年末になって突然フランツ・カフカ(1883~1924)を読み始めた。2024年が没後100年なのである。そして池内紀(いけうち・おさむ、1940~2019)訳の白水社Uブックス「カフカ・コレクション」全8冊を持っているのである。ずっと読まずに持っていたけれど。今年読まないと読まずに終わると思って読んでるけど、他に読みたい本もいっぱいある中で「読まなくても良かった感」がしてくる。訳文は案外読みやすい。実に達意の名訳だと思う。スラスラ読める割りに、内容的に「やっぱりわからん」ということである。もともと『変身』など短編は読んでたが、長編を読んでなかったからまずはそこにチャレンジ。
カフカはチェコの首都プラハに住んで、ドイツ語で創作したユダヤ人作家だった。複雑な感じだが、要するにオーストリア=ハンガリー二重帝国(ハプスブルク帝国)に生きた人物だと考えれば理解出来る。第一次大戦で帝国が崩壊し、いくつもの小国が誕生した。カフカは小国チェコスロヴァキアに住むマイノリティになってしまったが、結核のため40歳で死んだ。生前には全く認められず、原稿も焼いてくれと遺言したが、友人の作家マックス・ブロートが草稿を整理して公刊してしまった。第二次大戦後に内容の「不条理性」が世界に衝撃を与えて評価され、文学だけでなく現代思想にも大きな影響を与えてきた。
カフカの長編小説は3つあるが、いずれも未完。カフカは労働者傷害保険協会で働きながら、作品を書きためていた。仕事や病気などで時間がないという事情もあったんだろうが、読んで見たらそれだけでもないと思った。基本的にカフカは短編作家なんじゃないか。まあプロ作家じゃなかったんで仕方ないかもしれないが、面白い趣向の短編が連なっているけど全体のまとまりがない印象がある。最初の長編『失踪者』は前は『アメリカ』と題されていたが、自身のノートに「失踪者」とあったことが判明し、日本では池内訳から題名が変更された。これは主人公の運命は不条理だけど、小説自体は普通のリアリズムで書かれている。
『失踪者』は17歳のドイツ人少年カール・ロスマンが故郷を父親に追われてアメリカにやってきて放浪する話。何で追放されたかというと、32歳の女中に誘惑されて子どもが出来たからである。ニューヨークには成功した叔父がいるが、そこからも追放。ホテルのエレベーターボーイに雇われるが、そこも追放。おかしな知り合いに振り回されて、さあどうなるという辺りで未完になった。1912年から14年に掛けて書かれたが、カフカはアメリカに行ったことはない。全部想像に割りには面白いが、それぞれの部分はなかなか読ませるのに、全体はバラバラ。盛り上がる前に飽きてくる感じ。
一番面白かったのは『審判』で、これは光文社古典新訳文庫では『訴訟』となっている。原題を素直に訳せば、そっちの方が正しい。「ヨーゼフ・K」は30歳の朝、身に覚えがないのに突然逮捕される。この設定は有名なので、事前に知っていたが「逮捕」というのは身柄確保のことだから、そのまま収監されてしまう話だと思っていた。しかし、この小説では身柄は自由なままで、銀行員の仕事を継続している。だけど、訴因も不明な「訴訟」が延々と続いて悲劇に至る。全く訴追の内容が不明なんだけど、ある意味10数年後にユダヤ人に起こった出来事を予見していたとも言える。そして現代でも中国では似たようなことが起こっている。ウィグル人に、香港人に、そして報道によれば日本人の大企業駐在員に。そんなことを思わせる。
最大の長編『城』は困った小説で、細部は面白いのに全体像が見えない。それがカフカの目論みなのかもしれないし、単にまとまりが付かなくなっただけかもしれない。測量士の「K」が大きな城のある村に招かれる。しかし、誰がKを呼んで仕事をさせたいのか、全く判明しない。(そもそも測量士として招かれたというのも間違いなのかもしれない。)「城」に行きたいと思っても、何故か行き着かない。(城に入れて貰えないのではなく、城が見えているのに行き着かないのである。)
もともと城の役人は「村」に来て村人と会うこともあるらしい。「助手」「使者」などは現れるのに、訳がわからない。だけど、Kもただウロウロしているだけでなく、酒場に勤めて(城の重要人物クラムの愛人でもある)フリーダと仲良くなって婚約までしてしまう。村内には隠微な対立や差別が入り乱れ、城の役人の呼び出しを断ったアマーリアの家族が「村八分」になったことも知る。どうやら恐るべき官僚制と猜疑心が村を支配しているらしい。この小説は「スターリンの大粛清」を予見してしまったのかもしれない。だけど、内容とともに小説の構造も「不条理」で道筋がよく理解出来ない。それが目的なのかもしれない。