夏休み、秋の観光シーズンなどが次に高い。秋冬の平日などは安くなっている。それを「定率」で補助すれば、もともと高い土曜日に行った方がいいことになる。たまたま手元にあるパンフを見ると、ある有名旅館の11月平日は1万9400円、土曜は2万6800円になっている。(一室2名の一人分、四万温泉の「四万たむら」)割引を適用すれば、平日が1万2610円、土曜が1万7420円になる。差額が7600円から4810円に縮まっている。もともと高い宿だが、例年なら土曜に行けない人でも、これなら平日に休暇を取らず土曜に行くだろう。

 「密を避ける」という「政策的誘導」がどこにも感じられない。もともと僕が言ってるように「定額補助」(5千円、6千円程度を補助。クーポンも一律に2千円程度)なら、宿泊プランの差は変わらない。あるいは「連休や土曜日などは割引率を下げる」ことも考えられる。「働き方改革」の意味も含めて、平日に行った方がお得にするわけである。(これは「密を避ける」ために旅館や観光地の客を平準化するためという意味で書いている。)

 「イート」はもっと問題が多い。そもそも食事はあまり予約などしないものだ。宴会とかクリスマスのデートなんかは別だろう。あるいは子ども連れで回転寿司や焼き肉に行くときも予約するのかもしれないが、僕には判らない。でも旅行やコンサートなどには行かない、行けない人でも食事はする。だから本来なら「イート」はもっと全員が利用しやすい仕組みにするべきだ。スマホ、パソコンがない人、使えない人はどうすればいいんだろう。
(「ぐるなび」の広告」
 高齢者、障害者などには使えない制度なのだ。それなのに一部の人は何度も使って「お得」に利用できたようだ。そういう仕組みになっているんだから、お得に使える人が使っても非難は出来ない。しかし、税金の使い方としてそれでいいのか。生活保護世帯、ひとり親世帯、困窮学生などに「デリバリーで利用できるイート券」を配布するなどという方がいいんじゃないだろうか。それと「イート」はマスクを外さないと成立しないんだから、一番感染リスクが高い。それを考えると「アルコール提供分は補助しない」程度は必要なんじゃないだろうか。
(「イベント」広告)
 もう一つ、「トラベル」「イート」とともに「イベント」もあるはずだが、どうなっているんだろうか。実はもう始まっているらしいが、あまり宣伝していない。しかも、「トラベル」が35+15%、「イート」が25%に対して、「イベント」は20%と一番割引率が低い。いかにも「文化軽視」の象徴みたいだ。「イベント」はコンサート演劇映画美術館・博物館スポーツ観戦遊園地などの料金を割引するというものだ。これは自分も利用出来るかと思っていた。

 実はUSJの料金を割引で売ってたり、チケットぴあで対象のチケット販売が始まっている。しかし、映画館でもやるというのに全く気配がないのは、「鬼滅の刃」大ヒットで潤ってるから必要ないということか。どう考えても「トラベル」「イート」に比べれば、感染リスクは「イベント」が一番低い。それにコンサートやスポーツのチケットは、もうずいぶん前からネットのチケットサイトで購入するのが一般的になっている。「イベント」が最初になってもおかしくない。多分役所や企業規模が違って、文化支援の機運が低かったのだろう。

 「ミニシアター・エイド」というのがあった。個性的な小さな映画館を守ろうという支援運動だった。そういう風に、大切なことは「利用者」の支援ではなく、旅行や外食、アートなどの「文化装置」を守っていくことだ。それなのに政府の政策は「得になる仕組みを作ったから、みんな損しないように行動しろ」である。その結果、「密」になる場面を作って感染リスクを高めていると思う。また「利用できない人」(高齢者や低所得者、障害者など)の存在を置き去りにしている。

 だが、それ以上に問題なのは、「損得で行動する国民」を育ててしまうことだと思う。「損得を超える価値観」を忘れた社会は危ない。すでにそうなっているんだろうけど、「Go Toキャンペーン」は「ふるさと納税」や「マイナポイント」などと同様に、その傾向を助長してしまう。安倍・菅内閣の基本政策だから、自民党の基本的な方向性なんだろう。「Go To」も単に「停止」するのではなく、仕組みの練り直しが必要だと考える。
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映画「ばるぼら」と「ミッドナイトスワン」

2020年12月10日 23時15分01秒 | 映画 (新作日本映画)
 手塚治虫没後30年記念作品として手塚眞監督が父原作の「ばるぼら」を日独英合作で映画化した。日本でもようやく公開されたが、稲垣吾郎二階堂ふみのダブル主演で、その意味では見応えがあった。でも今ひとつ判らないところがあって、原作も読んでみた。原作は角川文庫に入っている。文庫で漫画を読むのは目に悪いんだけど、やはり原作はもっと複雑な構成になっていた。また時代(原作が連載された1973年~74年)を反映した設定が多かったように思う。

 漫画でも映画でも、冒頭に「都会が何千万という人間をのみ込んで消化し…たれ流した排泄物のような女、それがバルボラ」と語られる。そのばるぼら(二階堂ふみ)は新宿駅の⽚隅でホームレスのように酔払っている。そこに⼈気⼩説家美倉洋介(稲垣吾郎)が通りかかり、つい家に連れて帰る。⼤酒飲みでだらしないばるぼらだが、美倉はなぜか奇妙な魅⼒を感じて追い出すことができなかった。この「新宿」「アル中」という設定が70年代的な感じである。

