ボッケニャンドリの思ったこと

思ったこと感じたことを書いているけど間違い、勘違い、思い込みも(^^;

ヨメ登山隊は無事戻ってきたが

2009年08月12日 08時51分12秒 | 思ったこと
 ヨメ登山隊は無事戻って来た。心配した天気もまぁまぁで夜寝てる時に降られたものの行動中は雨具を使うことはなかった。しかも甲斐駒ヶ岳からの眺望は雲海も見えたりで良かったそうだ。だから行けば良かったのにと何人かに言われた。


8月9日、甲斐駒ヶ岳から鳳凰三山、そしてその向こうには富士山が見える


 それにしてもヨメ登山隊の計画は凄い。起床2時半だなんて、俺だったらお金くれても行かないよ。でも一般参加者はこれにお金払って行くんだよね。何故なら独りもしくは自分達だけでは行けないからだ。ヨメなんて酷いもんで 「 私だったらそんな高いお金(16000円)払ってなんて行かない 」 って主催者側が言っちゃダメだな。

ヨメ登山隊の2日目の予定
時刻行動
2:30起床
4:30北沢峠テント場出発
6:00仙水峠(せんすいとうげ)
8:10駒津峰(こまつみね)
10:30甲斐駒ヶ岳(2967m)
14:00北沢峠テント場着
 以下乗り物なので略


 起床2時半って、甲斐駒の山頂でご来光でも見るのかと思ったら全然違う。何故こんなに早く行動するのか聞いたら足が遅い人が居るからだってさ。ふ~ん、なるほど、ってそれって変じゃないのかな。足が遅いっからってこんなに長い行動時間でいいのかね。だいたい甲斐駒ヶ岳と北沢峠の標高差は900mくらいしかない。

 上級者コースと聞いてたら行かなかった、と言った女性がいた。年は52歳でややメタボ体型。この山行の前に北八ヶ岳方面を登ったそうでそれは良いことだ。だけど初めての岩場、といっても一般登山道なんだけどそこを通過するのに手間取ったそうだ。なので別グループに追い付かれると先に行って貰うんだけど、その間グループ全体が待つことになる。危ないところはなるべく早く通過するという掟に反するわけだ。

 甲斐駒に限らないが岩場が険しい所や尾根の細い所では落ちないように常に注意を払うけど、その緊張を維持出来るのは何時間だろう。少なくともこんな長時間ではない。ヨメの話を聞いて初めて思ったんだけど中高年の滑落死ってのは体力不足ばかりではなく集中力が途切れての事なのかなぁ、と。
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のりP騒ぎと裁判員制度

2009年08月12日 08時49分29秒 | 思ったこと
 今 世間 TVを騒がせている人、のりPなんだけど、これが起訴猶予になるかもしれないらしい。あるヤメ検弁護士(以下ヤメ)は報道バラエティで公判の維持や社会的制裁を既に受けてるからどうのと嘯く。社会的制裁って、一般の人だって仕事は首になるわ、家には石投げつけられてたり子供が苛められたりと無事なわけではない。特に普通の人であればあるほど。

 尿から覚醒剤が検出されない、家で発見された覚醒剤の量が微量と言うが、本人はやったと言っている。一方では、本人はやってないと言ってるのに17年も刑務所に入れられた人もいたし。それと頭髪から検出されても何時覚醒剤を使用したのか特定出来ないので証拠としては弱いとヤメは言う。方や精度の劣るDNA鑑定が絶対的な証拠になったりと、どうもバランスが悪い。

 ところで裁判員制度が導入されたのは司法の偏った考えに一般市民の感覚を反映するのが目的の1つだ。ならば重罪事件限定というのは変だなぁとこのヤメの話を聞いてて思った。罪の大小ではなく、こういう司法の可笑しな考えが入り込むような事件にこそ裁判員が立ち会うべきだ。

 それにしても報道見ててのりPは凄いなと思う事が1つある。普通何かしでかすと一番悪い印象を持たれそうな写真とか映像が出るのにそれが1つも無い。醜い容疑者のアップのオンパレードにならないのが救われる。もしかしたらこれって誰かがそうならないようにしてるの?

 で、もし起訴猶予になったら今回の教訓はこれだ。覚醒剤は必要なだけ買って残さず使うこと。そしてもし職務質問されたら兎に角1週間は逃げまくれってことかな。そして司法が教える、人生逃げるが勝ち! という教訓。
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佐用町とか宍粟町

2009年08月12日 08時48分32秒 | 思ったこと
 ここのところ聞いた事のない町で災害が起きる。地元の人が長年住んでいるがこんな事は初めてだと言うのと一致する。


2005年4月1日 パラパラ地図の兵庫県のページより


 宍粟(しそう)町なんてってあったっけ? と暗に平成の大合併で生まれた町じゃないのと思ったら元々宍粟郡というのがあったのだ。合併した町の名前を掻き集めて作った町名ではなかった。佐用町はというと、これは周辺の町を吸収して大きくなっている。

 上の地図が合併後で下は合併前。それにしても合併しちゃった市町村名で報道されると範囲が広過ぎて何処のことなのか分らなくなる。


2005年1月11日 パラパラ地図の兵庫県のページより


 大昔の為政者は治山治水出来れば一丁前なんて学校で教わったくらいだから昔は洪水とかが多かったのだろう。ならばどうして地震雷火事親父の中に大雨なんかが出て来ないんだろ。ちなみに親父は山嵐(やまじ)が訛ったらしいけど。
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