 彼女がいると美倉はどんどん傑作が書けた。「ばるぼら」とは誰なのか。英語表記では「BARBARA」で「バーバラ」だ。文庫解説では「バルボラ」はチェコ語ともいうが、要するにヨーロッパの名前。手塚治虫はギリシャ神話かなんかの名前と思っていたらしいが、勘違いらしい。「ミューズ」(詩神)のように描かれている。醜悪、低俗なものの中に「真実」が宿るわけだ。一方、「美倉洋介」は耽美派の作家でボクシングや剣道などをやって鍛えているが、実は「異常性愛者」である。これはイニシャルが同じだから「三島由紀夫」なんだろうと思う。
(手塚監督と主演2名)
 人気作家の美倉には出版社や政治家が接近する。出版社の加奈子(石橋静河)や与党有力政治家の娘志賀子(美波)は美倉を愛している。しかし、美倉の現実感覚は次第に壊れていき、ついにばるぼらとの結婚を決意する。それまでに示されているが、「ばるぼら」にはオカルト的な能力があり、実は「魔女」一族なんだろうか。結婚式は異様な儀式として行われるが、そのさなかに志賀子の逆恨みによる警察の手入れが入って美倉は薬物使用で逮捕される。数年後、忘れられた美倉は姿を消したばるぼらを見つけようと奔走し、ついに破滅に陥っていく。
(原作「ばるぼら」)
 ばるぼらの母は「ムネーモシュネー」と言い、映画では渡辺えりが演じている。この名前はギリシャ神話の「記憶の神」で、ゼウスとの間に9人のミューズを産んだという。なんで突然「魔術」とか「ギリシャ神話」が出てくるのか。それは73年当時の日本で「オカルトブーム」や「破滅論」が流行していたからだ。五島勉の「ノストラダムスの大予言」や小松左京「日本沈没」がベストセラーになった年に書かれていたのである。そしてオカルト的な設定が入り込んでいった。

 そのためストーリーが判りにくくなってしまったと思う。「芸術家の成功と破滅」、それをもたらした「運命の女」が「フーテン」だった。(原作ではそう表現される。当時は「フーテンの寅さん」のようによく使われた言葉だった。外国でヒッピーと呼ばれたような人も日本では「フーテン(瘋癲)」だった。)そこで終わっていれば、ずっと理解しやすく興味深かったと思う。二階堂ふみはやっぱり素晴らしく、「エール」じゃなくて「私の男」や「蜜のあわれ」を思わせる熱演。

 以前「凪待ち」と「半世界」を一緒に書いたことがある。今回も元SMAPつながりで、草彅剛がトランスジェンダーを演じてロングランになっている内田英治監督・脚本の「ミッドナイトスワン」も触れておきたい。僕はこの映画をセクシャルマイノリティがテーマだと思って見た。その通りなんだけど、それ以上に「バレエ映画」だった。東京で会社を辞めて、新宿のニューハーフショーをやっている「凪沙」(草彅剛)。そこに広島から母親がネグレクト気味の姪・一果がやってくる。凪沙は親にカミングアウトしていなかったので一果は驚く。
(服部樹咲)
 一果にバレエの才能があることを知って、凪沙は自分を犠牲にしてバレエ教室に通わせるのだったが…。凪沙の運命は悲しすぎて、どうもトランスジェンダーの人生は苦しいというイメージが強すぎて、僕はどうかなと思ってしまった。しかし、それ以上に一果を演じた新人、服部樹咲(はっとり・みさき、2006~)があまりにも素晴らしいので、映画をさらった感じがする。もちろんバレエ経験者で小学生時代から活躍していた。かつて「花とアリス」(岩井俊二監督)で蒼井優がバレエを踊り出した瞬間を思い出した。今後、バレエで行くのか、俳優で行くのか、判らないけれど、僕は是非俳優もやって欲しいと思う。
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「ふるさと納税」のテレビCMって何だろう?

2020年12月09日 22時38分30秒 | 政治
 ここ数年は年末になるとテレビに「ふるさと納税」のコマーシャルが流れる。今年もずいぶんやっている。「ふるさと納税」そのものはいつでも出来るけど、「翌年の住民税減税」につなげるには「年末締め」ということだ。このテレビCMをどう考えるべきなんだろうか国税庁が「確定申告の時期ですよ」と公共広告を出しているわけではないのだ。
(「ふるなび」)
 2018年に「根本がおかしい「ふるさと納税」」(2018.10.10)を書いた。つまり僕は「ふるさと納税」そのものをおかしな制度だと思っている。簡単に言えば、「ふるさと振興」ではなく「官製通販」になっていて、地元自治体を支えるべき財源が流出している。都市富裕層が「合法的脱税」をする仕組みになっていて、都市部の教育・福祉などに大きな悪影響を及ぼしていると思う。

 そういうふうに制度設計そのものに問題があるのだが、もう一つ「菅首相をどう考えるか」問題でも「ふるさと納税」から判ることがある。かつて菅総務相が発案した「ふるさと納税」で、問題点を指摘した官僚が飛ばされた。今の菅内閣では、「Go Toキャンペーンをいったん停止するべきではないか」と言われながら、何の説明もなく続いている。また「学術会議会員任命拒否」問題でも、いくら批判されても「丁寧に説明した」と言い張り人々が忘れるのを待っている。つまり菅首相という人は、「批判を受け入れることが出来ない政治家」なのである。
(「さとふる」)
 さて、CMをいっぱい流している「ふるなび」も「さとふる」も私営企業のはずだ。「ふるさと納税」は「寄付金」になるのだが、その分住民税を控除できるので「事実上の税金」である。「税金を納めましょう」というCMを私企業が流す。その原資はどこからでているのか

 調べてみると、「さとふる」はソフトバンクグループのSBプレイヤーズという会社が運営している。「ふるなび」は「アイモバイル」というIT企業(「アイ・モバイル」「Y!mobile」とは違う)、日本最大のふるさと納税総合サイトと言われる「ふるさとチョイス」は「トラストバンク」というIT企業である。ふるさと納税サイトは10以上あるということで、他にも「楽天ふるさと納税」「ふるぽ」などの他、元からあった通販サイトで「ふるさと納税」も出来るようになっているのもあるようだ。
(楽天ふるさと納税)
 もちろんCMの原資はこれら私企業が出しているわけだ。しかし、もっとさかのぼると、「ふるさと納税」を受けた自治体が出している。つまり旅行サイトやグルメサイトに登録するには手数料が必要なのと同じように、ふるさと納税サイトに載せるにも手数料が必要なのである。その手数料は10%から11%ぐらいらしい。小さなお店が「ぐるなび」などの登録することができなくて、「Go To イート」キャンペーンの恩恵を得られないと言われている。自治体の場合は税金から支出するから、登録自体は出来るだろう。でも同じような返礼品であっても、最初の方で紹介される方が寄付が多くなるはずだ。その有利な場所を「買う」ためには、さらに多額の手数料がいるらしい。

 結局は「寄付金」の中から「返礼品」「サイト手数料」に加えて、送料や事務経費も引くと半額ぐらいになってしまう。それでも「返礼品」を目当てに寄付するんだから、それでいいのだと考えるか。それとも「寄付した意味が薄れる」と考えるか。「ふるさと納税」と言っても、どこにいくらでも出来る。多額の住民税を払っている人ほど、多くした方が有利である。では自分に関係する自治体を検索して寄付金を送るか。それは面倒だという人が多いだろう。「ふるさと納税サイト」がなかったら、選ぶのが大変だ。これらのサイトあってこその「ふるさと納税」なのである。

 テレビに「ふるさと納税」を利用して食費を節約しているという家族が出ていた。子育て世代で「ありがたい制度」だと言っていた。この一家は恐らく地元自治体の子育て支援、医療、福祉、教育などのサービスの恩恵を受けているだろう。自ら負担するべき分を負担しないで、サービスだけ受けることでいいのか。そう思うけれど、個々の家庭からしてみれば「ふるさと納税」を利用すれば明らかに有利になる。有利なものを利用するなとも言えない。典型的な「合成の誤謬」ではないか。個人が有利に動くことで、全体のバランスが崩れる。

 どう考えても僕は制度がおかしいと思う。単なる寄付金でいいし、寄付金をした人に各自治体が通販の案内をすればいいではないか。それに国策として推進するんだったら、自治体どうしを競わせるのではなく「所得税」(国税)を減税すればいい。だけど、当面は変わらないんだろう。それは「有利な仕組み」を作って「得するからいいだろう」が菅内閣だからだ。「Go To」も「携帯電話料金」も「マイナポイント」も全部同じ。「得することはやらないと損」という意識の人なら、直接には自分の損得に関係なさそうな学術会議問題なんかどうでもいいだろう。本当は「本質的問題」をじっくり考えない政治では困るはずだが。
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小柴昌俊、坂田藤十郎、マラドーナー2020年11月の訃報

2020年12月08日 22時48分25秒 | 追悼
 2020年11月は上旬に大きな訃報が報じられず、今月はこのまま行くのかなと思っていたら、やはりそういうわけにはいかなかった。11月12日、物理学者小柴昌俊が亡くなった。94歳。1987年に自らが設計を指導したカミオカンデで太陽系外で発生したニュートリノの観測に成功した。その業績で2002年に「天体物理学への先駆的貢献、特に宇宙ニュートリノの検出」でノーベル物理学賞を受賞した。ノーベル賞の賞金で「平成基礎科学財団」を設立して全国を飛び回って若い世代の支援を行った。そして高齢になった2017年に財団を解散した。この出処進退は見事。1945年に旧制一高に入学した。ノーベル賞受賞時に、一高の寮仲間松下康雄日銀総裁上田耕一郎共産党副委員長が小柴を囲んで祝宴を開いたという。これが旧制高校文化だ。
(ノーベル賞受賞時の小柴昌俊)
 同じく12日に、歌舞伎俳優の4代目坂田藤十郎が死去。88歳。1931年12月31日に2代目中村鴈治郎の長男として生まれた。妹が中村玉緒。1941年に2代目中村扇雀を襲名。武智鉄二の実験的歌舞伎や近松門左衛門の「曽根崎心中」のお初で知られ、関西では後になっても「扇雀(せんじゃく)はん」と呼ぶ人がいるぐらい大人気となった。一時松竹を離れて、東宝映画の専属になった時があって、堀川弘通監督「女殺し油地獄」などの映画で扇雀時代の輝きを知ることが出来る。その時代に宝塚女優の扇千景と知り合って結婚した。後の参議院議長である。
(扇千景との婚約会見)
 2代目鴈治郎も有名で、小津安二郎監督「浮草」「小早川家の秋」など多くの映画に出演していたから今も見ることが出来る。1983年に2代目が亡くなって、1990年に扇雀が3代目鴈治郎を継いだ。これは既定路線だろうが、2005年に上方歌舞伎の大名跡、坂田藤十郎を約300年ぶりに継いだのにはビックリした。それも当然と思わせる役者ではあった。イギリスでローレンス・オリヴィエから日本には劇作家の名前の付いた劇団があるかと問われて、帰国後に「近松座」を結成したという。僕は歌舞伎はほとんど見たことがなくて、結局この人をナマで見た体験はない。
(4代目坂田藤十郎)
 東映グループ会長で、元俳優の岡田裕介が18日に死去、71歳。その日まで普通に仕事をしていて、突然急性大動脈解離で死去した。若い時の俳優時代を知っているので、非常に驚いた。父親は東映社長だった岡田茂だが、東宝にスカウトされ東宝青春映画のスターになった。デビュー作は庄司薫の芥川賞受賞作「赤ずきんちゃん気をつけて」で、都立日比谷高校生の役だが本人も日比谷高校出身だった。僕はその時点では見ていないが、同じ庄司薫原作の映画「白鳥の歌なんか聞こえない」(1972)は見た。(「忍ぶ川」の併映作品だった。)岡本喜八監督「吶喊」(とっかん)で製作者を兼務、やがてプロデューサー専属になって、いつの間にか東映に入社して社長になっていた。当時石坂浩二に似ていると評判だったが、今見ても似てると思う。
 (岡田裕介、2枚目は「赤ずきんちゃん気をつけて」)
 漫画家の矢口高雄が20日死去、81歳。1973年から「釣りキチ三平」の連載を開始、釣りブームを呼んだ。ツチノコブームを起こした「幻の怪蛇バチヘビ」や狩猟に生きる人々の「マタギ」なども。エッセイの「ボクの学校は山と川」「ボクの先生は山と川」も話題となり教科書に掲載された。故郷の秋田県横手市に「横手市増田まんが美術館」がある。
(矢口高雄)
 茨城県の高校野球監督として、春夏の甲子園で優勝経験がある木内幸男が24日死去、89歳。土浦一高の卒業生で、1953年に土浦一高監督となった。57年に取手二高の監督となり、77年に初出場。84年夏にPL学園を破って初優勝した。直後に常総学院の監督に就任し、87年に初出場で準優勝。2001年春の選抜で優勝2003年夏にも優勝した。「木内マジック」と呼ばれた采配で知られ、甲子園での戦績が40勝19敗という凄い記録を持っている。
 (木内幸男、2枚目は取手二高で全国制覇)

 アルゼンチンの元サッカー選手、ディエゴ・マラドーナが25日に死去。60歳だった。特に1986年のワールドカップ・メキシコ大会準々決勝の対イングランド戦における「5人抜き」「神の手ゴール」が伝説となった。1983年にアルゼンチンは「フォークランド戦争」でイギリスに敗北していたことも国民の熱狂の背景にあった。この年アルゼンチンは優勝し、マラドーナはMVPに選ばれた。

 選手としては16歳からアルゼンチンで活躍し、特に84年から91年までイタリアのナポリで活躍した。最近は薬物中毒のニュースが多く、体型も変わってしまった。アルゼンチンではうまく行かない経済状況(国家経済が二度破綻した)とマラドーナの人生が重なるように見られていた。キューバのカストロとも親交があり、単なるサッカー選手を超えた存在だったとされる。(もっとも僕は86年当時はテレビを持っていなかったので、映像で見たのはかなり後のことだ。)
  (マラドーナ、3枚目が「5人抜き」)
熊本典道、元裁判官、11日死去、83歳。静岡県の清水事件(袴田事件)一審を担当して、無罪の心証を持ちながら、合議で否定され死刑判決を下した。その後退官し弁護士となったが、ほとんど人生を狂わされてしまった。21世紀になって、このことを告白し再審請求を支援していた。
安里要江(あさと・よしえ)、12日死去、99歳。沖縄戦の「語り部」として活動し、体験記が「GAMA 月桃の花」として映画化された。
幸田弘子、24日死去、88歳。俳優。特に樋口一葉や源氏物語などの朗読で知られた。
・デヴィッド・ブラウス、28日死去、85歳。「スター・ウォーズ」シリーズで初代ダース・ベイダーを演じた。
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免田栄さんの逝去を追悼する

2020年12月06日 21時59分43秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 2020年12月5日、福岡県大牟田市の老人施設に入っていた免田栄さんが亡くなった。95歳。1983年に日本で初めて確定死刑囚の再審が認められて無罪判決を受けた人である。死刑囚から無罪を勝ち取った事件は日本で(現在のところ)4件を数えるが、免田さんはその後も人権運動に関わった。2001年にはフランス、2007年にはニューヨークの国連本部へ出掛け、冤罪救援死刑廃止を訴えた。そこが他の人と違う免田さんの凄いところだった。

 前に書いたこともあるが、免田さんなどの再審請求のことはマスコミが報じないので、僕は全然知らなかった。1970年代には韓国の軍事独裁政権に対する民主化運動が盛んになったが、政権側の弾圧も厳しかった。また同じ頃ソ連ではノーベル賞作家ソルジェニーツィンが国外追放されるなど、反体制派に厳しい弾圧が続いていた。イデオロギーは別だが、世界には自由がない国があるんだと強く印象づけられた。その時点では、日本には「政治犯」なんていないし、死刑制度はあるが「無実の死刑囚」なんているわけがないとナイーブに思っていたのである。

 その頃差別に基づく冤罪だとして狭山事件の救援運動が盛んになっていた。そんな中で冤罪事件への関心が高まったのか、いくつかの本も出るようになった。そういう本を読むと、日本の事件捜査や刑事裁判には大きな問題があり、冤罪を訴えている死刑囚が何人もいると書いてあった。僕はすごく驚いてしまって、韓国やソ連を非難している場合じゃないなと思った。

 先に再審無罪になったのは4件あると書いたが、他の事件、帝銀事件(平澤貞通)、牟礼事件(佐藤誠)、波崎事件(富山常喜)、名張毒ぶどう酒事件(奥西勝)、三崎事件(荒井政男)などの事件はついに再審開始を見ず、獄中で死亡した。またハンセン病差別が問題になっている菊池事件、共犯者が恩赦で減刑されながらもう一人が執行された福岡事件のように、残念にも死刑執行されてしまった事件さえある。では免田栄さんは外部に知られることもない中で、どうして死刑台から生還することが出来たのだろうか。

 事件そのものは1948年12月30日未明に起こった熊本県人吉市の一家4人殺しである。1950年3月23日に、熊本地裁八代支部死刑判決を受け、1951年3月19日に福岡高裁で控訴棄却、同年12月25日に最高裁は上告を棄却した。この日付を見れば判ると思うが、当時の裁判はいかに急いで行われたかが判る。この日付を見るだけで、ちゃんと審理されなかったことが判る。免田さんはアリバイを主張したが、成立直後の日本国憲法で厳しく禁止された拷問を受けていた。事件の詳しいことは、熊本日日新聞社編「検証免田事件」がまとまっている。(増補版あり。)
(免田事件年表)
 免田さんは「再審」という仕組みがあることを教わり、獄中で何度も再審請求を続けた。当初は一人でやったこともあり、全く門前払い状態だったが、1954年に行った第3次再審請求1956年に再審開始の決定が出された。裁判長の名前を取って「高辻決定」と呼ぶ。この決定は検察側の抗告を受け福岡高裁で覆ってしまった。この時に再審が開かれていたならば、免田さんは20年以上早く無罪判決を受けられていたのである。

 「無実の死刑囚」なんて絶対に認めないと検察側の抵抗は激しかった。しかし、一度でも再審開始決定が出た死刑囚を執行することは、どんな無情な法務大臣でもサインをためらうだろう。免田さんも必死に再審請求を繰り返したが、高辻決定が免田さんを救ったのだと思う。4次、5次請求も棄却され、認められたのは1972年に行った第6次請求だった。この時点では、すでに免田さんだけではなく日弁連挙げての支援態勢が作られ、支援者も現れていた。1976年に地裁で棄却されたが、1979年には福岡高裁で再審開始決定が出た。そして1980年に検察側の抗告が最高裁で退けられ、ついに「死刑囚のやり直し裁判」という空前の裁判が始まったのである。
(1983年の再審無罪判決)
 1983年7月15日に再審無罪判決が言い渡された。明白にアリバイ成立を認めていて、完全な「真っ白判決」である。1970年代後半には最高裁で「白鳥決定」(「疑わしきは被告人の有利に」は再審事件でも適用される)など再審開始に有利な動きがあった。それらはただ裁判官が出したというのではなく、多くの事件関係者救援運動家弁護士などの長年の苦労が実ったものだと言える。その上で免田さんの無罪判決があった。続いて財田川事件(谷口繁義さん)、松山事件(斎藤幸夫さん)、島田事件(赤堀政夫さん)と死刑囚の無罪判決が続いた。
(左から免田さん、谷口さん、斎藤さんの死刑囚無罪事件の3人)
 ちょっと事件の紹介で長くなったが、もう40年近い前のこととなって、社会科教員でも若い人だと知らない人がいる。僕は小池征人監督の記録映画「免田栄 獄中の生」(1993)の上映会を地元でやったことがある。この映画はキネマ旬報文化映画ベストワン、毎日映画コンクール記録映画賞を受けた傑作ドキュメンタリーである。当日は映画上映と免田さんの講演を行った。映画上映時に映写機器のトラブルがあって、講演の中身は全然覚えていない。(トラブルは完全に会場側の問題で、確か他会場の機材を取り寄せた。)

 2次会にも参加した免田さんとは大いに飲んだような記憶がある。こっちも飲んでしまったので、話の中身は覚えていない。豪快に飲み食べ語る人だったと思う。免田さんは社会復帰後に伴侶を得て、それが良かった。2013年に「死刑再審無罪者に対し国民年金の給付等を行うための国民年金の保険料の納付の特例等に関する法律」が議員立法で成立した。冤罪で囚われていたから年金に加入できなかった。国は責任を持つべきだとする「特例法」である。成立後に免田さんは未納分を一括支払いして、その後国民年金を受けられるようになった。実質免田さん一人のための特例法だ。この問題は報道されるまで気づきもしなかった。

 あくまでも「国家責任」を見逃さなかった免田さんは凄かった。「一時金」などでの解決ではなく、あくまでも「年金受給権」を求めたのである。また免田さんは多くの死刑囚を見送って、単に冤罪だけでなく「死刑廃止」の重要性を訴え続けたことも忘れてはいけない。大切な人を失ったが、95歳は「大往生」だろう。
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河瀬直美監督の映画「朝が来た」

2020年12月04日 22時43分36秒 | 映画 (新作日本映画)
 辻村深月原作、河瀬直美脚本、撮影、監督の映画「朝が来た」が面白かった。河瀬直美監督は相性が悪い方で、この映画もまあ見なくてもいいかと思っていた。全部の映画は見られないから、自分なりに分類するわけ。しかし最近疲れていたので、見に行ったのである。変な表現だが、昔の映画2本立てや寄席なんかは、疲れてると大変なのだ。美術館や博物館も予約してまで行くのも面倒だけど、空いてる新作映画なら見に行けるのである。

 冒頭で永作博美の妻(栗原佐都子)が出てくる。夫は井浦新(栗原清和)である。原作があると知ってるし(読んでない)、夫婦を知名度のある俳優がやっている。当然劇映画だと判って見ている。しかし、まるで悩み多き夫婦の密着取材かと思うシーンが続く。幼稚園から電話が掛かってきて、子どもが友だちをジャングルジムから押して落としたかもしれないと言われる。この子(朝斗)は「特別養子」として迎えた子で、夫婦の間には子どもが出来なかった。前半は夫婦の不妊治療と養子を迎える決断をするまでを繊細に描き出す。
(栗原一家)
 大体の人はある程度の情報を持って映画に接するものだ。僕も大筋は知って見たが、子どもの実の母親は14歳の中学生だった。思いがけない妊娠をした片倉ひかりを後半は描き出す。演じているのは蒔田彩珠で実に見事な演技が賞賛されている。読み方もよく判らなかったが、「まきた・あじゅ」。「万引き家族」の松岡茉優の妹、「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」の主人公の友だちを演じていた。役柄に没頭した自然な演技は強い共感を呼ぶ。
(片倉ひかり)
 初めて好きになった同級生と結ばれ、初潮前だったのに妊娠した。気付いたときは中絶可能期間を過ぎていた。育てられないと親が判断し、学校には病気といって広島の島にある「ベビーバトン」という団体の寮に行く。そこには様々な事情で自分では育てられない女性が集まっている。「ベビーバトン」の責任者浅見浅田美代子が好演。だから創作なんだけど、撮影も担当する河瀬直美自身が、彼女たちにインタビューしている。劇映画ではあり得ない手法だが、このドキュメンタリー的な部分が成功している。見るものはまるで現実の施設にいる感覚になってくる。

 河瀬直美監督(1969~)ほど内外の評価が違う映画監督は珍しい。(北野武もフランスでは大芸術家扱いだが、日本はそこまでではない。とはいえ、ベストテンなどには何度も入選していて評価されていないわけではない。)河瀬直美は長編劇映画のデビュー作「萌の朱雀」(1997)がカンヌ映画祭で新人監督賞を受けて世界に知られた。その後「殯(もがり)の森」(2007)がグランプリを取るなど、何回も公式コンペティションに選ばれている。しかし、キネマ旬報ベストテンを見てみると、「萌の朱雀」が10位に入った以外一度も入選していない。

 僕も日本の評価の方が正しいように思っていた。「作家性」の強い作風だが、「独自性」よりも「独善性」じゃないかと思う描写や展開が多かった。「2つ目の窓」(2014)や「あん」(2015)の頃から少し変わってきたが、今度は判りやすい描写が必ずしも生きているとは思えない感じもした。もともと自分の私的なドキュメンタリーから製作を始めた人である。対象を見つめる目の独自性、特に自然描写の圧倒的な魅力に大きな特徴があった。「朝が来た」はその自然描写が魅力的で、対象に共感させる力も今までの映画で一番強いと思う。

 そしてある日、栗原家に電話があり「子どもを返して欲しい」という。それは誰で、それは何故? 「ひかり」のその後を通して、日本社会の裏の面が描かれる。追い詰められた女性たちが数多くいる。こういう問題、特に「特別養子」という制度には、外部からの安易な感想が言いにくい。「正解がない」問題だと思う。自分の場合を考えても、どんな選択がベストなのか判らない。僕には劇中の彼らがどうすればよかったのか判らない。今後どうするべきかも僕には答えがない。そういう物語は書きにくいんだけど、見る価値はあった。違う人生(実子がいる、あるいは結婚していない等)を送っている人でも見る価値がある。「もう一つの人生」がすぐそこにあった。
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「南朝研究の最前線」ー建武の新政と南朝を見直す

2020年12月03日 22時18分19秒 |  〃 (歴史・地理)
 呉座勇一編「南朝研究の最前線」(朝日文庫)を読んだ。原著は2016年に洋泉社から出たが、すでに絶版となったという。早いなと思ったら、洋泉社は今年初めに倒産していた。うっかり気付かなかったが、そう言えば歴史新書や「映画秘宝」も最近見なかった。歴史系の新書をたくさん出していたが、若手研究者の論文が硬すぎることも多かった。文庫化に際して書き直しもあったようで、読みやすい。(「信長研究の最前線」も朝日文庫から出ている。)

 1333年に鎌倉幕府が滅びた後で、後醍醐天皇による「建武の新政」が始まるもすぐに崩壊。足利尊氏が征夷大将軍となって、室町幕府が始まる。後醍醐天皇は奈良県南部の吉野に逃れ(南朝)、尊氏は新しい天皇(北朝)を立てた。この南北朝の争乱は1392年まで続いた。戦前には南朝が正しいとされ、正統たる後醍醐天皇がいるのに背いた足利尊氏は「日本史上最悪の逆賊」とされた。しかし、今の皇統は北朝の子孫なんだけど…と思った人は当時もいた。

 僕は小学校時代のテストで「後醍醐天皇はどこで政治をお取りになりましたか」と聞かれて、「京都」と書いて×を付けられたことを今も覚えている。「建武の新政」のことだと思ったのである。しかし、高齢だった先生は多分「吉野朝時代」という意識だったのだろう。僕からしたら「蒋介石の国民党政府はどこにありましたか」という問題で「南京」と答えたら、実は「台北」が正解だったといったような感じだ。南朝なんて所詮「逃亡者」だとしか思ってなかったのである。
(後醍醐天皇)
 戦後になったらみんな同じように感じていたと思うから、戦前の反動もあって南朝研究は遅れた。大体「負けた側」なので史料も残りにくいのである。歴史的には鎌倉、室町、安土桃山、江戸と「武士の時代」が続くわけで、「建武の新政」だけが異例である。「天皇親政」がベストと考える皇国史観に立つならともかく、歴史を普通に見るなら「反動期」になる。歴史の本流じゃないとなると、研究の対象にもなりにくい。僕も武士の消長には関心があったが、南朝は谷崎潤一郎吉野葛」にあるような滅びた後南朝哀話のロマンの対象でしかなかった。

 それが20世紀末になる頃から、どんどん南朝研究が進み定説もどんどん変わっていることがこの本でよく判る。「後醍醐天皇が貴族にばかり恩賞を与えて、武士をないがしろにしたので武士が背いた」的な教科書記述は今や成り立たない。建武政権は「二条河原の落書」みたいに大混乱していただけではなかった。きちんと機能していたし室町政権に引き継がれたものもあった。行政官としての貴族は案外共通していたようだ。僕の世代だと網野善彦氏の「異形の王権」(1986)の影響が大きく、つい後醍醐天皇の「異常性」を強調したくなるが、それだけで見てはいけない。
(足利尊氏)
 後醍醐天皇は足利尊氏をきちんと処遇していたが、最後の執権・北条高時の遺児、北条時行を担ぎ上げた反乱が関東を席巻したとき、弟直義を援助するために勅許を得ずに鎌倉へ赴いた。勝利後も鎌倉を動かずにいたら、新田義貞らの討伐軍を送られた。「八方美人」で定見がなかったらしく、また後醍醐への「忠誠心」も篤かった尊氏が、多くの武士たちの要望をになう形で武家政権を樹立することになった。「歴史的必然」とは言えない。

 南朝に仕えた武士たちに関しては、新田義貞楠木正成の新知見が興味深かった。六波羅探題を滅ぼした足利尊氏鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞(にった・よしさだ)は、ちょっと見ると同格の功績のように見える。両者はともに源氏の系譜をひく関東の名族だが、鎌倉時代の両者の社会的位置には雲泥の差があった。北条氏と長く姻戚関係を結んだ足利氏に対し、新田義貞は建武以前には「無位無冠」の東国武士にすぎなかった。むしろ新田氏は足利一門と見られていたのが鎌倉時代の実態だという。

 楠木正成(くすのき・まさしげ)は戦前には「日本一の大忠臣」として小学校教育で教え込まれる存在だった。今は「太平記」を読んでないと知らない人もいるかもしれない。戦後の研究では、河内の土豪的な「悪党」(荘園を荒らし回るような中世武士)と言われてきた。確かにそのような可能性もあるが、建武政権ではちゃんと任官しているんだから、きちんとした武士のはずだ。最近の研究では、むしろ北条氏の被官として河内に行ったらしい。武士は出自の地名を名乗るものだが、どうも駿河(静岡県東部)の楠木村が出自の地として有力になっているらしい。
(皇居前の楠木正成像)
 もう一つ挙げると退潮著しい南朝勢力の中で、一時九州を制圧した懐良(かねよし)親王の「征西将軍府」の実態はどんなものだったか。「良懐」と名乗って明に入貢したと明書にあるが、それは正しいのか。その他、北畠親房・顕家の評価、後醍醐天皇と密教の深い関係など興味深い問題が次々と論じられる。僕はこの手の「一般にはちょっと難しめかも」と思う歴史本を多くの人に薦めたいので、あえて紹介した次第。南朝は室町幕府に比べて史料が少ない中、いろんな工夫を重ねて実証研究を進める大切さと面白さを感じた。
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日中外相会談と香港情勢ー中国の人権問題と経済関係

2020年12月02日 23時12分04秒 |  〃  (国際問題)
 2020年11月24日から25日にかけて、中国王毅外相(国務委員兼外務部長)が来日して茂木外相日中外相会談を行った。翌日には菅首相とも会見している。コロナ禍でほとんど首脳会談が途絶えている中、アメリカの政権交代を控えた時点で日中双方に「戦略的利点」があったということだろう。また夏期東京五輪冬期北京五輪が東アジアで続くこともあって、信頼関係を築くことも必要だったのだろう。そのような「戦略的」な重要性を僕も理解しないわけではない。
(日中外相会談)
 24日の会談終了後に共同記者会見が行われたが、それには自民党外交部会から批判の声が上がった。「尖閣諸島沖での中国公船の活動を正当化した中国の王毅国務委員兼外相の発言を受け流した」という批判である。もっとも交互に発言する会見の中で、尖閣問題では茂木氏が先に「日本の立場を説明し、中国側の前向きな行動を強く求めるとともに、今後とも意思疎通を行っていくことを確認した」と言っていた。その場ですぐに反論するべきだったというのが批判の趣旨だが、外務省としては「大人の対応」をしたということらしい。

 その問題も重要だが、僕にはもっと知りたいことがある。それは香港やウィグル問題について、日本はどのように対応したのかである。外務省のサイトから「日中外相会談及びワーキング・ディナー」を見てみると、この会談では以下のようなことが話し合われた。
冒頭発言 ②日中関係総論 ③経済・実務協力 ④人的・文化交流 ⑤海洋・安全保障 ⑥国際社会への貢献 ⑦邦人拘束 ⑧国際社会の関心事項 ⑨地域情勢

 一応、日本は⑨の「国際社会の関心事項」において、「(1)香港情勢に関しては、茂木大臣から、立法会議員の資格喪失の件を含む一連の動向への懸念を伝達し、「一国二制度」の下、自由で開かれた香港が繁栄していくことが重要であり、中国側の適切な対応を強く求めた。(2)茂木大臣から、地域・国際社会に共に貢献していく上で、自由、人権の尊重や法の支配といった普遍的価値を重視していると述べた上で、国際社会からの関心が高まっている新疆ウイグル自治区の人権状況について中国政府が透明性を持った説明をすることを働きかけた。」

 何も言ってないわけではなくて、一応触れていることが判る。しかし、それは9番目に「国際社会の問題」として触れているだけである。さらに香港は「対応を求めた」が、ウィグルの人権状況は「透明性を持った説明をする」ことを働きかけただけだ。自民党はこっちの方は批判しないのか。各紙の社説などでも大体同じで、ビジネス関係者の往来再開を歓迎し、アメリカに対して自由貿易の原則をともに確認することを求める。その上で尖閣問題で中国の対応を批判し、最後に香港情勢に簡単に触れる。朝日も読売も大体そんな感じだ。

 まあ日本政府も自民党も「国際的人権問題」には関心が薄い。それは前々から判っていることだし、仮に日本が中国に人権問題を提起しても影響力を発揮できるわけではない。日本政府としては経済に影響を与えることは避けたいのがホンネだろう。触れないわけにもいかず、最後にちょっと触れておく。いかにもそんな感じだ。しかしながら、とりわけ香港情勢は無視するわけにはいかない。特に9月に香港の林鄭月娥行政長官が「香港に三権分立はない」と明言したことは重大だ。明確な「一国二制度」否定であり、香港返還時の国際的約束違反である。
(「香港に三権分立はない」とする行政長官)
 11月15日に、日中韓、ASEAN諸国、オーストラリア、ニュージーランド15ヶ国がRCEP地域的な包括的経済連携)に署名した。これは重要な意義を持つようでもあるが、現在的な課題には必ずしも答えていないといわれる。(浜矩子「看板にいつわりのRCEP」東京新聞11.22。)厄介な農業問題や国境を越えたデータ取引などの協定とりまとめは回避され、モノ取引の関税引き下げが中心だという。それ以上に深刻な問題は、浜氏が紹介する習近平主席の発言である。

 それは2020年4月の中央財経委員会の会合での発言で、「国際的なサプライ・チェーン(部品の調達・供給網)をわが国に依存させ、供給断絶によって相手に報復や威嚇できる能力を身に付けなければならない」と言うのである。あまりにも露骨なホンネ発言だが、今まで日本(尖閣問題)、ノルウェー(ノーベル平和賞)、フィリピン(南シナ海問題)、カナダ(HUAWEI副会長の逮捕問題)など、さらに現在はオーストラリアとの間で政治的な問題が起きるたびに、中国による脅し的な経済的嫌がらせが起こってきた。

 それがまさに中国の国家方針だということが習近平発言で判る。もっとも日本も韓国に対し、似たような「報復措置」をしている。「国家」というものは本質的にそんなものかもしれないが、これでは経済関係を深めることにためらう。香港の民主派に対する弾圧はますます暴圧的になっている。そして香港やウィグルも重要だが、中国そのものの人権状況に関心を持ち続けることも大事だ。自民党は経済と領土問題しか関心がないようだが、世界レベルで考えた場合もっと大きな、いわば文明史的な課題としての「中国の民主化」問題が重要だ。
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映画「おらおらでひとりいぐも」

2020年12月01日 21時03分41秒 | 映画 (新作日本映画)
 若竹千佐子の芥川賞受賞作「おらおらでひとりいぐも」が、沖田修一脚本・監督で映画化された。もう上映も終わりつつあるが、今日見たらなかなか面白かった。こういうのは、一昔前ならミニシアター系で長くやる映画だと思うが、今は大手シネコンで公開されて2週目からは上映が極端に少なくなる。僕も時間が合わないままだったが、未だに通っている歯医者の時間の都合で日本橋に見に行った。今日は歯を削って緊張して疲れたから、軽く映画評を。

 僕は沖田修一監督とは相性がいい方で、特に前作「モリのいる場所」などどうしてベストテンに入らなかったのか疑問に思っている。今回も「老人映画」なので、田中裕子蒼井優がやっててもヒットは難しいだろう。でも沖田監督の「遊び方」は見事で感心してしまう。原作は一人暮らしの老女、75歳の日高桃子さん(田中裕子)の脳内で、話しかけてくる謎の東北弁が飛び交う様を描く。映画化に当たって、ナレーションじゃなくて「実体を持った脳内人格」を創作した。最後のクレジットに「寂しさ1」(濱田岳)、「寂しさ2」(青木崇高)、「寂しさ3」(宮藤官九郎)とあって笑える。
(桃子さんと3人の「寂しさ」)
 突然寂しい夕食がディナーショーになってりして、田中裕子が歌い出したりして、実に面白い。原作の「言葉遊び」的な部分を「脳内セッション」として描き出した。そういうやり方があるか。アニメになったり、いろんな工夫をしている。時々「過去」が出てくる。岩手県遠野に育った桃子蒼井優)は気に入らない縁談を蹴って、東京五輪の年に上京した。蕎麦屋で従業員募集の貼紙を見て働き、店を代わりながら働いた。定食屋で働いた時は山形出身の先輩と仲良くなる。そして岩手弁で大声で話している周造東出昌大)にひかれていく。
(若き日の桃子)
 2人の子を育て、埼玉県所沢に家を建てた。老後は夫と二人と思っていたら、55歳で夫が死んでしまった。子どもたちとは疎遠で、今は一人暮らし。そんな日々を描くだけでは芸がないわけだが、そこに「脳内セッション」が始まって過去と現在を往復する。原作も同じなんだけど、表現が面白いわりに設定と世界観は案外普通。そこが今ひとつで、親子関係、オレオレ詐欺、図書館通い、夫の墓参など予想通りみたいな展開になるのはやむを得ないか。

 しかし、映像で見ることにより、「独居老人」がくっきりとする。田中裕子は腰痛の湿布貼りなど、さすがにうまいもんだ。もっとも今65歳なので、設定よりも若々しいのも当然。走ったりするシーンもある。秋の紅葉、冬の積雪など美しく撮影したのは「万引き家族」の近藤龍人。その他、美術(安宅紀史)、照明(藤井勇)など技術スタッフのていねいな仕事ぶりも見応えがある。

 題名の「おらおらでひとりいぐも」は宮澤賢治の「永訣の朝」で妹がつぶやく言葉。(元はローマ字。)「私は私で一人で逝くから」といった感じらしい。桃子さんはそこまで死期を前にしているわけではないから「行く」「往く」でもいいのかなと思った。若い人が見て面白いのかどうか判らないけれど、僕はなかなか面白かった。
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